- イタリア
コロナ禍イエローゾーン中サレルノドライブとランチ
2021.6.12
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11~12世紀にノルマン人の支配下で黄金期を迎えたサレルノ。海岸通りには長い遊歩道が続き、港には大きなタンカーが何隻も停泊している。旧市街ではナポレターノよりも少しおっとりしたサレルニターノたちが、観光客を笑顔で迎えてくれるはず。
1079年、聖マタイの遺物を祀るために創建された教会。階段を上がると、入口手前には28本の円柱がアーチを描くアトリウム(前庭)が広がり、右にはクーポラを頂く12世紀の鐘楼が見え、アラブ的雰囲気だ。どこか、ガランとした印象だが、内部は貴重な美術品やモザイクで飾られている。
内部は堂々とした3廊式。まず目を引くのがモザイクで飾られた大きな説教壇。右は13世紀のもので、手前の復活祭用の大きな燭台も同時代のもの。左はさらに古く12世紀のもので、細やかな装飾の施された柱頭飾りが見事だ。後陣のモザイクは大迫力で、特に主祭壇右の十字軍の礼拝堂Cappella di Crociate(またはグレゴリウス7世の礼拝堂)は出征前の十字軍の兵士が神のご加護を願ったと言われ、大天使ミカエルの輝くような13世紀モザイク画が飾る。この他、翼廊の大理石製
の多翼祭壇画や中央祭壇左手前の古代ローマの石棺を用いたマルゲリータ王妃の墓碑Sepolcro di Margherita di Durazzoなども必見だ。
地下のクリプタCriptaは17世紀のバロック様式で再建され、大理石の象嵌細工とフレスコ画で華やかに装飾され、大きな「聖マタイ像」は、17世紀のもの。
町の西側、トリエステ海岸通りLungomare Triesteのほぼ終わりに位置する広場。市庁舎と県庁舎が建ち、広場は駐車場と化しているが、ほぼ正面にヴェルディ劇場、高台にはアレキ城の姿が見える。ローマ通りには庶民的な飲食店も多く、夜はにぎわいを見せる。広場から市民公園Villa Comunaleに続いており、バロック様式の噴水で飾られた、よく整備された緑のオアシスが広がる。
トリエステ海岸通りは駅近くの海沿いから約1㎞に渡って続く遊歩道。緑陰が続き、西側には小さなビーチもあり、夏には海水浴を楽しむ人たちでにぎわう、市民の憩いの場だ。
海岸通りに並行し、旧市街を東西に走る中世の通り。中世の建物や邸宅、みやげ物屋やブティック、古いカフェなどが続く楽しい散歩道だ。
通りの突き当たりにはロンゴバルド族の領主の館のアレキ門の名残が見られる。残念ながら、後年の建物に取り込まれ、かつての姿は想像で。
メルカンティ通りと交差するドゥオーモ通りを少し南へ(海側)入った教会。歴史はロンゴバルドの時代に遡り、町最古の女子修道院と教会が置かれていた。教会は17世紀にバロック様式で改築され、金色に彩色された漆喰細工、天井や壁面はアンジェロ・ソリメーナと息子のフランチェスコによりフレスコ画で華やかに装飾が施されている。
メルカンティ通りに面して建つ、20世紀初頭の邸宅にある。15~18世紀の祭壇画や絵画などを展示。特に興味深いのが、奥の部屋に展示された外国人画家によるアマルフィ海岸の風景画。グランドツアー(18世紀、イギリスの良家の子弟による教養ツアー)にも組み込まれたという当時の風景と自分たちが見てきた風景を比べてみるのも面白い。
かつてのサン・ベネデット修道院の一角にある博物館。紀元前8~1世紀のサレルノ県のネクロポリなどで発掘された埋葬品を展示。細かな細工や紋様が美しく、当時の文明の高さを感じさせる。2階の「アポロの頭部」Testa Bronzea Apolloはサレルノ湾から1930年に引き上げられた紀元前1世紀のカンパニア製。この博物館のシンボルだ。
高台にはサレルノ湾を一望する中世のアレキ城Castello Medievale di Arechiがそびえる。内部には中世の陶器やコインを展示。ミネルヴァ神の庭園Giardino della Minervaは13~14世紀には薬草を
育てたヨーロッパ最古のサレルノ医学学校の付属植物園。