英エリザベス女王の逝去でパリの町にはどのような変化があったのか?献花や地下鉄駅の一時的な変更も
エリザベス女王が亡くなり、本日2022年9月19日にロンドンのウェストミンスター寺院で行われます。女王の逝去を受けて、パリのイギリス関連施設などでは女王の追悼が行われています。
▲パリ市内フォーブル・サン・トノレ通りにある英国大使館および大使公邸
パリにある在フランス英国大使館前には、多くの花束が寄せられています。同大使館は今年6月に迎えたエリザベス2世女王の在位70周年プラチナジュビリーの際に、女王の大きな肖像画を掲げて祝っていました。その肖像画の下に今では献花が寄せられています。
また9月17日および18日(毎年9月の第3週末)は、「ヨーロッパ文化遺産の日」という普段は一般開放されていない施設などを特別開放するイベントがフランスでは大々的に行われます。今年はパリの在フランス英国大使館もその施設の一つとなっていました(女王の死去を受けてというわけではなく、それ以前から計画)。
そのヨーロッパ文化遺産の日の当日には、公開に合わせて大使館の敷地内では女王の弔問の記帳台が設けられ、多くの見学者がメッセージを残していました。弔問客にはマクロン大統領夫妻やサルコジ元大統領夫妻などの名前もあります。
▲ヨーロッパ文化財の日における英国大使公邸での弔問の様子
▲マクロン大統領夫妻(左)とサルコジ元大統領夫妻(右)のメッセージ
エリザベス女王の国葬が開かれる9月19日は、パリ地下鉄(RATP)1号線のジョルジュ・サンク(George V)駅の一部表示がエリザベス2世駅に変わりました。ジョルジュ・サンクというのはジョージ5世(1910〜1936年)のこと。サンクは「5」という意味です。エリザベス2世女王の祖父にあたります。
なぜ同駅がジョルジュ・サンクとなっているかというと第一次大戦に由来します。当時フランスは、イギリス、ロシアと三国協商を組み、ドイツ、オーストリア・ハンガリー、イタリアの三国同盟と敵対しました。その際のイギリス国王だったジョージ5世への敬意を含めて、1918年7月14日の革命記念日の際にアルマ通り(Avenue de l'Alma)をジョルジュ・サンク通り(Avenue George V)に、アルマ駅はジョルジュ・サンク駅に改名されました。
▲1日限定で「エリザベス2世」に駅名の一部表示が変わったジョルジュ・サンク駅
▲普段は「ジョージ5世」になっている
これら以外にも、フランスでもニュースメディアは連日、エリザベス女王の死去および国葬について現地から中継を行うなど報道しています。とても関心の高い出来事となっています。
私個人の思い出としては、学生時代にイギリスの大学で修士に通っていたこともあって、当時は「Queen」という言葉はよく聞いたり使う機会がありました。それ以外にもロンドン五輪や在位60年のダイヤモンドジュビリー、ロイヤルアスコット(英国王室が主催する競馬)に仕事またはプライベートで行くこともありました。私にとってエリザベス女王は距離的には遠い存在ではありましたが、親しみある存在でした。
▲ロイヤルアスコットでのエリザベス女王とフィリップ殿下
心よりご冥福をお祈りいたします。
筆者
フランス特派員
守隨 亨延
パリ在住ジャーナリスト(フランス外務省発行記者証所持)。渡航経験は欧州を中心に約60カ国800都市です。
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