東京・国立西洋美術館で3月からブルターニュ展、画家が愛したポンタヴェンやナントに行ってみよう
東京・上野公園にある国立西洋美術館で2023年3月18日から6月11日まで「憧憬の地ブルターニュ ―モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷」展が開催されます。この特別展では、多くの画家がブルターニュに惹きつけられた19世紀後半から20世紀はじめに焦点を当てて、ブルターニュの風景や風俗、歴史を主題とした作品を一堂に集めています。
(記事上部)エミール・ベルナール《ポン=タヴェンの市場》1888年 油彩/カンヴァス 岐阜県美術館
画家を魅了したフランス国内の異郷
ブルターニュはフランス北西部、大西洋に突き出た半島を核とする地方です。ケルト系言語であるブルトン語を話す人々が暮らし、古来より特異な歴史文化が積み重ねられてきました。断崖の連なる海岸や岩が覆う荒野、内陸部の深い森、点在する古代の巨石遺構や中近世のキリスト教モニュメントなど、豊かな自然と素朴で信心深い生活様式、フランスにあってどことなくエキゾチックな雰囲気があります。
このフランス内の異郷は、ロマン主義の時代を迎えると芸術家たちの注目を集め、新しい画題を求めて彼らはブルターニュへ向かわせました。19世紀末にはポール・ゴーガン(ゴーギャン)を取りまくポンタヴェン派やナビ派といった美術史上重要な画家グループを生み出しました。
明治後期および大正期にかけては、日本から渡仏した画家たちもブルターニュに足を延ばしており、今回の特別展ではフランスを中心とする西洋画家だけでなく、日本出身画家たちの足跡と作品にも光を当てています。30ヵ所を超える日本国内の所蔵先と海外美術館2館から作品約160点を集めた他、ブルターニュの名を美術史に刻印した画家ゴーガンの作品12点も展示されます。
交通の発達がパリとブルターニュを近づけた
今回の特別展では、主に4つの章から展示構成されます。
第1章は「見出されたブルターニュ:異郷への旅」と題し、イギリスの風景画家ウィリアム・ターナーの水彩画やフランスの画家・版画家が手がけた豪華挿絵本など、19世紀初めの「ピクチャレスク・ツアー(絵になる風景を地方に探す旅)」を背景とした作品を集めています。
ブルターニュ地方が画家たちを惹きつけはじめたのは、19世紀はじめのロマン主義の時代。交通網が発達し、旅が身近なものとなったのが19 世紀後半以降です。そして章の後半では、ウジェーヌ・ブーダンやクロード・モネなど、旅する印象派世代の画家たちがとらえたブルターニュ各地の風景と、自然と向き合う画家たちのまなざしを作品から感じ取れる構造になっています。
第2章は「風土にはぐくまれる感性:ゴーガン、ポンタヴェン派と土地の精神」と題して、当時、実験的な創作活動の場だったブルターニュを知ることができます。
ブルターニュ地方南西部のポンタヴェンは、画趣に富む風景、古い建造物や民族衣装を着た人々といった豊富なモティーフのみならず、滞在費やモデル代の安さも手伝って多くの画家を魅了し、1860年代にはアメリカやイギリス、北欧出身画家たちのコロニーが形成されていました。フランスのゴーガンもポンタヴェンを気に入った画家の一人で、ゴーガンは1886 年から1894年までブルターニュ滞在を繰り返しながら制作に取り組みました。
ゴーガンやエミール・ベルナール、ポール・セリュジエらポンタヴェン派の画家たちは、単純化したフォルムと色彩を使い、現実世界と内面的イメージを画面上で統合させる「綜合主義」を構築し、彼らが生み出した芸術思想は、1880年代末にパリの画塾でナビ派が結成される引き金となりました。
第3章は「土地に根を下ろす:ブルターニュを見つめ続けた画家たち」と題して、ブルターニュにおいて画家が長期にわたって培った土地との対話のなかでのまなざしを追っています。
19世紀末から20世紀初頭にかけ、ブルターニュは保養地としても注目されるようになります。避暑だけでなく制作のため、パリやその近郊の住まいとブルターニュの行き来した末にブルターニュに別荘を構えて、この地を第2の故郷とした画家が多くいました。
