120. 貴重なサマルカンドのユダヤ文化に触れる。旧市街ど真ん中のシナゴーグとユダヤ人居住区へ

公開日 : 2023年09月09日
最終更新 :

サローム(こんにちは)!

ウズベキスタンを旅行している際、この国はどの民族も仲よく共存し、どんな宗教にも寛容であると誇らしげに語られた方もいるかもしれません。私の実感としてはこれは建前ではなく、人種や民族、信仰する宗教に関わらず誰もが友好的に接してくれることがウズベク人やウズベキスタンが誇るべき点の一つだと感じています。欧米などで時々聞くアジア人差別も、この国ではほぼ聞いたことはありません。(日本人と確かめもせずアンニョンハセヨ!ニーハオ!と言われるのは日常茶飯事ですが悪意はないはずなので大目に見てあげましょう)

ムスリムが圧倒的に多いこの国ですが、クリスチャンなどその他の宗教の信者も国民の一員として共存しています。その良い例として、イスラム教徒と対立しているイメージのあるユダヤ教徒のコミュニティがあり、ユダヤ教の寺院シナゴーグも彼らの信仰の場として複数存在していることが挙げられます。驚くかもしれませんがイスラエルとの国家間の仲も良好で、イスラエル大使館があるのはもちろん、テルアビブへの直行便すらあるのです。

某所で入手したウズベキスタン・イスラエル友好トートバッグ
某所で入手したウズベキスタン・イスラエル友好トートバッグ

ウズベキスタンに古くから住んでいるユダヤ人はブハラ・ユダヤ人と呼ばれ、その名の通りブハラを中心に住んでいましたが、サマルカンドにもブハラから移住してきた彼らのコミュニティがあります。旅行者がなかなか訪れることのない、知られざるサマルカンドのシナゴーグやユダヤ人居住区をご紹介しましょう。
なおタシケントのシナゴーグに関しては、先代特派員の齋藤さんが記事に残されています。(シルクロードのユダヤ人 ブハラユダヤ人

観光客の誰もが訪れる歩行者天国カリモフ通りの周りには、ほとんど地元の人々しか通らない静かな路地が網の目のように広がっています。その路地の一つ、ビビハニムモスクや私の活動先の観光案内所近くから東へ延びるフジュム通り Hujum ko'chasiへ向かってみましょう。
10分ほど歩くと右手にHAMMOMI DOVUDIと書かれた扉が見つかります。これがユダヤ人が建てたハマム、ダビデ・ハマム。ユダヤ人は古代より入浴の習慣があり、世界各地のユダヤ人街でシナゴーグだけでなく浴場も造られ、入浴を楽しんでいました。このダビデ・ハマムについてはまた後日詳しくご紹介できればと思います。

ハマムの前を左に曲がると、左手にユダヤ教のシンボル、イスラエル国旗にも描かれている「六芒星」と燭台「メノラー」が壁に描かれた建物が見えます。これこそがサマルカンドのユダヤ人居住区の中心にあるシナゴーグ、グンバズ・シナゴーグ。この居住区に住んでいるユダヤ人は19世紀にブハラから移住してきたユダヤ人が多いですが、シナゴーグもその際建てられました。つまりこのシナゴーグは100年以上の歴史があるのです。
運が良ければ扉が開いているので、中に入ってみましょう。

中庭の向こうに会堂が建っており、入口の前には歴代のラビ(ユダヤ教指導者)の写真が飾られています。もちろん現在もラビがおり、見学の際話を聞くことができます。ウズベク語、ロシア語、サマルカンドのローカル言語であるタジク語、そしてヘブライ語を話すことができるそうです。

宗教施設らしい厳かなムードに包まれた会堂内を見学してみましょう。天井をびっしりと覆いつくしているのは、青地に白い線でびっしりとかたどられた星模様。そして会堂の中央にあるのはラビが朗読を行う場、ビーマー。きめ細かな木彫りにもぜひ注目してみてください。ユダヤ教の聖なる日、金曜日や土曜日には信者が集まり、ビーマーに立つラビの指導のもと礼拝をしています。

ビーマーの後ろにあるトーラー(モーセ五書)
ビーマーの後ろにあるトーラー(モーセ五書)

