メモリアルデイ後、2020年のゴールデンゲートブリッジにあのガイドさんを想う
▲霧のゴールデンゲートブリッジ
1937年5月27日、4年半の歳月をかけて完成した"ゴールデンゲートブリッジ"が、83歳の誕生日を迎えました。
当日はとても天気がよかったのですが、事情があり1日遅れで行ってみました(後述します)。
▲駐車場の様子
当たり前といえば、当たり前ですが、一般車両はまったくなし。
▲ウエルカムセンター
公園の整備している方だけで、フリーウエーを利用する方用のお手洗いも封鎖してました。メモリアルデイの頃のゴールンゲートブリッジは、一般車両は規制され、駐車場を探すこともできず、観光バスが次々押し寄せる状態なのですが、ゴールデンゲートブリッジ開通以来最も寂しい誕生日でしたね、きっと。
▲トレイルコースから
橋の脇のトレイルコースからが一番よく見ました。ゴールデンゲートブリッジでした。
1937年、世界史では日中戦争の始まった年、この年に生まれた有名人は加山雄三さん、伊東四郎さん、ダスティン・ホフマンさん、ジェーン・フォンダさん、そしてあの白雪姫がリリースされた年でもあります
▲前日の天気
27日の記念日、実はほかに行かなければならないところがありました。
残念なことなのですが、野球帽がトレードマークだった現役のツアーガイドさんが、先日病気でお亡くなり、そのメモリアル(お葬式)だったのです。
日本からツアーでいらした方、ご記憶にある方もいらっしゃると思いますが、サンフランシスコ空港に迎えにきてくれて、ホテルのチェックインのお手伝いをしてくれたり、市内観光、モントレーツアー、ワインカントリーツアー、また夜景ツアーでは秘密の場所まで連れて行ってくれたガイドさんです。サンフランシスコの旅行記でときどき紹介されていた名物ガイドさんでした(拙記事を愛読されていたツアー業界のおひとりで、ときどきはコメントをいただいたり、ゴールデンゲートブリッジに関しては聖悦ながらレクチャーし、評価をいただき身が引き締まる思いでした)。
祭壇にあの帽子が飾られていました......
所属していた会社の社長さんが参列されていたのも功績の大きさを感じます。そして新型コロナウイルスの影響でメモリアルができなかった方もいるなかで、限られた人数でしたができたのは幸いなのかもしれませんね。
サンフランシスコのツアー業界にとってすばらしい人材を失ってしまい残念で仕方ありません。
心からご冥福をお祈りいたします。
筆者
アメリカ・カリフォルニア州特派員
美丸(Mimaru)
サンフランシスコ在住ビアジャーナリスト。全米のクラフトビール探求の日々、訪問したブルワリー、タップルーム情報は随時投稿。
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