50オトコの50日間世界一周。地球のまわり方! 第2回 チリ~ポルトガル編

私、嵐よういちは旅行作家をやっていて世界中を渡り歩いています。現在までの訪問数は90ヵ国近くになりますが、世界一周をこれまで一度もやったことがなく、タイミングが合えば挑戦したいと考えていました。第1回 フィジ~ニュージーランド編に続いてチリ~ポルトガル編をお届けします。写真はブラジル・サンパウロの町角にて。
11年ぶりのサンティアゴ

チリの人口は1875万人(2018年・国家統計院調べ)で、首都サンティアゴは668万人(2018年・国連推計)です。公用語はスペイン語。ワイン好きの人は美味しくて安いチリ・ワインにお世話になっている人もいるでしょう。
サンティアゴに来たのは11年ぶりです。当時はスーパーで売られているワインの種類の多さと安さに驚き、昼間から部屋で飲みまくっていた記憶があります。1週間以上滞在して町をひと通り見たので、今回の旅では避けようと思いましたが、フライトの都合上、再びサンティアゴです。
朝5時半に到着した私は空港からタクシーに乗りました。運転手は上手な英語で話しかけてきたのですが、11年前はそんな人はわずかで、スペイン語でまくし立てるように話しかけられたものです。私のスペイン語能力は、まったくできない人からすれば話せるように聞こえるかもしれませんが、旅行で使う最低限のことしか現在はわかりません。20年くらい前なら簡単な会話ならできましたが使っていないので忘れてしまいました。
泊まるホテルは11年前と同じ所です。懐かしいというよりも、老朽化が進んでボロくなっているなというのが正直な感想。
オークランドで機材トラブルがあったので着いた時には疲れきっていて、シャワーを浴びて寝ることにしました。起きたのは3時間後。時刻は13時近くだったので町を歩くことにしましたが、不運なことに日本のゴールデンウィークのような連休中で、町は閑散としていました。人は少ないし店も閉まっている所ばかり。この日は体を休めることにしました。

●時差ボケのまま市内観光へ
夜11時ぐらいに寝たのですが、夜中の3時に目が覚めてそれからまったく寝ることが出来ません。時差ボケのようです。ニュージーランドとチリの時差は15時間で、そうならないほうがオカシイです。寝られないのでPCをネットにつないで動画などを観ていました。
朝食を食べて町を歩き始めましたが、祝日なので開いていない施設があるし、その昔行きつくした感があるので暇になってしまいました。
サンティアゴは観光地ではないのですが、中央市場にだけはぜひ行って欲しいです。チリは海産物が豊富に捕れます。この市場にはさまざまな食材が揃っていて見るだけでも楽しいし、観光客用のレストランも場内にたくさんあります。ただし、前回レストランでウニ、貝、魚とチリ・ワインを堪能したのですが、味は大味で、値段も高かった記憶があります。
旧市街まで歩いていき、中央市場に入ります。魚介類が豊富で新鮮な魚などを眺めます。レストランは前回入ったし、お腹が減っていないので今回はスルー。値段は観光地価格でグラスワインなどを飲めば一人3000円位しそうです。

●「撮るんじゃねえよ!」
市場周辺には美味しそうなレストランや雑貨屋があり、路上では「エンパナーダ」という肉詰めのパイが売られています。これは中南米ではいたるところで売っているオヤツです。
そこからマポチョ川に架かる橋を渡ります。人は大勢いますが雰囲気は良くないです。ホームレスが首輪をしていない大型犬を餌付けしていて、その犬がそこらへんを走り回り、アフリカ人が路上で敷物の上に服、靴、雑貨などを置いて売っています。写真を撮ろうとしたら「撮るんじゃねえよ!」と罵声が飛んできました。
橋を渡るとベガ市場があり、ここでは肉や日用雑貨、野菜、果物が売られています。
今回の滞在はわずか2日で、町は祝日モードなのでゆっくり過ごしていました。サンティアゴは南米の町の中では治安が良いとされていましたが、私の滞在の後、デモの暴徒化により夜間外出禁止令が出されたとのことなので、訪れる人は最新の情報を仕入れ、デモや集会には近づかないようにしてもらいたいです。

大好きなブラジル

4時間半のフライトを終え、サンパウロのグラリョーニス国際空港に降り立ちました。サンパウロに来るのは8年ぶり9回目。私はブラジルに何度も長期で滞在し、公用語のポルトガル語もかなり話せるようになり、拙著『海外ブラックロード・シリーズ』や『ブラジル裏の歩き方』などの単行本を上梓し、雑誌やラジオなどで情報発信してきました。
ブラジルは日本の約22.5倍の大きさがあり、人口は約2億947万人(2018年世界銀行調べ)を誇る大国で、南米大陸で一番影響力を持っています。また、戦前から日本人移民が渡ってブラジル社会に貢献してきました。現在、日系ブラジル人は約200万人いると言われています。

