レトロな街並みの残る玉島市街地 ~倉敷市玉島~
沙美海岸から玉島の市街地にやってきました。
玉島はかつては瀬戸内海に点在する小さな島々でしたが江戸時代になると備中松山藩によって大規模な新田開発が行われ、江戸時代には北前船と高瀬舟の水運により、玉島は港町として栄えました。この道は玉島港へ続く道で金毘羅街道と呼ばれています。
玉島には、お稽古事で毎週来ていたのに街歩きは初めてです。改めて、水辺景観と古い建築物が一体となった景観に心惹かれました。
玉島はこの羽黒神社を中心に放射状に道路が伸びています。神社へも三方向から登って行けます。
本殿はこの長い石段の上の丘の上に建ち、昔は島だったのでは?
と、調べてみたら「阿弥陀島」という島だったことがわかりました。
このレトロな街並みも岡山県の町並保存地区に指定されていることもわかりました。
昔の港町を忍ばせる町並や昭和の高度成長期の雰囲気を残した町並が残っていて映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のロケ地にもなったという街です。左端の水門は新しいものですが、ロケをした2005年当時は、写真を撮った位置の橋に古い水門が残っていていい雰囲気を醸し出していました。
この辺りは船宿だった古い三階建て木造建築物が残っていましたがそれも撤去されています。
町を歩いていると小降りながら、よく似た水門を見つけました。太平洋戦争の最中に造られた水門です。水門としての役割は終わっていましたが趣がありますね。
川下へ歩くと「通町アーケード」にぶつかりました。玉島では、いちばん古いアーケード街だそうです。以前は左側にあった古い看板建築のお店が撤去されていました。
昭和レトロな雰囲気がこの町の魅力ですが少しずつ変わってきています。重要文化財的な建築物でもなかったので修繕することも難しいのでしょう。
商店街の中は、大半のお店のシャッターは降りています。この商店街もシャッター通りと呼んでいいくらいですがそんな中、営業中のお店がありました。
「胃活」と書いてあります。胃薬の看板みたいですが、この看板の下のお店は今では荒物屋さんです。
寿司桶を高く積み上げて売っていたので見せていただきました。
修理がきくのか訊ねると、以前は四国の讃岐の職人さんに出していましたが、その方が亡くなり、今は修理は受け付けていないとのことでした。
「修理して使うのが当たり前だったんだけどなぁ。」と、残念そうに話す女将さん。
この荒物屋の店先もフォトジェニックでした。
看板建築と呼ばれる建物も多く残っていました。
看板建築とは、昭和初期、鉄筋コンクリート造で建てる資金の無い商店が、木造2階、又は3階の建物の正面だけタイルやモルタルで洋風の外観を装った店舗併用住宅です。
筆者
岡山特派員
mami
岡山生まれの岡山育ち。岡山市内在住の生粋の「おかやまっ子」です。
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