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ナポリから約9㎞の海岸線上に位置するエルコラーノの町はギリシア人都市として生まれ、古代ローマ直属の自治都市として栄えた後、大都市ナポリに近く美しい景観が人気を集めローマ貴族の別荘地となった。現在は無計画に建てられたアパートがひしめき合う典型的なナポリ近郊の住宅地であるが、その下には歴史の残したもうひとつの町が眠っていて、新市街を海に向かって下りて行くとまるで時間のヴェールをはがしたような古代都市の一角に出合える。62年に地震の被害を受け復興作業を終える間もなく、79年べスヴィオ火山の噴火に見舞われたエルコラーノ。ポンペイのように農・商業が盛んではなかったが、港町であることから経済的に豊かで文化水準の高い町であったことが発掘された美しい家屋の装飾や彫刻からうかがえる。また、ポンペイが空から降ってきた火山灰によって埋め尽くされたのに対して、エルコラーノは流れてきた溶岩流に埋められてしまった。町を埋めた土は硬く固まり発掘は困難であったが、失われやすい木材がテーブルやベッドの形を留めたまま溶岩の下に残っており、布や食物なども発見され歴史を探る貴重な研究材料となっている。発掘された遺跡はポンペイの4分の1にも満たない広さだが、その保存状況と充実度はまったくひけをとらない。多くの出土品はナポリの考古学博物館に展示されている。チケット売り場の門を抜け、右側に遺跡を見下ろし松の木陰から見え隠れする海の水平線を眺めながら坂道を下りていくと、南北に走る3本のカルドと呼ばれる大通りと東西を横切るデクマーニと呼ばれる通りできれいに区画された遺跡に入る。チケットはここで切られる。
松の木陰の先に青い海が広がり、絶好のロケーションにあるエルコラーノ遺跡。点在する邸宅も華やかなモザイクに彩られ、古代人の生活がどのようなものだったか想像力を刺激して止まない。遺跡はさほど広くないので、見どころを順に回り、公開されている内部を見学しよう。邸宅からの美しい風景や奥にひっそりと輝くモザイクなど、いたる場所で古代人の生活と美意識が身近に感じられる。
町の主要施設で、入口は男女別に分かれている。漆喰に波型の溝が付いた丸い天井の部屋が脱衣所で、上の棚は衣服置き場として使用されていた。ここにいると汗を流しに来た人々の談笑の声が響いてきそうだ。
女性用の脱衣所の床にはトリトーンがキューピッドや海の生き物に囲まれたモザイクが施されている。
コリント式柱の入口を抜けると中央に雨水槽を置いたアトリウムがあり、それを囲んで各部屋の入口がある。壁上部には柱廊が装飾され、まるで二階建てであるかのようだ。
アトリウムの奥には半円に彫り込んだ壁に狩りの様子を描いた噴水跡がある。その横には家の名となったふたりの神の姿がそれぞれ練りガラスのモザイクで華麗に描かれ、食堂の壁を飾っている。
中庭に面した部屋の一室が黒色で装飾されている。玄関には木の蝶つがいが残っている。道を挟んだ向かいの家(Casa di Bel Cortile)には埋もれていた遺体が展示されている。
アトリウムと食堂を仕切っていた可動式の木板壁の両端部分が残っている。典型的な貴族の家が62年の地震後に商店に改装されたもの。
れんがの柱で支えられ、道に迫り出したバルコニーが特徴。民衆のために安い建築費用で建てられた3つの入口をもつ共同住宅。骨組みは木で、その中は石が積み重なっている。
玄関の床とアトリウムは幾何学模様などを施した白黒のモザイクで飾られている。2棟からなる中の一方には「ディアナとアクタエオン」の壁画やガラス窓などが残っている。
裕福な貴族の家のひとつ。見晴らしのよいテラスは海に面している。庭園から猟犬に追われる鹿の彫刻が出土したことからこの名で呼ばれるようになった。