●サンパウロでお金持ち気分
8年ぶりに空港に到着したところかなり様相が変わっていました。2019年6月から日本国籍保有者はビザが免除され、入国カードは不要になり、以前は悪名高かった長時間並ぶイミグレーションもガラガラ。ターンテーブル前で両替をしましたが、ブラジルの通貨レアルが大暴落していて200USドルが840レアルになっていました。8年前は400だった記憶があるので倍に。お金持ちになった気分です。
タクシーに乗って東洋人街のリベルダージに移動。ここは少し前まで『日本人街』と呼ばれていました。町には鳥居、提灯、日本レストラン、日本食品屋、本屋など、少し懐かしい日本が垣間見られます。町はかなり発展し、お洒落なレストランが増え、若者がたくさん集まっています。私はリベルダージの真ん中に位置している日系のホテルに宿泊しました(ニッケイパレスホテル)。
ここは湯船が深くてゆっくり浸かれますし、朝食では納豆やみそ汁もあります。日本語が通じるので出張で来ている日本人ビジネスマンの姿もちらほら見えます。

夕食の時間になったのでラーメン屋に入って豚骨ラーメンを注文しました(モモ)。10年前までリベルダージに1、2軒だったラーメン屋が世界的ブームもあって増えてきており、ここも最近できた店。味のほうは意外にもおいしいけれど、ブラジル人の舌に合わせてスープはどこもヌルいです。ちなみに、チャーハンはベチョベチョなのがこの国では受けます。


●吉永番長との再会
この日は午前中から町を歩き始めましたが、日曜なので閉まっている店が多い。土曜、日曜日にリベルダージ駅の前で東洋市が開かれていて、そこではたこ焼き、餃子、今川焼、焼きそばなどが日本の縁日のように売られており、盆栽や扇子やアニメグッズなども買えます。好きな場所の一つです。
『南米番長』の異名を取る吉永君と再会しました。彼は元サンパウロ新聞の記者で、知り合って15年になります。現在、博多に住んでいるのですが、ペルー・リマでの仕事を終えてサンパウロにやってきたのです。
夕食はサンパウロ在住のOさんと3人でシュハスカリア(シュラスコ)を食べに行きました。そこはビッフェ形式でサラダ、刺身、ラザニア、ブラジル料理などの好きな物を皿に取って席に運び、肉が次から次へと自分たちのテーブルに運ばれてくるので、食べたかったらその旨を伝えれば切ってくれます。
私は世界中でいろんなものを食べてきましたが、牛肉に関して言えば、ブラジルが一番おいしいと思っています。赤みが多く、「肉!」と強く主張してきて味わいもしっかりあります。食事を堪能し、ワインなどを飲み、ひとり約5000円でした。通常もっと安いはずですが、私が注文したアルゼンチン産ワインが高かったのかも……。



●21年来通う中華料理店
翌日の夕方、番長が友人のタカさんを迎えに空港に行きました。彼はドバイ経由でサンパウロに到着するのです。今、サンパウロではウーバーが人気でタクシーの数が激減しています。例えば空港から市内までタクシーだと約3600円ですが、ウーバーなら約1300円。番長はそのウーバーを使って空港に行き、タカさんを迎えました。腹が減っているようだったのでさっそく食事に行きます。
今回行く店は台湾系のチャンポンのお店(一條龍/Tenco 住所:R. dos Estudantes, 144 Liberdade tel:3209-8700)。1997年に気にいって以来、私はサンパウロに行くたびに通っています。野菜と海鮮類たっぷりのチャンポンはひとりでは多すぎるのでシェアします。大きな餃子が名物で、食べると口の中に肉汁があふれてやみつきになります。そこで使われているラー油は秘伝のものらしく、絶妙な旨辛さが口全体を幸せにしてくれます。店内でも販売しているのでお土産で買ったことがありますが、防腐剤が使用されていないのか、冷蔵庫に入れていても1か月ぐらいでカビが生えてきました。
つまみはチャーシュー。ビールで乾杯。連れて行った人は皆気に入るチャンポンと餃子を3人で腹いっぱい堪能して大満足でした。




