【岡山】弥生墳丘墓としては最大級の「楯築(たてつき)遺跡」~王墓の丘史跡公園~
島根県の西谷墳墓群を訪れた時、「出雲弥生の森博物館」という資料館で、突出型墳丘墓の日本最大級のものが地元、倉敷市にある事を知り行ってきました。墳丘墓というのは弥生時代後期に造られた盛土のお墓で、この形が後の古墳時代の前方後円墳につながるといわれています。場所は、備中国分寺から東へ4kmほどの岡山市と倉敷市の境になります。
この楯築遺跡は弥生時代後期の全長72㍍にもなる墳丘墓です。上のイラストが墳丘墓の全容で、突出部ひとつは団地の造営工事のため破壊されています。造成工事の翌年、学術調査が入っているので重要性がわかっていたのに「時すでに遅し」だったというところでしょうか。
イラストの上側の北東突出部のスロープから、頂墳の5個の巨石を眺めています。ストーンサークルのように墳頂を囲っていますが、このような遺跡は弥生時代には類例がないそうです。
祠にはご神体といわれる国の重要文化財にもなっている弧帯文石(せんたいもんせき)が安置されていましたが、今は収蔵庫に収められているそうです。この弧帯文石は、邪馬台国ではないかといわれている奈良の纏向遺跡でも発見されているそうです。古代ヤマトと吉備王国をつなげる手がかりのようです。
外箱(槨)の中は鉄剣や翡翠や硝子の首飾りの副葬品が収められ、木棺には当時不老長寿の薬と考えられ、大変貴重だった朱(水銀朱)が敷きつめられていたとか! 埋葬されていた人は相当の権力の持ち主だったのでしょうね。
楯築遺跡の周囲には、古墳時代の小さな横穴式の古墳も沢山あります。この古墳は「向山古墳群15号墳」と看板がありました。古墳のある辺りは、墳丘墓とは打って変わり、周りの竹藪に陽の光が遮られ、鬱蒼として暗い感じです。お弁当を広げられるような広いベンチのようなものもありましたが、ピクニックをするような雰囲気ではありませんでした。
この辺りは王墓の丘史跡公園とも呼ばれ、楯築遺跡、日畑廃寺、王墓山古墳などの史跡のほか、総数60基にもおよぶ古墳が残されています。西に国内第4位の規模を持つ「造山古墳」東には第7代・孝霊天皇皇子の大吉備津彦命の墓といわれる中山茶臼山(なかやまちゃうすやま)古墳があり、楯築遺跡、ここで出土した弧帯文石(せんたいもんせき)、特殊器台は、日本遺産”「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま〜古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語〜”の構成文化財のひとつともなっています。
- 住所
- 岡山県倉敷市日畑・庄新町
- 公式サイト
- 倉敷市公式サイト
- 交通アクセス(車)
- 岡山自動車道岡山総社ICから約15分
- 交通アクセス(公共)
- JR庭瀬駅からタクシー約15分
筆者
岡山特派員
mami
岡山生まれの岡山育ち。岡山市内在住の生粋の「おかやまっ子」です。
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