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ギリシャ(サントリーニ島)のビーチでゆっくり地中海を満喫しようとフィラ(関連記事)からバス(大人片道€2.2)に1時間半(停車駅が多く、帰りは30分ほどだった)揺られてペリッサ(Perissa)という町にたどり着きました。
バスを降りるなりさっそく、サントリーニ島を象徴する青いドーム型の教会(Timiou Stavro, The Church Of Holy Cross)がお出迎えです。
海に向かうと土産店や飲食店がズラリと並び、11月も間近だというのに水着姿でビーチデッキに寝そべり、海水浴を楽しむ人たちがいました。
私もそのまま泳ぐとは言わずとも、同様にゆるやかなときに身をまかせ、ノンビリした1日を過ごすのだと思っていました。
ところが、もうしばらく町を散策してみようと思い立ったが運の尽き。下から見上げると、妙なところに白い建物があることに気づきました。
とりあえずもう少し近づいてみようとウロウロしていると、不審がられたのか近所の住民に「大丈夫か」と声をかけられました。そこであの建物は教会で、まさかの歩いて登れるということが判明。
半信半疑でそのまま突き進むと、「古代ティラ遺跡(Ancient Thira)」という看板が現れました。ちょうど降りてきた人に尋ねると、教会まで20分ほどだろうというので、軽い気持ちで登り始めました。
ところが、舗装されていない砂利道はどんどん険しくなり、手すりもないので足を踏み外せばそのまま地面まで真っ逆さま。もともと人どおりは少なく、なにかあっても助けは望めそうにありません。
それでもときおり座り込んで呆然としている女性がいたので、大丈夫か話しかけてみたところ、イギリス英語のアクセントに特徴があったのでつい「スコットランドからですか」などと聞くと、「リバプールです」と言われてしまいました。まだまだ地方のアクセントが聞き分けられず、修行が必要です。
息を切らせながらようやくたどり着いたのは、「Panagia Katefiani」という小さな教会でした。メサヴノ(Mesa Vouno)山、標高200mの巨大な岩に立つこの礼拝堂はその昔、戦禍や海賊から逃れるための避難所だったそうです(参照:“Santorini Panagia Katefiani”Greeka, 2022.)。たしかに、ここまで来たら安心できそうです。
イギリスではほとんどかくことのない、噴き出る汗を拭きながらもうひとつ先の、さらなる山の頂上にある遺跡を見に行くべきか悩みました。なんでも、
サントリーニの歴史上2番目に重要な時期である紀元前9世紀から1000年あまりにわたって繁栄した古代ティラの遺跡
SantoriniView
だそうですが、そのときはそんな予備知識もなく、ただただ「あそこになにかある……」というだけでやって来ていました。たしか麓で聞いたときは、崖の教会からさらにまた20分ほどだと言っていたので、もうひと踏ん張りすることにしました。
ところが、冷静に考えればわかることですが、目の前に見えていても実際の距離は予想以上にあり、それも起伏の激しい岩道です。案の定、またしても途方に暮れたような子連れ家族が休憩している箇所に着き、お互い苦笑い。
その頃には引き返すにも中途半端な距離で、場所によっては誤って道でない場所を歩いてしまい、命綱なしのロッククライミングのような状態になることもありました。
いよいよ絶望感に襲われた頃、またひとり女性が降りて来ました。藁にもすがる思いで「あとどれくらいか」と聞くと、遺跡まではこの道よりさらに険しいこと、彼女のスニーカーでも厳しかったので、私の登山用ではないショートブーツではとても耐えきれないであろうことから、じきに現れる博物館(Archaeological Site of Ancient Thera)までで止めておくべきだという貴重なアドバイスを受けました。
とても明るく親切な彼女は、フランスに住んで10年になるウクライナ人で、家族は戦時下にあるキエフ(キーウ)を離れたくないのでまだ残っており、心配だと言っていました。
そんな話をしながらも、私に「水はまだあるか、なければ分ける。この上に売店があるから、そこで帰りの飲み物を買うことができる」とあれこれ世話を焼いてくれ、自分はもう明日発つからと、強い日差しのなかノースリーブの私を心配して、日焼け止めまでくれました。
言われたとおりしばらくすると、ようやく中継地点の売店が現れました。悪い予感がしたとおり、「クレジットカードは機械が……」と、現金払いが基本だったようでしたが、なんとか機械に動いてもらい無事カードでギリシャビール(€3)にありつけました。
まるで砂漠に現れたオアシスのような1杯をありがたがりながら飲み干し、話好きの店主、イリアスさんとのお喋りに興じました。10月下旬のこの頃は夏のハイシーズンの4割ほどの客入りで、例年ですと一部のホテルのように、もうすでに店を閉めてしまう時期だそうです。
それが、2022年の今年はまだ天気がよいのでこうして開けていて、むしろ書き入れどきの7月の方が風が強くてひどい天気だったとのことです。
博物館の閉館時間に合わせてか、毎日だいたい15:30頃には店じまいするこの売店は、もう何十年も家族代々で引き継いできたものです。ペリッサとは山を隔てた、カマリ(Kamari)という別のビーチがある町を拠点にしているイリアスさんから、「カマリからバンや車で来ればラクなのに」と言われて初めて交通手段があることに気づきました。
オフシーズンに入りかけるこの頃は減便されて30分おきですが、ハイシーズン中は市バスもだいたい20分おきに出ているそうです。どうりでその辺りには小さい子供たちも歩いているわけです……。
肝心の博物館は閉館時間が早く、古代ティラ遺跡も諦めざるを得ませんでしたが、登山中は仲間意識が働くせいか、道中に出会った人たちとのふれ合いや、長年この辺りの移り変わりを目にしてきたであろう、イリアスさんからの貴重な現地情報を聞くことができ、とても有意義なときを過ごせました。
帰りは下り坂なのでラクラクとまではいきませんが、あっさり30分で降りることができ、なんだかすべてが白昼夢かのようなできごとでした。なお、翌日筋肉痛だったのは言うまでもありません。