ドゥルセ デ レチェの伝説(アルゼンチンの代表スイーツ/ドゥルセデレチェ誕生の秘密!)
アルゼンチンのスイーツを語るにはドゥルセ デ レチェDulce de lecheに始まり、これに終わります。
最初の写真はドゥルセ デ レチェをたっぷりフィリングしたミルフィーユことスペイン語ではミル オハッス Mil Hojasというケーキです。パリパリとした生地にドゥルセ デ レチェがしっとり 厚く層になっていて、全くドゥルセ デ レチェ自体を味わうケーキとなっています。
最近は出来合いの物が主流ですが、
友人は、おばあちゃんがときどき一日かけて作る、ドゥルセ デ レチェが大好物といいます。アルゼンチンの母の味ですね。 そして特に田舎の新鮮な牛乳を材料として作ったドゥルセ デ レチェは最高です。
粘り気によりパンやクラッカーに塗るタイプと、ケーキなどのお菓子作り用がありますが、要は 日本人的にはミルクキャラメルをどろどろに溶かしたもののようですので、ミルククリームとでもいいましょうか。キャラメルクリームと言いましょうか。
それもそのはず、これには逸話があります。
1829年、フアン マヌエル ロサス将軍(パレルモ公園は彼のお庭でした)とフアン ラバジェ将軍(中心街のラバジェ通り)が平和協定を結ぶため、ロサス将軍の郊外の牧場宅で会談をすることになりました。
しかし、ラバジェ将軍は早めに到着したため、ロサスの寝室で昼寝をしてしまいました。
その当時、アルゼンチンのドリンク、マテ茶を飲むときにレチャーダといいまして、ミルク(レチェ)に砂糖を入れて温めて飲んでいたのでした。レチャーダを作っていた使用人が、ラバジェ氏が主人のロサスの寝室に寝ているのに気づいて、驚いて主人に知らせに行ったのです。
別にロサス氏は怒ることもなく、そのまま、客人を迎えマテ茶を飲むことになりました。
そのとき、はっと気づいた使用人が急いで台所へミルクを火にかけていた鍋を見にいくと、とき遅し、茶色にこげて粘り気のある物質に変わっていました。
それをロサス将軍に報告しますが、なめてみたら、口にあう。。。おいしい!というのがこのミルクジャムと時々訳されるDULCE DE LECHEドゥルセ デ レチェの誕生秘話です。
その後アルゼンチンの家庭ではこのミルクからできた甘いものということで、DULCE DE LECHEを作るようになりましたということです。。。
注 まさにウルグアイの人も怒りそうな話ですが、実際は一応リオプラテンセ(ラプラタ河 河口地域全体は同じ地域でしたから)の伝統です。
またこの時期
もちろんチリもそうですし、周辺国に同じようなものがあります。
なお、デザートのプリン(フランFLAN)にドゥルセ デ レチェと生クリーム入りがすスタンダードなものなので、プリンを頼むときにはSIN DULCE(ミルクキャラメルなし)と頼めばプリンだけになります。
アイスクリームのフレーバーのドゥルセ デ レチェは、特においしいのはドゥルセ デ レチェ グラニサードDULCE DE LECHE GRANIZADO (グラニサードでチョコチップ入りです)
おいしいアルゼンチン体験を是非、お楽しみください!
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筆者
アルゼンチン特派員
相川知子
1991年よりブエノスアイレス在住。スペイン語とラテンアメリカが大好き。アルゼンチンのことを日本に周知がライフワーク。
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