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海辺から高台に広がる、かつての漁師町であり、今はナポリのベッドタウン。海岸沿いにレストランやバーが多く、おいしい魚料理と開放的な雰囲気を求めて訪れるナポリっ子が多い。町は、紀元前6世紀のギリシア、サモスの植民都市としての歴史を持ち、ローマとの貿易の中継点として栄えた。また、その後ローマ時代には、歴代皇帝が風光明媚で温泉に恵まれたこの土地を愛し、一帯には多くの別荘が築かれたという。町なかには、神殿跡や円形劇場などが残り、華やかであっただろう2000年の昔をしのばせる。
ナポリから地下鉄2号線で約40分、Pozzuoli駅下車。円形闘技場は地下鉄駅近く、ソルファターラへは駅を出て坂道を上る(約800m)、または市バスP9番で。
ナポリのCorso Vittorio Emanuele駅からは私鉄クマーナ線を利用して約25分。到着は港の近く。
4000年前の噴火の際に形成された火口跡で、タテ×ヨコ、770m×580mの広さ。その温泉は不妊や潰瘍、リューマ
チなどに効能があり、19世紀まで硫黄泉やファンゴ(温泉泥)などを使った温泉施設として利用されていた。現在は、噴煙が上がる荒野という風情だ。緑の広がる公園の中心に荒涼とした噴煙地が広がる。現在は平らに見える中央部分は火口の底で、周辺を囲むやや小高い土地が火口淵だ。
公園奥、ひときわ白煙が上がるグランデ・フマローラGrande Fumaroraでは、今も大地が赤黄色に燃える様子も観察できる。噴煙のそばや古代サウナ跡Stufe Antiche(入場不可)は、近くにいるだけで汗ばむほどで効能を実感できる。中ほどの右側にある、石造りの円筒形の建物は、中世には効能が名高かった温泉を汲み上げた古代井戸。この中央左、ファンガイアFangaiaの無数の小さな穴からは140度の高温の温泉と泥炭が湧いている。
緑の木陰が影を落とす円形闘技場だ。69~79年頃、ネロ帝のもとで着手され、ヴェスパシアヌス帝の時代に完成された物。闘技場の広さは長径×短径、149m×116m、アレーナ部分が75m×42mで2万人を収容したという。構造的には小さなコロッセオといった風情だが、下部を見学できるのが珍しい。闘技場の形通りに楕円形に二重の通路がめぐらされ、アーチが続き、戦いのための動物を入れた檻や動物をアレーナへ引き上げた造作も残っている。305年、ディオクレティアヌス帝治世のキリスト教徒弾圧の時代には7人のキリスト教徒がここで動物たちと戦わされたという。
港近く、ちょっとさびしげな町並みから唐突に眼下に広がるのが、水に浮かぶセラピーデ神殿。1750年からの発掘途中にエジプト神の彫像が発見されたことから、神殿と考えられていたが、実際は1~2世紀の港に続く市場跡とされている。
この地域の地盤沈下を示すかのように一部は水没し、楕円形に広がる中庭の周りに商店が並び、中央にはトロス tholosと呼ぶ円形の神殿が16本の柱で支えられ、後陣には3本(オリジナルは4本)の柱があったという。床部には大理石が張られ、後陣の左右には公衆トイレがあったというのも珍しい。内部には入れず、見学は上部からのみ。
ポッツォーリの海岸を見下ろす高台にある考古学施設。数千年に渡る地層が残り、そこに約1500年前の古代の町並みが地下1階と2階に分かれて広がる。道の両側には商店や倉庫跡、井戸やパン屋の脱穀や製粉の機械、かまどなどが並び、古代の人々の暮らしを感じることができる。
リオーネ・テッラ地域は、紀元前7世紀には人が暮らしていたというポッツォーリでも最も歴史のある地域だが、地震被害などにより1970年頃からは無人となり、考古学施設以外は立ち入りできない。