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『真珠の耳飾りの少女』などで広く知られている画家、フェルメールはオランダの「デルフト(Delft)(関連記事)」という町の生まれです。
その少女のターバンに使われている独特な青色は高級顔料のウルトラマリンによるもので、日本では“フェルメール・ブルー”ともいわれるほどフェルメール作品に欠かせないカラーです。
“陶器の町”でもあるデルフトには、白字に青色が美しい「デルフト焼き」という伝統工芸があり、こちらの青色もまた“デルフト・ブルー”として親しまれています。
ともにオランダ黄金時代の一端を担った“特別なブルー”を探しに、町散策に出かけませんか。主要な観光スポットと青いアイテムをキーワードに、歩いて周れるデルフトの町を紹介します。
路面電車の線路沿いをロース風車(Molen de Roos)に向かって3分も歩くと、(Kloksteeg)という路地にモダンなタッチの壁画が現れます。
オランダの“建国の父”ことオラニエ公ウィレム1世や“国際法の父”グロティウス、フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』など、デルフトにゆかりのあるアイコンで埋め尽くされたこちらは、ストリート・アーティストのMicha de Bie氏による作品です。
デルフト市役所近くの路地、(Bonte Ossteeg)にも政治的なメッセージを込めるアーティスト(political artist)、Hugo Kaagman 氏が2013年に完成させた壁画があります。
“オランダのステンシル・キング”として知られる同氏は、現代のストリート・アートの多くに使われている技法、ステンシル・グラフィティのパイオニア的存在です。
1978年より始めたデルフト陶器との融合アートは、いまや同氏の象徴的なスタイルとなり、なかでも本作品はデルフトのインスタ映えスポット堂々1位 に輝くほど、観光客にも注目されるスポットです。
デルフト観光の中心地ともいえるマルクト広場のすぐそば、新教会とマリア・ファン・イェッセ教会(Maria van Jesse Kerk)の間にある、またしてもモダンなオブジェは『デルフトの青い心臓(Het Blauwe Hart)』です。
読み取ったバーコードの解説によりますと、こちらはMarcel Smink氏がデルフト市から依頼を受け、バスのロータリー地点を見栄えよくする目的で制作、1998年に設置されました。
金属枠とガラスでできた構造はデルフト工科大学を、青はいうまでもなく“デルフト・ブルー”を、そしてハートは町の中心部として、それぞれイメージしたそうです。
生涯を通してデルフトの町を愛したヨハネス・フェルメールは、“光の巨匠(Master of Light)”の異名を持つ、オランダを代表する画家です。
「フェルメール・センター・デルフト(Vermeer Centrum Delft)」は、寡作だったという同氏の37作品すべてを原寸大のレプリカで展示している唯一の施設で、17世紀のデルフトの雰囲気を感じながら、凡人には真似できないフェルメールの特殊な技法や作品の背景について学ぶことができます。
当時のヨーロッパには、フェルメールが4度にわたって長を務めた「聖ルーカス組合(St. Lucas Gilde)」という画家の組織があり、フェルメール・センターはこのフェルメールの軌跡を多く残した組合があった場所に、新たな資料館として建てられました。
青尽くしで周ってきたデルフト観光、さいごに家までデルフト・ブルーを持ち帰りましょう! オランダ王室と関係の深いロイヤル・デルフト(Royal Delft)は、1653年に創立されたデルフト焼きメーカーで、17世紀からの伝統手法を引き継ぎ、いまもなお手塗りの“デルフト・ブルー”を生産している唯一の工場です。
工房見学やデルフト焼きの歴史、数多くの貴重な展示などを見られる博物館(Royal Delft Museum)を訪れる時間がないときは、マルクト広場にあるブランドストアだけでも覗いてみるとよいでしょう。
横向かいにはフェルメールの父親が営んでいた宿、メッヘレン亭(Mechelen)の跡地を利用した同じくデルフト焼きのショップがあり、周囲にはマルクト広場を囲むように並ぶ、デルフト・ブルーの土産を売る店がほかにもたくさんあります。
デルフトを訪れた思い出とともに、記念になるようなデルフト・ブルーが見つかるとよいですね。