19世紀末のジャポニスムを牽引した版画家アンリ・リヴィエールが描くブルターニュの穏やかな海や、農作業の牧歌的風景、篤い信仰に根差す同地の精神に共鳴したナビ派の画家モーリス・ドニが、この地で過ごす家族の姿を宗教的文脈のうちに描いた作品は、ブルターニュの海岸を古代ギリシャの海に見立て地上の楽園のイメージを作り出しています。一方でバンド・ノワール(黒の一団)と呼ばれたシャルル・コッテやリュシアン・シモンらは、ブルターニュの風俗や自然を独自のレアリスムで描きました。
最後、第4章は「日本発、パリ経由、ブルターニュ行:日本出身画家たちのまなざし」です。ブルターニュが多様な表現の受け皿となっていた時期は、日本における明治後期から大正期にかけて。芸術先進都市であったパリに留学していた日本人の芸術家たちも、その風景や風俗を画題に作品を制作していました。黒田清輝や久米桂一郎、山本鼎、藤田嗣治、岡鹿之助らが描いたブルターニュを展示しています。
- 名称
- 国立西洋美術館「憧憬の地 ブルターニュ ―モネ、ゴーガン(ゴーギャン)、黒田清輝らが見た異郷」展
- 住所
- 東京都台東区上野公園7番7号
- 期間
- 2023年3月18日〜同6月11日
参照:国立西洋美術館、フランス観光開発機構
ポンタヴェンへの行き方と見どころ
さて、「憧憬の地 ブルターニュ ―モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷」展を見終わると、当時の画家たちが感じたブルターニュという土地とはどのような場所なのか気になってくると思います。上記の説明文にもしばしば出てきたポンタヴェンは、ブルターニュの西部の中心都市カンペールからバスで1時間ほど行った先にあります。
アヴェン川のほとりに白壁の家々が並び、水車小屋が建つ風景は、芸術家たちが愛した町という雰囲気ぴったりです。町中にはギャラリーやアトリエも点在しています。またポンタヴェン派の作品を展示するポンタヴェン美術館もあります。ゴーガンはタヒチに移り住む前にここポンタヴェンで暮らしていましたが、そのポンタヴェンでの見どころのひとつが、ゴーガン『黄色いキリスト』のモデルとなった木像です。ゴーガン広場から1kmほど進んだ先の、素朴な石造りのトレマロ礼拝堂にあります。
ちなみに『黄色いキリスト』はアメリカの米ニューヨーク州バッファローにあるオルブライト・ノックス美術館の所蔵。『黄色いキリストのある自画像』はパリのオルセー美術館が持っています。
- 名称
- Musée de Pont-Aven(ポンタヴェン美術館)
- 住所
- Place Julia 29930
- 名称
- Chapelle de Trémalo(トレマロ礼拝堂)
- 住所
- Tremalo 29930
ブルターニュを知るならナントもおすすめ
今回の展覧会では、ウィリアム・ターナーの『ナント』をはじめ、ナントに縁ある作品や資料も展示されます。ナントは旧ブルターニュ公国の首都であり、ブルターニュ公国最後の大公となったアンヌ女公が生まれ暮らした場所です。
パリからは訪れるには、パリ・モンパルナス駅からTGVを使って約2時間。ナント市内にはブルターニュ大公城といった歴史遺産のほかに、1843年に建てられた3層構造のアーケード街であるパッサージュ・ポムレ、ジュール・ヴェルヌやレオナルド・ダ・ヴィンチの世界観を表現したような機械仕掛けの芸術プロジェクト「レ・マシーン・ド・リル」や市内に点在する現代建築や現代アートでも知られています。
そしてジュール・ヴェルヌは、じつはナント出身。当時はまだ川の中洲だったフェイドー島で生まれ、その生家が残っています。また市内にはジュール・ヴェルヌ博物館もあり、『80日間世界一周』や『海底二万里』などの冒険小説を書いたジュール・ヴェルヌの原点に触れられます。
フランスに少し詳しい人ならご存知かもしれません、フランスのビスケットメーカー「LU(リュ)」もナント生まれです。LUの工場跡にはカルチャースペースである「リュ・ユニーク」があり展覧会やコンサートスペース、飲食店などが入ります。
ブルターニュの歴史や風俗をひもとく旅の出発地として最適です。
- 名称
- Les Machines de l'Île(レ・マシーン・ド・リル)
- 住所
- Parc des Chantiers, Bd Léon Bureau, 44200
筆者
フランス特派員
守隨 亨延
パリ在住ジャーナリスト(フランス外務省発行記者証所持)。渡航経験は欧州を中心に約60カ国800都市です。
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