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マカオのナーチャ祭り(中国語表記:哪吒誕)

マカオナビ

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マカオ特派員

更新日
2024年7月15日
公開日
2024年7月15日
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セントポール寺院跡を出発するパレード

ナーチャは中国の伝説に出てくる子供の姿をした神で、西遊記にも出てくる。日本では哪吒(ナタ)と呼ぶケースが多く、道教では護法神とされている。マカオにおいては清の時代、子供たちを守っている神として崇められ、その伝説が根付いた寺が二ヵ所建てられている。ひとつはセントポール寺院跡の脇。もうひとつはセナド広場を水坑尾(Rua do Campo)方向へ行った途中のビル、銀座広場の右手の坂を上がった中腹(柿山)にある。

セントポール寺院跡の傍にあるナーチャを祀った寺。左の壁も世界遺産。ポルトガル人の居住区を分けていた城壁。
セナド広場から水坑尾方面へ真っすぐ進み、銀座広場手前の坂道を上がったところにあるもうひとつのナーチャのお寺

この城壁は1569年には築かれており、現在残っているのはその残存部分。ポルトガル人がアフリカやインドでも行った居住エリアを守るための城壁の遺跡。マカオでは特に土砂・ワラ・牡蠣の貝殻等を混ぜ、木製の枠に流し込んで押し固めた【シュウナンボー】という、この地域に根付いていた技術や材料を使用し、何層にも重ねて作られてこの城壁ができあがりました。

ナーチャ寺院 写真:陳顯耀

マカオで300年以上続くナーチャへの信仰

聖ドミンゴ教会の前西洋と東洋が折り重なるマカオを象徴するシーン

マカオにおいては、さまざまな国の文化が混ざっているため、マカオ独自のナーチャ信仰となっている。一時的に政治的背景から30年ほどの空白期間があるが、そこを乗り越えて90年代に再開。90年代から30年前というと、1960年代。「一二三事件(マカオでの暴動事件)」が背景にあったのではと類推する。
90年代に復興してからは、マカオにおける大きな宗教行事のひとつとして現在にいたるまで連綿と続いている。

旧暦5月18日ナーチャの誕生日

ふたつの寺からそれぞれのナーチャが祀られた出し物が練り歩く

旧暦の5月18日はナーチャの誕生日とされ、今年は6月23日に行われた。
毎年セントポール寺院跡前から出発し、土産物屋が並ぶ道を通りぬけてセナド広場へ。そこから大きくまわり、最後はセントポール寺院跡の裏手まで戻る。

現地の通りの名前で記すとこの様なコースとなる。
・大三巴哪咤廟前地(起點)→ 大三巴街 → 賣草地街 → 議事亭前地 → 公局新市南街 → 營地大街 → 草堆街 → 十月初五日街 → 沙欄仔斜路 → 花王堂前地 → 連勝街 → 同安街 → 高園街

マカオ独自のナーチャ像

この金色の神輿のような中にナーチャが鎮座する

道教で崇められているナーチャはある部分は宗教であったり、ある部分では民話になっていたりと現代へと伝わるその像は、かなり大きな幅がある。

日本でも毘沙門天を祭る神社仏閣は多いが、新宿は神楽坂にある善国寺は安土桃山時代の文禄4年(1595年)、池上本門寺の第12代貫主である日惺上人により創建された日蓮宗の寺院。
同寺院のHPによると「本尊の毘沙門天は江戸時代より「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集め、芝正伝寺・浅草正法寺とともに江戸三毘沙門と呼ばれました。 現在は新宿山ノ手七福神のひとつに数えられております。」
とのこと。

ナーチャはその毘沙門天が原型とされる托塔天王(西遊記ではこの記述となっている)の三男であることから、哪吒太子(なたたいし)、哪吒三太子(なたさんたいし)という呼び名もある。道教では太子爺(たいしや)、太子元帥(たいしげんすい)、羅車太子(らしゃたいし)、中壇元帥(ちゅうだんげんすい)、哪吒天王や哪吒天尊など、多くの呼び名があります。

マカオのナーチャは子供のままの姿で、周囲にいた子供たちと遊び、そこで遊んでいた子供たちが急な坂で遊んでいてもけがもなく健康に育ったことから「ナーチャが子供たちを守ってくれた」と崇められております。

毎年のナーチャ祭りは旧暦を元にしているため、開催日が変わります。
観光局のHPやSNSでその年の開催日をアナウンスしているので、チェックしてぜひ見にきてください。

善国寺 公式HP

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