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99号線カメハメハ・ハイウエイを北上し、海沿いを走る83号線と交わる最初の町がハレイワだ。3km にも満たない町のメインロードには、1900年代の木造の建物を利用したサーフショップやギャラリーが点在している。時の流れとともに少しずつ変化しつつも、まだまだオールドハワイの名残をとどめている。 この町では、ウインドーショッピングをしながら、その古い建物が経てきた歴史に思いをはせ、ノスタルジックな風情に浸ってほしい。
オアフ島の真ん中を南北に走るカメハメハ・ハイウエイ。この道が島の北岸に突き当たったところにある小さな町・ハレイワ。“サーファーの町”として、観光客に人気のストリートだ。
確かに数多くのサーフショップが立ち並び、蛍光色の派手なTシャツが店先を飾る店は多い。しかし、旅行者がひとめでこの町に魅せられてしまうのは、町全体に漂う穏やかで、のんびりとした雰囲気なのだろう。日の光に焼け、すっかりくすんでしまった木造の家の壁、古びた看板、店の前で楽しそうにほほ笑み合う人々。誰ひとりとして、あくせく働かない。建物も人も、ゆったりと流れる時に身をまかせているかのように感じられる。
車で駆け抜けると5分もかからないこの町で、いちばん有名なのがマツモト・シェイブアイス。つまり、かき氷。日本のかき氷をアメリカ風にアレンジしたシェイブアイスは、紙のカップにじゃりじゃり氷をかいてくれる。鮮やかな色のシロップでデコレートしているところが、何といってもハワイっぽい。スモールサイズでも量はタップリ。店の前には、評判のシェイブアイス目当てに押しかける人の姿があとを絶たないが、この量と味ならば納得できるというものだ。ギンラメをあしらったオリジナルTシャツや、ヨットパーカーも販売している。
ハレイワの再開発プロジェクトによって誕生したショッピングモール「ハレイワ・ストア・ロット」も人気を集めており、バラエティ豊かなショップが集結している。
ノース・ショアの古い歴史はよくわかっていないが、絶好の漁場だったことを考えると、ハワイアンの先祖といわれるポリネシア人がハワイ諸島に移住して間もなく、この地にも村ができ始めたと思われる。
1770年代には、その後ハワイ国王となるカメハメハの命により、神官カオプルプルによってワイメアにオアフ島最大のヘイアウが建てられ、ハワイ統一後も1819年までさまざまな儀式が行われたという。
オアフ島北部に西洋文化が流入したのは1832年夏のこと。エマーソン夫妻率いる宣教師団がやってきて、当時のラアヌイ酋長に面会。酋長らは快く彼らを受け入れ、アナフル川沿いに草ぶきの教会とミッションスクールの建設を許した。
その草ぶきの建物は“イワ(軍艦鳥)のハレ(家)”と呼ばれ、これが後に町の名前となった。アナフル川の河口近くにサマーハウスをもっていたリリウオカラニ女王も滞在中はこの教会で礼拝し、1892年には時計を寄贈している。
19世紀末からハワイにやってきた各国の移民たちの手により、近辺ではサトウキビ産業が盛んになる。間もなく鉄道がホノルルまで開通、サトウキビのほかさまざまな物資や観光客を運んだ。一気に活気づいたハレイワは商業の町へと変貌し、市場、レストラン、理髪店などが立ち並び、町いちばんのハレイワ・ホテルには9ホールのゴルフコースまで造られたという。
しかし1940年代に鉄道が廃止され、第2次世界大戦が始まると、ハレイワの時計は止まってしまう。戦後、1950年代に入りサーファーたちが波を求めてやってきたが、ハレイワが大きく変貌することはなかった。現在も砂糖産業華やかなりし時代に建てられた家屋が残り、当時のノスタルジックな雰囲気が漂う田舎町である。