キーワードで検索
1970年代から80年代にかけて、ボブ・マーリーやエルトン・ジョンといった世界的なミュージシャンたちが野外コンサートをしていた、ロンドン南部の「クリスタル・パレス公園(Crystal Palace Park)」は東京ドーム約20個分(200エーカー)の広さを持ち、いまでは市民の憩いの場となっています。
1年を通して家族向けイベント(関連記事)やマーケットが開かれ普段からにぎやかですが、さすがはステージ舞台が残る同地、クリスマス期間中のいまは、週末に無料コンサートや子供向けワークショップが開催中です。
ところで、クリスタル・パレスとは水晶宮を意味しますが、実は公園に行ってもそれらしき建物は見当たりません。ちょっと謎めいたこちらの公園の歴史と現在の様子を紹介します。
水蓮に着想を得てデザインされたという水晶宮は、その名のとおりガラス張りが印象的なヴィクトリア朝様式の建物で、1851年にロンドンのハイド・パークで開かれた、世界初の国際的な大博覧会(Great Exhibition)の会場として作られました。
ガラス張りの建物といえば、王立植物園「キュー・ガーデン」の巨大温室(関連記事)を思い浮かべましたが、設計者のジョセフ・パクストン氏はもともと貴族のお抱え庭師で、すでにその頃別のガラス張り温室を設計していました。どうりで納得、と、まずはひとつ目の謎が解けました。
次なる疑問は、なぜそれが現在の公園があるシドナム地域に「あった」のか、ということ。ロンドン万博は産業革命を経て、当時絶好調だったイギリスの工業力を世界に知らしめる最高の機会となりましたが、鉄骨の枠組みとガラスで作られた水晶宮もまた、その斬新さと建築技術の高さで来場者を驚かせました。
それがたったの6ヵ月ぽっちで、万博後には取り壊されるとはなんとも惜しい……そういった市民の声に押され、ハイド・パークからの移設が決まったそうです。
けれどまだ最後の謎が……。
肝心の水晶宮はどこ?!現在の公園でそれらしきものといえば、やけに壮大な雰囲気を持つ巨大な階段や長い壁、壊れかけた石像などですが、ガラス張りの建物などどこにもありません。
1854年にシドナムの丘で再組み立て、一般公開されるやいなや、水晶宮は公園内の庭園や実物大の恐竜像が展示されているコーナーとともに、観光レジャー先として大人気となりました。1857年には作曲家ヘンデルの没後25周年追悼コンサートが開かれるなど、このときからすでに大規模な音楽イベントが催されていました。
1861年にはいまも地元で大人気、プレミア・リーグ加盟のプロサッカークラブ「クリスタル・パレスFC」の元となるアマチュアチーム(1905年にプロ昇格)が、敷地内のクリケット場で試合を行ったことが記録されています。
と、ここでちょっと暗雲が立ち込め始めます。1866年に“始め”の火事に見舞われ、焼けた一部は資金難で再建不可能に。興行面でも、水族館を作ってみたり野外劇や祭りを開くなどしていずれも人気を集めますが、1911年にはやはり資金繰りにあえぎ売却、クリスタル・パレス は1913年に国有化されます。
そして最後、昔は本当によくあった火災がまたしても襲い、1936年に水晶宮はついに全焼してしまったという……そういう結論でした。
これら一連の歴史については、市民から11年越しの要望を受け1990年に創設された博物館「Crystal Palace Museum」で詳しく知ることができます。
クリスタル・パレス駅からよく目立つテレビ塔を目指して徒歩で5分ほど、スフィンクス像の(テレビ塔から離れた方の)近くにあり、入館料は無料です。
ほかにも、国際的なボーイスカウトのキャンプ大会として知られる「ジャンボリー」の元ともいえる「スカウト・ラリー」が1909年に同公園で初開催されたことがきっかけで、女子向けの「ガール・ガイド(ガール・スカウト)」が発足されるなど、クリスタル・パレスで生まれたものは数多くあります。
1953年以降、残っているテラス部分やクリスタル・パレス駅の一部、恐竜ゾーンなどがイングランドの重要建造物2級(Grade II)に指定されるなど、歴史的な価値も高いクリスタル・パレス公園。かなり広いので、訪れた際はところどころにある施設案内の看板を見ながら、随所に目を向けてみてください。