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イタリア半島の最も東に位置する町で、迷路のような路地にはカラフルな地元産の陶器を売る店が並び、坂道の先には美しい海が広がる。町を守る堅牢な城塞がのどかな港町に不釣合いな気がするが、大聖堂へ出かけると、その謎も解ける。1480年、トルコ軍が嵐を避けて、オートラントに上陸。町の人々は2週間もの間、抵抗を続けたものの町は壊滅的に破壊され、イスラム教への改宗を強制された。そして、これを拒んだ住人800人が殺害されたのだった。この凄惨な戦いを契機に、町を防御する城壁が築かれ、大聖堂の祭壇右側にはこの時の犠牲になった人たちの頭蓋骨が今も祀られている。現在の城塞からは、白いヨットが浮かぶ美しい海が広がり、その脇には海水浴やダイビングに興じる人たちを眺められる平和な光景が広がっている。
レッチェから私鉄スド・エスト(Sud-est)の列車で1時間30分~2時間42分。直通はなくZollino、Maglieで要乗り換え。1日6~10便。切符€3.50、私鉄スド・エスト(Sud-est)鉄道
レッチェからサレント・イン・バスのLinea110で所要約1時間、1日8便、€2.80
アラブ・ゴシック様式の大きなバラ窓が正面を飾る大聖堂。プーリア州で最大の聖堂であり、ロマネスク様式の傑作と称されている。
円柱が並ぶ内部の床一面にはモザイクが残され、これも南イタリア最大規模のモザイクだ。1163~1166年に修道士により描かれたモザイクは、聖堂中央の床に、「生命の木」と呼ばれる寓意画を中心に、聖書やブルターニュ騎士道物語、星座の十二宮にまつわる暮らしが描かれている。回廊部分は、アレクサンダー大王とアーサー王の物語で縁取られている。ビザンチン、ギリシア、ノルマンと、さまざまな要素が組み合わされ、壮大な物語を刻んだモザイクはこの町でしか見ることができない貴重なものだ。聖堂内の正面右の礼拝堂に、オートラントの殉教者Martiri di Otrantoの聖遺物(頭蓋骨)が納められている。さらに地下には11世紀のクリプタがあり、美しい柱頭を持つ68本もの柱が密に並んだ荘厳な空間。一部にビザンチン時代のフレスコ画を見ることができる。
1480年のトルコ軍の襲来を機に、アラゴン家が町の防御のために建設した城塞。5角形の平面に3つの塔を従えた独特のフォルムで、テラスからはアドリア海のすばらしい眺めが広がる。
ビザンチン時代に建てられ、内部は三廊式のギリシア十字架形。
8本の円柱が並び、そのうちの4本がクーポラを支える。左側廊には、ビザンチン時代のフレスコ画が残る。