1936年にオリンピックで使われたスキーのジャンプ台(ドイツ、ガルミッシュ・パルテンキルヒェン)

公開日 : 2022年12月26日
最終更新 :
筆者 : 吉村 美佳

1936年といえば、86年も前の昭和11年。2月にここ、ガルミッシュ・パルテンキルヒェンで、ヒトラーの開会宣言が行われ、冬季オリンピックが開催されました。
町の名前が、ガルミッシュ・パルテンキルヒェンと、ここまで長くなったのも、オリンピック会場となるための基準を満たすために、町の規模を大きくする必要があり、二つの小さな町(ガルミッシュとパルテンキルヒェン)を合体させたからなのだそうです。

観光名所でもあるこのスキー・ジャンプ台、そんな昔のオリンピックの思い出が詰まった過去のものなんて思ったら大間違い。現在も十分活用され、地域に根付いた素敵なストーリーがたくさん詰まっているのです。

※ バイエルン州観光局が企画した「G7参加国ジャーナリストのためのプレスツアー」に参加して経験したことを元に、書いています。

たかがスキージャンプ台と思ったら大間違い、ということは、ガイドツアーに参加したらきっと誰でもすぐ分かるでしょう。
地元のボランティア、老若男女に支えられているそんなスキークラブが背景にあるのです。

そもそもジャンプを飛ぶなんて、怖くない?
一体どのようにして、選手はジャンプ競技をスタートするのかしら?

それは5歳の幼稚園児が幼稚園帰りに母親に連れられてジャンプ台へ通い、怖さを知る前の無邪気な幼少期に、とにかく飛ぶことに慣れるのだそうです。最初は20mの小さなジャンプ台から。徐々に40m、80mと長くなり、14歳になる頃にはオリンピック選手が飛ぶような125mのジャンプ台から飛ぶようになっているのだそうです。

初冬は川の水を利用して、人工雪を作るのですが、気温が−2度になるのを待たねばなりません。雪がずり落ちないように、スロープにはネットが張ってあります。

それなら、この地区の子供は、ジャンプのためにものすごい投資をしなければダメね、と思うでしょう。
それも大間違い。なんと、実は地域をあげての整った制度があるのです。

子供のためにスキー板など成長に合わせて買い換えます。そのお金が毎年200ユーロ程度。
ジャンプ台の使用は、子供の場合、無料です。だから当たり前のように、とにかく通うのです。
その代わりスキーの大会がある時に、地域総出でボランティア活動をし、その奉仕の見返りに、この道具購入費などが還元されていきます。一体どんなボランティアがあるのでしょうか?

女性は、雪を平すのが大きな仕事。
男性より女性の方がきめ細やかな繊細な調整までできるから、という理由です。女性の力は、ボランティアの70%をも占めているのだそうです。

男性の仕事は、ジャンプの飛距離を確認する係。寒い中ずっと突っ立ている仕事が任せられます。
このボランティアをする際、中身の詰まったリュックサックが支給されます。中には、サンドイッチ、ビール、体を温めるための蒸留酒の小瓶が入っています。そして、立ち尽くすと足の裏から体が冷えてくるので、断熱素材の小さな敷物も配布されます。
彼らの仕事そのものは、3m間隔に立ち、選手が着陸した時のスキーブーツの位置を確認し、自分の担当3mに該当する場合サインを出す、ということ。

ジャンプする時の時速93kmというスピードが、一体どういうものか、そんな話もありました。目が乾燥するから、スタート前にはたくさんまばたきをして目を潤します。
スキー靴を履いた選手は、靴の構造上、歩くときはかかとで歩くことになるとか、ジャンプ台の飛行距離などの目印となる緑のラインは、クリスマス用のモミの木の売れ残りの先端を切ったものを雪に刺している、または、赤いラインは、紫キャベツの外葉を使っている、とか。

そんな話を聞きつつ、天候の回復を待っていたのですが、回復見込みもなく、そのままジャンプ台の上へ目指して歩きました。

選手はここまでバスで到着します。ジャンプ台の下には、休憩室のようなもの、またはここのスキークラブの事務所などがあります。
選手はここで、靴を脱ぎ、スキー用の靴を履きます。

地元の人はボランティア活動をするために現場にいます。それでは、両親が出かけている間、小さな子供達はどうしたら良いのかしら。
家に一人ぼっちでいても、誰も面倒を見てくれないのです。
そこで、子供でもできる仕事を与える、ということが思い付かれました。

そう、つまり、子供達でもできる仕事を分担し、協力するのです。
地元の子ども達は、選手の靴を管理します。一対一でそれぞれの子供に特定の選手が割り振られ、ジャンプが終了するのに合わせて、靴を運ぶというシステムが整っているのです。そんな仕事を任された子供達、自分の仕事をしっかりこなし、地元に貢献するのです。

この日は霧が立ち込め、遠くが何も見えない状態。ジャンプ台は遥か遠く。
この日は霧が立ち込め、遠くが何も見えない状態。ジャンプ台は遥か遠く。

ジャンプの選手がスタートする場所まで、隣にある階段を一段ずつ登って行きました。
ゆっくり登ってね、と指示があるのですが、ゆっくり登っても、一部脱落者が出るくらい急な階段。私たちのグループで、時間をかけて登る人と、途中でリタイアする人も出るくらい。

上り詰めると、本来なら、ドイツ最高峰の山ツークシュピッツェも見えるそうですが、この日はあいにくの天気。また、ジャンプの選手は、飛ぶ時には下を向かず、前を見るのですが、ここガルミッシェ・パルテンキルヒェンでは、黄色い家を目印に飛ぶのだそうです。が、この日はその黄色い家も見えず。
ちなみに、オーストリアのザルツブルクにあるジャンプ場では、遠くに見える墓地を見ながらジャンプするのだそうですよ。

さて、ジャンプ台に立った私たち。選手の気持ちを少し考えてみます。
とっても奥行きが深いのです。
怖いなあ、と正直思います。ここからジャンプするなんて、順位を争う試合でなくとも、精神的に強くないとできないことだと思います。

スキーのジャンプ競技は、監督(トレーナー)と直接会話ができず、旗をあげるなどの合図をもってコミュニケーションをとるのだそうです。孤独な戦いなんですね。

新年早々に毎年ここからテレビでスキーのジャンプが中継されるのですが、2023年の新年は、是非私も見よう!と思っています。

ちなみに、誕生日にここでお祝いすることもできるそうですよ。
日本に在住の皆さんには現実的なお誕生会ではないかもしれませんが、ちょっと変わったお祝いの仕方ですよね。
ジャンプ台の上でアパロールを飲んで、ジャンプ台を間近で見る。そんなのもありかもしれません。

施設名
Olympia-Skistadion
住所
Karl-und-Martin-Neuner-Platz 1, 82467 Garmisch-Partenkirchen

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