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マカオは1年中、何らかの大きなイベントが開催されています。観光立国であるから、と言う理由もありますが、もう一つの大きな理由は「多様性の中で歴史を刻んできた地域」であるからです。諸説ありますが1553年から1999年12月19日までの446年もの間、マカオは*ポルトガルが管理している中国領でした。その結果、大航海時代をそのまま再現した様な多様性のある、歴史と文化が刻まれてきたのが今のマカオであり、それが今でも多くの方々を魅了する最大の理由となっています。
1998年から始まり、今年で26回目を迎えたルソフォニア。世界中のポルトガル語圏の人々が集まり、お祝いをするイベントです。元々あったお祭りではなく、スタートしたのが中国に返還される1年前の1998年。
マカオに住む多くのポルトガル人やマカネーゼの人々はここに残るべきか、はたまたどうするべきかを相当悩みました。そこで導き出した結論は、自分たちの歴史や文化、足跡を残す為のイベントをやった方が良いのでは無いか?と考え、それがこのイベントの起源となりました。
最初はタイパ(当時は海島市)の市政庁が始めましたが、その後、マカオ民政総署(市政庁本体)が運営した後、現在では文化庁が主催しております。
つまりこのルソフォニアは歴史こそ浅いイベントではありますが、ポルトガル/マカオの長い歴史を証明し、これかも維持・継続する為に始められたイベントなのです。
今までは文化庁の単独予算で開催されておりましたが、昨今の厳しい財政のもと、今年度から大会にスポンサーが付き、この10月27日から29日に行われたイベントには、マカオのIR、ギャラクシーエンターテイメント社が協賛。
イベント名も同社の名前が掲げられ
“2023 銀娛葡韻嘉年華”(2023 GEG Lusofonia Festival)と銘打って開催されました。
開催場所はポルトガル色を最も色濃く残す街、タイパ旧市街にある住宅博物館(中国名:氹仔龍環葡韻/英語表記:Taipa Houses)で行われます。
ここでひとつ確認をしておかなければならない事があります。wikiなどに記載されているポルトガルとマカオの関係にしばしば「植民地」と記載されているのを見かけます。
前段の記載でも敢えて「ポルトガルが管理している中国領」と表記をし「*」を記しました。
果たしてマカオはポルトガルの植民地だったのでしょうか?
これはある時期まで「そうだった」と言う事で断定できます。
そのある時期とはいつまでだったのか?を明確にしたいと思います。
1974年、ポルトガルで「カーネーション革命」が起こりました。日本では「リスボンの春」と習っているはずですので、こちらの方が馴染みがあるかと思います。
この「リスボンの春」で軍事政権を終わらせたポルトガルは、これを機に世界中にある植民地を放棄しました。
つまりマカオがポルトガルの植民地であった事実はありますが、それは1974年に終了しており、それ以後は中国の一部をポルトガルが管理している、と言う形式に改めて1999年まで続いたと言う事になります。
マカオの名物料理のひとつに必ず上がるのが「アフリカンチキン」です。
マカオなのにアフリカ?と言う疑問が必ず湧き起こりますが、その答えがこのルソフォニアにあるのです。
大航海時代、アフリカの希望峰を周り、インドを経由して最後にマカオに辿り着きました。
その為、アフリカ諸国にはポルトガル語を話す国がたくさん生まれました。それらの国々がこのルソフォニアの参加国としてマカオに集います。
アフリカンミュージックの聖地として名高いカーボベルデ共和国。長い間、内戦に苦しんだアンゴラ。その他、ギニア・モザンビーク・東ティモール等がそれらの国です。そしてインドにもポルトガル語を話すゴアがあります。
この大航海時代の流れ、マカオに住む元ポルトガル政府旅遊局、現在はマカオのギアサーキットをユネスコの登録遺産にと活動するAPDCGMのジョゼ・エストニーニョ会長は、日本での歴史教育の内容を聞いて、大きく首を横に振りました。
「この大航海の終着点はマカオでは無く、日本の種子島だった」と言うのです。「ポルトガル人が中国船に乗って種子島に来た」と言う日本の教科書に記載されている通りの説明をしたところ、ジョゼ会長に留まらずそこにいたマカオ人までが「ノー!」と否定しました。この機会に改めてマカオと言う地域の正しい歴史認識を日本の方に伝えたいと思います。
イベントは各国ブースが所狭しと会場に並び、各国の食べ物(主にスイーツ)やドリンクが販売されます。
レストランは二ヶ所。
以前はマカオのミシュランスターで有名なアントニオが担当しておりましたが、今年はLa Famiglia(澳葡之家)が担当しました。
本格的なポルトガルの家庭料理かBBQグリルで豪快に焼くチキンやポーク、イワシは炭火で香ばしくグリルされレモンを絞る。
ポートワインをキンキンに冷やし、フルーツを入れ冷たい炭酸で割ったサングリアで流し込む。シンプルな中にも素材を活かした味で、これは日本人の肥えた舌にも充分に応えてくれます。
スイーツは激甘だらけ。
ポルトガルスイーツの代表格、サラデューラをはじめ、エッグタルトにエッグプリン。甘い上に甘々の世界。
それを最後は苦々のエスプレッソで流し込むのがポルトガルの流儀です。
この大航海時代の流れを見ると、どうしてマカオの名物料理が「アフリカンチキン」なのか?
カレーパウダーやターメリックを使った、誰がどう見てもチキンカレーに見える料理が「摩囉雞飯(Mo Lo Gai Fan)」「葡國雞飯(Po Kok Gai Fan)」なのか?
それは大航海時代の足跡が、そのまま料理に反映された結果なのです。行き着いた先々で手に入れた食材や香辛料。これらを巧みに取り入れて調理する。そうして行き着いたマカオで、一つの完成形としてポルトガル/マカオ料理として歴史を刻んでいく。
最近、日本人の間では「海南雞飯」が人気ですが、さらにマカオにはこう言う料理があるんだよ、と言うのを知って頂けると幸いです。
このイベントは毎年10月の第四週目に開催されます。今年も多くのアーティストやタレントがマカオにやってきました。
このイベントが終わると、次はいよいよマカオ最大のイベント、マカオグランプリとなります。
自動車レースにはちょっと興味が無い、と言う方も、ぜひこのマカオのルーツがハッキリと認識できるルソフォニアで、このマカオの本当の息吹に触れてみてはいかがでしょう?