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イギリスの昔の首相と言えばチャーチル氏かサッチャー氏ぐらいしか思い浮かびませんでしたが、バッキンガムシャー州にある「ヒューエンデン(Hughenden)」を訪れて、ベンジャミン・ディズレーリという元首相がいたことを知りました。
ヒューエンデンは彼がカントリー・ハウスとして住んでいた邸宅で、現在はナショナル・トラスト(関連記事)が管理、一般公開されています。
ビクトリア女王の時代に首相を2期務めたディズレーリは1804年のロンドン生まれ、もともと作家であり、イギリスで唯一のユダヤ人の首相だという点など、かなり異色の経歴を持っています。服装は憧れの詩人バイロン卿を真似、ケバケバしい派手な色を好みました。
性格も大物らしく、なかなかにアクの強い個性派です。高校時代はユダヤ人であることをからかわれたことをキッカケに乱闘騒ぎを起こして退学、社会人になってからは父親の血を引き継ぎ、同じく作家としての才能を開花させますが「貴族でもないのにこんな青二才が貴族の小説を書くだなんて」と、世間から大バッシングを受けました。裕福な家出身なだけあって事業に投資する額も大きく、破産状態に陥ったことも1度や2度ではなさそう?です。
その後、縁あり政界でそれなりに出世しますが、ユダヤ人という出自(13歳のときにイングランド国教会に改宗済みにもかかわらず)や学歴のなさ、貴族ではなかったことなどが予想以上にディズレーリの行く手を阻みます。
また当時は、保守党内で指導者に上り詰めるには、大邸宅に住む地主になることが必須でした。そのため、トーリー党の党首になって間もない1848年、ベンティンク卿から資金援助を受けヒューエンデンの屋敷を購入しました(出典:Kowol, Kit. “Who was Benjamin Disraeli?”the University of Oxford.)。
それが今回紹介するヒューエンデンのマナー(Manor 荘園)です。
ナショナル・トラストが管理するマナータイプの施設では、こういったメインの屋内に入る場合、入場券または会員証の提示を求められます。出迎えてくれたスタッフがまずは簡単な建物の説明と、進む道順を教えてくれます。こちらのスタッフですが、ナショナル・トラストでは常時ボランティアを募っているので、彼らもボランティアだと思われます。見張りの意味も込め?ほとんどの部屋に配置され、皆気さくに展示の説明をしてくれます。
ディズレーリが作家であったことを思い起こす図書室には、壁一面に設置された本棚にギッシリと4000冊ほどもの本が詰められており圧巻です。ほかの部屋にも大量の本が残されているようで、総数はかなりのものになるとのことです。
愛妻家であるとともに、ビクトリア女王からもっとも寵愛を受けた首相でもあったディズレーリのこの邸宅には、2階の寝室を含め、妻のメアリーと女王の肖像画があちこちに掲げられています。Chancellor of the Exchequer(大蔵大臣)時代のガウンもあり、暗闇に光るディスプレイが威光を放っています。
第二次世界大戦中には政府の主要施設としても利用された同館では、地図を書くときの絵筆やインク壺、ペン類、製図画やガスマスク、標語や事務机なども展示されています。
それらを再現するための小道具が、飲みかけのコーヒーだったりメガネがヒョイと置いてあったりと、無造作な配置が絶妙で、まるでついさっきまでディズレーリがそこにいたかのようです。
このような屋敷では、室内から眺める景色にも非常にこだわった設計となっているものが多いですが、ヒューエンデンもご多分に洩れず、2階の窓からはきれいに刈り込まれた庭園が見えます。
敷地内の植物は、併設のギフト・ショップでも購入できます。カフェでは庭園の一角で育てた食材を用いたメニューもあり、子供用セットにスコーン、ビクトリア・スポンジといった定番焼き菓子などが揃っています。
ヒューエンデンはもともと農家でしたが、1738年に紳士階層(gentleman)用の家へと改装されました。ディズレーリが購入したあとは、前所有者が取り組んでいたデザインを引き継ぎ、ゴシック様式化を進めました。1862年には、エリザベス朝のデザインに従ったイングランドのルネサンス建築であるヤコビアン様式に正面の外観を変え、最終的に1862年にもモデルチェンジをしました。
資産家の生まれとはいえ、金銭面で苦労することも多かったディズレーリが購入できたほどなので、ヒューエンデンはさほど大きな建物でも広い敷地があるわけでもありません。それでも政治家、ひととしての個性は抜きん出て非常におもしろい人物なので、その息吹を感じるヒューエンデン、なにかの折りに足を運ぶ価値が十二分にあるはずです。