ブラジルのグラフィック・アートの町

「嵐さん、新しく観光地になった、壁が芸術家たちによってペイントされた町を知ってます?」と番長。
「全然知らないよ。どこなの?」
「ヴィーラ・マダレナ地区にあります。行きましょうよ。そこ凄い場所で驚きますよ」
私たち3人はウーバーを呼び、渋滞のなか、1時間かけて到着。少し薄暗くなって小雨が降っているためか、見物客は少なく、閑静な住宅街の家や壁にスプレーで書かれた面白い壁画ばかりが目に飛び込んできます。
番長によると、グラフィック・アートの聖地のようで、バットマンとサッカーの王様・ペレの所で自然と足が止まります。写真撮りまくり。カフェ兼土産物屋の庭ではカポエラ(格闘技と音楽、ダンスが融合したパフォーマンス)を観光客のために見せています。インスタ映えする場所なのは間違いないですが、私たちが訪れた時はたまたま人が少なかっただけで、ふだん、特に土日の昼間は非常に観光客が多いようです。



久しぶりのサンパウロの感想。相変わらずリベルダージは居心地が良く、仲間も多いし楽しかった。部屋も広く仕事もはかどりました。初サンパウロのタカさんに「お土産は何がおすすめですか?」と聞かれたので、「スーパーで売られているコーヒーは安くて量が多く、濃くて美味しいですよ。あと、瓶で売られているピメンタという唐辛子を、タバスコのようにかけると辛くてやみつきになる」とすすめておきました。
憧れのポルトへ!

ポルトガルのポルトには以前からずっと行きたいと思っていたのですが、ついにその時が来ました。日本を発つ3ヵ月前にポルトガル航空のサンパウロ→ポルト間を3万1000円の安さで購入したのですが、数時間後に「あなたのチケットは荷物代が含まれません」と記載されているのに気が付き、チェックインの際、荷物代を別途1万3000円請求されました……。
ポルトではアセイシ君というIT関連の仕事をしている後輩とホテルで待ち合わせしていて、彼は私の1日前に到着予定でした。しかし、サンパウロの空港にて彼のメールを受け取った私は唖然としました。
アセイシ君は羽田からエミレーツ航空でドバイに到着。乗り継ぎ時間は3時間半あったそう。搭乗ゲートは人が一杯で、パソコンで仕事をしたかったので、1階にあるガラガラの場所で作業していました。そろそろ搭乗時間だなと思ってゲートに向かうと「あなたの飛行機までいく最終バスは行ってしまったので、規定によりあなたは乗れません」と告げられた。なぜか時間を勘違いしてしまっていたようです。それからが面倒で、順を追って説明すると、
1=エミレーツ航空の事務所をまず探し、事情を説明。次のポルト行きの便は明後日、つまり2 日間ドバイ滞在が決定。ちなみに荷物は、本人が乗り込んでいないので安全上、機外に出されたためドバイに残っていたもののチケット変更料で2万円も取られた。しかも彼はクレジットカードの暗証番号がわからず、支払いがUSドルのみ受付で、いったん円を現地通貨に換えて再びドルに両替したため、手数料と手間がかかった。
2=連絡。私に事情を説明、そしてポルトのホテルにもメールで知らせる。
3=ドバイのホテルを手配。町中に宿をとることも考えたが、ちょうど仕事が舞い込み、空港ホテルに2日間こもってずっと仕事をしていたそう。ホテル代2日分、4万円がパー。
ちなみにサンパウロで一緒だったタカさんも帰国の際、ドバイ空港で寝過ごして乗れず、2日間ドバイで過ごしたそう。そこからLINEが来た時には驚きました。私の東京の知人にも同じようなミスをした人がいるので、ドバイの空港の乗り継ぎは皆さんも注意しましょう。

●美しい町ポルト
ポルトの町は、中心から少し外れると少しさびれたヨーロッパの町らしい雰囲気を醸し出しており、中心街は石畳が多く坂ばかりです。ドン・ルイス一世橋からの眺めは最高でした。ドウロ川のクルーズにもアセイシ君と合流後に行きましたが、ポルトの町が川から眺められて幸せな気分を味わいました。






ポルトの感想。滞在は3日間で非常にノンビリできた。観光客もそれなりにいますが多すぎずちょうど良く、物価もそれほど高くなく治安も問題なく、かなり評価が高いです。おすすめします。
さて、次はセルビア共和国のベオグラードに移動です。
文:嵐よういち
▸第1回 フィジー~ニュージーランド編はこちら
▸第3回 セルビア~マルタ編に続く

筆者
地球の歩き方書籍編集部
1979年創刊の国内外ガイドブック『地球の歩き方』の書籍編集チームです。ガイドブック制作の過程で得た旅の最新情報・お役立ち情報をお届けします。
【記載内容について】
「地球の歩き方」ホームページに掲載されている情報は、ご利用の際の状況に適しているか、すべて利用者ご自身の責任で判断していただいたうえでご活用ください。
掲載情報は、できるだけ最新で正確なものを掲載するように努めています。しかし、取材後・掲載後に現地の規則や手続きなど各種情報が変更されることがあります。また解釈に見解の相違が生じることもあります。
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