ウドーン・ターニー

Udon Thani

タイ・フランス条約から1世紀、新しい時代を迎える都市

1893年、インドシナへ進出しラオスの植民地化を図るフランスとタイとの間に衝突が発生し(シャム危機)、軍事的圧力を加えるフランスの要求を受け入れる形で、メーコーン右岸に幅25kmの非武装地帯を設けることになった。その結果できた町がウドーン・ターニー。それからわずか100年で人口40万人近い大都市となった。その後の発展の歴史には、ほかの東北部の都市と同様ベトナム戦争が強く影響している。ベトナム戦争当時、ここはアメリカ空軍の基地の町として多数のアメリカ兵が駐屯し、急速に発展を遂げた。アメリカ兵向けのバー、クラブ、レジャー施設が建ち並び、かなりにぎわったという。それらはすべてアメリカ軍の撤退とともに姿を消し、大きくなった町だけが残った。郊外には世界最古の農耕文明かと騒がれ、ユネスコの世界遺産にも登録されているバーン・チアン遺跡がある。

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