旧造船所オープンスタジオでサンフランシスコの産業遺産に触れた事

公開日 : 2024年05月09日
最終更新 :

以前は立ち入る事すらできなかった場所の一つに、「ベイビュー・ハンターズ・ポイント地区」がありました。かつては海軍の造船所や火力発電所があった場所です。ここには軍が閉鎖になった後も周辺住み続けている方もいいます。ガントリークレーンが立ちはだかり、廃れた廃墟の雰囲気が漂っていました。しかし、昨今ここは再開発の大きなうねりを受け、10年、5年前いや2年前とも全く違い新しい住宅ができています。

また以前からアーティストさん達が、海軍のビルに住み始めていてアトリエとして使っていて、先日オープンスタジオがあると言うので行ってみました。芸術と産業建築との摩訶不思議な空間でした。

ほぼ終点の”ハンターズ・ポイント”
ほぼ終点の”ハンターズ・ポイント”

オープンスタジオのシップヤードまで公共交通機関を使っての行き方ですが、ダウンタウンあたりからは#15バス(パロウ&サードSt行き)。もしくは#19バス(シップヤード行き)です。行きは#19を利用してみました。

#19はフィッシャーマンズワーフ(ギラデリSQ付近)からシップヤードまでの南北の長いルートです。ルート途中テンダーロインを通ったり倉庫、工場地帯を通過するため少し怖く感じるかもしれません。ミュニバスに乗り慣れていない場合は、SOMAからドッグパッチを通る#15で行った方が安心でしょう。

高速道路周辺、ヒト気のない殺風景なエリアを通過(ブッチャータウン周辺)
高速道路周辺、ヒト気のない殺風景なエリアを通過(ブッチャータウン周辺)

バスは淡々と倉庫、工場、修理工場、廃材置き場のような場所を抜け、終点付近のハンターズ・ポイントの現在は、再開発の重要ポイントでコンドミニアム建築ラッシュです。

真新しい住宅街の端っこが終点シップヤード。フェンスが張り巡らせれて降りるのがちょっと躊躇しましたが、アートスタジオのオープンハウスだったので、もう一人降りる人がいて安心。バスはここからUターンして始発になりました。オープンしているビルにはカラフルな旗が掲げてありました。

旧軍事施設らしくビルの名前は番号
旧軍事施設らしくビルの名前は番号
各部屋には作家さんの作品が展示されています。
各部屋には作家さんの作品が展示されています。
廊下で談笑
廊下で談笑

今回のオープンスタジオを主催したのが、「ハンターズ・ポイント・シップヤード・アーティスト(HPSA)」このアーティスト活動団体は、1983年に発足し40年も活動を続けています。旧海軍・造船所施設内に現在約300人のビジュアル・アート、ミュージシャン、作家さんが住んで(レンタル)います。朽ちかけた外観からは想像がつない芸術の空間です。

飲み物、スナックが用意されていました”おもてなし”
飲み物、スナックが用意されていました”おもてなし”

各お部屋には住居人のアーティストさんが迎えてくれます。飲み物やスナック、フルーツなどが用意されていて、作品の紹介や談笑を交え過ごします。購入したい場合は商談したりしていました。絵画投資家?と思うような方もちらほらいました。ここには歴史的な芸術家がいるかもしれません。

目利きから私のようなお楽しみ見学者までいろんな人が訪れていました。

【Hunters Point Shipyard Artista】

住所
451 Galvez Ave, San Francisco, CA 94124

アメリカの戦争産業遺産を垣間みた

ハンターズ・ポイント・ガントリークレーン
ハンターズ・ポイント・ガントリークレーン

シップヤードの広さは258ha。サンフランシスコ地図を見ると南東(右下)部分にほぼ白抜き状態の場所が1941〜1974年までハンターズ・ポイント海軍造船所だった所になります。核の応用研究施設あり、先の大戦ではここから核分裂用の装置を積み込んだとして知られています。アーティスト協会のロゴにも使われ、地域のランドマーク的な存在が「ハンターズ・ポイント・ガントリークレーン」。高さ約138m、重さ8,400トン。とにかくでっかいです。軍艦や空母などの修理用として1947年アメリカン・ブリッジ社によって作られました。当時は世界最大のガントリークレーンだったそうです。

きちんとした形の入江と思ったらドックでした。
きちんとした形の入江と思ったらドックでした。

ピーク時の第二次世界大戦終了の頃ここに約1万8000人の男女の従事していました。軍から払い下げられた1974年以降は商業船修理場となりました。この近くには火力発電所もあって、放射能汚染と合わせ環境汚染が心配されていた場所です。

オープンハウスのおかげで奇しくもこの旧造船所を見学することもでき、改めてサンフランシスコは軍で成り立っていた都市だったのが分かります。観光地的な場所ではありませんので、おそらくほとんどの方はやってくることはないかもしれませんが、これもサンフランシスコです。

サンフランシスコ中心部を遠くに臨む
サンフランシスコ中心部を遠くに臨む

ものの本によれば第二大戦頃までの産業に大きく寄与した施設を「産業遺産」と呼ぶようですが、この施設もひょっとして産業遺産かもしれません。ここで撮った写真の枚数にびっくりしてしまいました。考えてみれば、アルカトラズ島も大好きだし…。ひょっとして私は産業遺産フリークかもしれません。

新築の家の前を走る#15バス。
バス停で待ってる10分足らずの間に内覧会(オープンハウス)の
お客さんが入れ替わり立ち替わり来ていました
新築の家の前を走る#15バス。
バス停で待ってる10分足らずの間に内覧会(オープンハウス)の
お客さんが入れ替わり立ち替わり来ていました

++++++
昔々、確か1990年代ゼネコンのCMで”地図に残る仕事”ってコピーがありました。このシップヤードあたりは今はかなり白抜きになっていますが、これからシップヤード周辺は詳しく地図に掲載される場所になりますね。 

筆者

アメリカ・カリフォルニア州特派員

美丸(Mimaru)

サンフランシスコ在住ビアジャーナリスト。全米のクラフトビール探求の日々、訪問したブルワリー、タップルーム情報は随時投稿。

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