ヴェローナの魅力を徹底解剖 ロマンティックな町の歴史と名所を巡る旅

公開日 : 2023年06月05日
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ロマンティックな恋物語が似合う町

緩やかな丘に抱かれ、アディジェ川がゆったりと蛇行するヴェローナ。ガルダ湖からの風が、町を優しく横切る。古代ローマ時代から芸術、文化、農業、商業の中心地として、北イタリアの繁栄の鍵を握っていた町であった。
ローマ時代の名残は、アレーナ、テアトロ・ロマーノ、ボルサーリ門などに見ることができる。中世においては、自治自由都市として神聖ローマ皇帝に対抗した「ロンバルディア同盟」の一員であったが、もともとは皇帝派の都市であった。

その後、野心的なスカラ家を領主としていただく領主制国家(13~14世紀)となり、特にカングランデⅠ世の時代には繁栄を極め、教皇派の町・フィレンツェを追われた、皇帝派のダンテを受け入れた。この時代、聖なる物と世俗的なる物が、バランスよく建築され、サン・ゼーノ・マッジョーレ教会をはじめ、サンタナスターシア教会、カステルヴェッキオ、スカラ家の廟びょうなどが造られた。

その後、ミラノの支配を経て、15世紀からはヴェネツィアの支配下におかれるが、数多の芸術家に活躍の場を提供し、その才能を開花させた町でもあった。ヴェローナ派と呼ばれるピサネッロPisanelloやヴェロネーゼVeroneseなどの画家だけでなく、ヴェローナの主要建築物を手がけたミケーレ・サンミケーリMichele Sanmicheliやコンシリオの回廊を造ったフラ・ジョコンドFrà Giocondoなどがいる。

ロメオとジュリエッタのヴェローナ

この町を語るときに欠かせないのが、シェークスピアの名作「ロメオとジュリエッタ」。真憑性はともかくも、この町には彼らの遺物が今も多く残る。この美しい古都は、ロマンティックな想像をいっそう膨らませ、夢物語を現実の物として仕立ててしまったのだろうか。ちなみに、シェークスピアは、ヴェローナを訪れたことはなかったという。
スカラ家の廟のあるVia Archeに、ロメオもその一員であったモンテッキ家(Via Arche Scaligere 4)がある。1300年代に建てられた、今では崩れそうに古い家だ。(中には入れない)。このすぐ近く、エルベ広場を抜けるとジュリエッタの家がある。ツタのからまる13世紀の建物で、小さな中庭にはジュリエッタの像が立ち、ロメオと愛を交わした大理石のバルコニーは、今も残っている。

ここから、アレーナのあるブラ広場に戻り東に延びる、Via degli Alpini、Via Palloneを通り、橋の手前を右に折れたLungadige Capuletiの右にあるかつてのカプチン派の修道院(現在はフレスコ画博物館Museo degli Affreschi)の中に、ジュリエッタの墓はある。中庭にある地下埋葬所の石造りの古い狭い一室に、赤大理石の石棺が置かれる。フタもなく、中は空だがひととき美しいジュリエッタを思い描いて……。

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