ビーマーの右奥には、聖典の聖句が縫われたパロシェットと呼ばれるカーテンが掛かっており、その向こうにはシナゴーグで最も神聖な部分といわれる聖なる巻物が収められた箱舟が収められています。モスクにもメッカの方角を示すミフラーブという窪みがあり、信者は皆そこを向いて礼拝をしますが、シナゴーグではこの箱舟が聖地エルサレムの方角を向いているのです。
その左には六芒星が彫られた棚がありますが、これは聖書などの書籍が置かれた本棚。このシナゴーグができたときにポーランドから贈られたという貴重な書物もあります。

会堂入口に戻ると、外から入って左側のテーブルに置かれているのが礼拝でかぶる帽子。ユダヤ教独特の帽子キッパもあれば、ウズベク民族伝統の帽子ドッピもあり、ウズベキスタンのシナゴーグを象徴するような空間になっています。

右手にあるカレンダーにもぜひ注目を。このカレンダーはユダヤ暦で書かれていますが、このユダヤ暦は聖書に基づいて神が天地を創造した日から計算したという暦法。西暦に3760年を足した年数に等しく、つまり今年2023年はユダヤ暦でいうと5783年ということになります。なぜかいまだに2003年(5763年)のカレンダーが飾られていますが...。

ミニカレンダーもありますが、おもしろいのがなぜかニューヨークにあるお店や病院などの広告が書かれていること。ウズベキスタンのシナゴーグとニューヨークの間にどんな繋がりが...と訝ってしまいますが、実はニューヨークにはウズベキスタンから移住したブハラ・ユダヤ人のコミュニティがあり、このカレンダーはニューヨーク在住のブハラ・ユダヤ人から寄付されたものなのです。

後述しますが、この居住区のユダヤ人は年々減り続けており、このシナゴーグの存続も厳しいよう。現在運営のため訪問者から寄付を募っているので、訪れた際は少額でいいのでぜひ寄付をしていただければと思います。

ウズベキスタンでは住宅街区画と町内会が合わさったような概念であるマハッラという言葉がありますが、このユダヤ人居住区のマハッラを歩くと、他のマハッラより立派な家屋が多いことに気づくでしょう。ウズベク人伝統家屋は平屋建てが多いですが、ここでは2階建ての大きな邸宅も見られます。実はその多くがユダヤ人の邸宅なのです。
サマルカンド旧市街のホテルは民家を改装した居心地のいいホテルばかりですが、この辺ではこのユダヤ人邸宅を改装したホテルもちらほらあり、ホテルの中では美しい内装や家主が残していった貴重なアンティーク雑貨などを見ることができます。

Hotel Legendeの風情ある中庭
Hotel Legendeの風情ある中庭
壁の飾り窓や天井の装飾が目を引くRabat Boutique Hotelのレストラン
壁の飾り窓や天井の装飾が目を引くRabat Boutique Hotelのレストラン

ただこのようにホテルとして利用されている邸宅はまだいい方で、空き家状態で放置されている邸宅もしばしば目にします。このユダヤ人居住区ではピーク時には約3万人のユダヤ人が住んでいたといわれていますが、その多くはウズベキスタン独立前後にアメリカやイスラエルに移住し、現在残っているのは10世帯100人ほど。シナゴーグや邸宅だけでなく、サマルカンドのユダヤ人コミュニティの存在自体が消滅の危機にあります。

家主であろう人物の肖像画が残されたユダヤ人邸宅跡
家主であろう人物の肖像画が残されたユダヤ人邸宅跡
かつてこのマハッラのユダヤ人たちで賑わっていたというシャルク・バザール跡
かつてこのマハッラのユダヤ人たちで賑わっていたというシャルク・バザール跡

ガイドブックには全く載っておらず、ネットで調べても情報がなかなか出てこないサマルカンドのユダヤ文化ですが、皆が知っている豪華絢爛なイスラム建築同様サマルカンドの貴重な歴史遺産であるシナゴーグや、その他ユダヤ人関連の建築物も、ぜひとも後世まで残ってほしいものです。

なお私の活動している観光案内所では、シナゴーグをはじめこのユダヤ人居住区を歩いてめぐるミニツアーを開催しています。ご興味のある方はぜひお気軽にお問い合わせください。
それではコルシュグンチャ・ハイル(また会う日まで)!

■グンバズ・シナゴーグ Gumbaz sinagoga

住所
Hujum ko'chasi, Toshkent
営業時間
不定休
入場料
無料
アクセス
ビビハニム・モスクから徒歩15分。レギスタン広場から徒歩20分。

筆者

ウズベキスタン特派員

伊藤 卓巳

根っからのスタン系大好き人間です。まだまだ知られていないウズベキスタンの魅力や情報を、サマルカンドより愛をこめてお伝えします!

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