
【ドイツ】ライプツィヒ・バッハ博物館で、バッハの三つの特別展が開催!
第一弾「神の栄光への教会音楽」がはじまりました!
かつて著名な作曲家の活躍の場であったライプツィヒですが、その中でも最も有名な人がヨハン・セバスティアン・バッハ。
バッハは最後の23年間、ライプツィヒのト-マス教会のカント-ル(音楽監督)として従事し、その間多くのカンタ-タ、オラトリオなどの大作を作曲しました。
そのバッハがト-マス教会のカント-ルに選出されたのが1723年。今年はちょうどその就任後300年にあたります。
これを機に、バッハ博物館では2024年3月までの間に、三つの特別展を予定しています。
その第一弾「神の栄光への教会音楽」が、ちょうどバッハの338回目の誕生日にあたる3月21日から始まりました。
バッハ博物館の特別展会場は、入り口を入って斜め左にあります。

入ってすぐのコーナ-では、バッハがカント-ルに就任するまでのいきさつが展示されています。

今では世界に名の知れた著名な音楽家ですが、バッハは最初からカント-ルに選出されたのわけではありませんでした。なんと、2回の選考が行き詰った後、3回目でようやく選出されたのです。しかも、はじめて大卒でないカント-ルだったそうです。
敬虔なプロテスタント教徒であったバッハは、聖書の言葉やコラ-ル(讃美歌)を芸術的に表現していました。

その例として、マタイ受難曲の清書には、聖書の言葉やコラ-ルの箇所が赤いインクで強調されている様子がみてとれます。

また、バッハは生涯で400近いコラ-ル(讃美歌)を作曲しました。そのバッハのコラ-ルは特徴として4声部で構成されています。
当時も各地で複写されて歌われていたようですが、バッハの死後息子のカ-ル・フィリップ・エマヌエル・バッハが1760年代に父のコラ-ル全曲を集めた「4声部からなるコラ-ル」という楽譜集を出版しました。
そのオリジナルも展示されています。

さらに、バッハの代表的なオラトリオの傑作、マタイ受難曲についての展示もあります。今ではバッハ愛好家の皆さんにはお馴染みの名曲ですが、バッハの死後はほとんど忘れ去られてしまい、この曲の楽譜が印刷されて世に広まるまでには、100年の歳月が必要でした。
ちなみに、このマタイ受難曲を100年後に復興したのが、同じくライプツィヒで活躍したメンデルスゾ-ンでした。1829年3月11日にベルリンにおいてメンデルスゾ-ン自ら指揮をして、ジングアカデミ-・ベルリンという合唱団が演奏したのちに、各地に広まったという史実が音楽史に刻まれてています。
その後、メンデルスゾ-ンがライプツィヒのトーマス教会で演奏を行ったのが1841年。当時メンデルスゾ-ンが指揮をしていたゲヴァンドハウスオーケストラによる演奏だったようですが、なぜか合唱はトマ-ナではなく、特別な合唱団が演奏したとあるのが、興味深いですね。
その時の楽譜のオリジナルも展示されています。

この特別展第一弾は7月9日まで開催していますので、是非お立ち寄りくださいね!
バッハ特別展「神の栄光への教会音楽」
- 住所
- Thomaskirchhof 15/16, Leipzig
- 開催期間
- 2023年3月21日~2023年7月9日
- 電話番号
- 0341-9137202
- 開館時間
- 月~日曜日および祝日10:00~18:00
- 入館料
- 大人€10、16歳まで無料、毎月第一火曜日は入館無料

筆者
ライプツィヒ特派員
シェーファー 玲子
2008年夏よりドイツ中東部の町ライプツィヒ在住。現在はライプツィヒにてフリーランスと主婦業に従事している。
【記載内容について】
「地球の歩き方」ホームページに掲載されている情報は、ご利用の際の状況に適しているか、すべて利用者ご自身の責任で判断していただいたうえでご活用ください。
掲載情報は、できるだけ最新で正確なものを掲載するように努めています。しかし、取材後・掲載後に現地の規則や手続きなど各種情報が変更されることがあります。また解釈に見解の相違が生じることもあります。
本ホームページを利用して生じた損失や不都合などについて、弊社は一切責任を負わないものとします。
※情報修正・更新依頼はこちら
【リンク先の情報について】
「地球の歩き方」ホームページから他のウェブサイトなどへリンクをしている場合があります。
リンク先のコンテンツ情報は弊社が運営管理しているものではありません。
ご利用の際は、すべて利用者ご自身の責任で判断したうえでご活用ください。
弊社では情報の信頼性、その利用によって生じた損失や不都合などについて、一切責任を負わないものとします。