【パリ】世界最大規模の地下墓地「カタコンブ・ド・パリ」
パリの地下には無数の人骨が積まれた地下空間が広がっています。ガロ・ローマ期(120年〜5世紀末)に掘られた採石場跡で、そこに18世紀後半、パリ市内の共同墓地に葬られていた無縁仏が移されました。カタコンブ・ド・パリと呼ばれる、そのパリの「冥土」を訪れてみましょう。
カタコンブ・ド・パリとは?
カタコンブ・ド・パリは、パリ市内南部ダンフェール・ロシュロー広場に入口があります。一方で、出口はダンフェール・ロシュロー広場から南へ伸びるルネ・コティ通りです。入口と出口が異なるのと、地下を通って方向感覚がなくなるため、地上に出た際は、今自分がどこにいるか迷うことがあるかもしれません。出口にはカタコンブ・ド・パリのグッズを扱う公式ショップもあります。
カタコンブ・ド・パリは、初めから墓地として掘られた空間ではありませんでした。採石場だった場所を、後の時代になってから無縁仏の移転先としたものです。パリの共同墓地だったサン・イノサン墓地などから移された約600万体の骨がここに納められています。カタコンブ・ド・パリを含む地下空間は、800ヘクタールあるといわれています、現在納骨場となっている場所は、そのほんの一部に過ぎません。
そもそもなぜ地下に遺骨が?
カタコンブ・ド・パリに眠る膨大な遺骨はどこから運ばれたのでしょうか。じつはパリの中心部レ・アール地区などから運ばれました。
「レ・アール」という単語は「中央市場」という意味なのですが、その名の通りかつてレ・アール地区には、卸売市場がありました。今はパリ南郊外のランジスに移転して、その跡地にはショッピングモール「フォーラム・デ・アール」が建っています。そのフォーラム・デ・アールの隣に、イノサンの泉という名前の噴水をいただくジョアシャン・デュ・ベレー広場があります。今では多くの人が憩いの場としてくつろいでいる同所も、昔はサン・イノサン墓地とサン・イノサン教会がある場所でした。今はもうその姿が見えないのは、18世紀後半に取り壊されたからです。
サン・イノサン墓地は、閉鎖されるまで10世紀にわたり使われた墓地です。パリが発展していくと、サン・イノサン墓地に埋葬される無縁仏の数は多くなり、周囲も都市化。フランスの埋葬方式は土葬のため、遺体が自然分解するスピードより埋葬する頻度と量が勝れば、墓地は供給過多に陥ります。墓地に次々と遺体は運び込まれますが、遺体は土の中で分解せず、墓地は異臭を放つようになりました。また度重なる埋葬で、墓地の高さが周囲の通りより随分高くなっていたそうです。疫病の流行や地下水汚染なども生じました。
それら公衆衛生上の問題が起きたため、サン・イノサン墓地は1780年に閉鎖されることになりました。同所に埋葬されていた遺骨の搬出先として、パリ南郊外モンルージュ平野にあるトンブ・イソワール採石場跡があてがわれたのです。
カタコンブ・ド・パリの誕生
カタコンブ・ド・パリは、今はパリ市内になっていますが、当時その場所はパリ市外でした。採石場も15世紀までは運用されていましたが、その後は放置されていた場所でした。
最初の遺骨搬出は1785年から1787年にかけて行われました。作業はパリ市民や教会の批判的な反応を避けるため夜間に行われました。遺骨の搬出はフランス革命後の1814年まで続けられ、サントゥ・スタッシュ教会、サン・ニコラ・デ・シャン教会、ベルナルダン修道院など、パリ中心部の教会墓地も対象となりました。さらに1840年から再び納骨作業は再開され、当時のセーヌ県知事ジョルジュ・オスマンが進めたパリの都市整備事業「パリ改造」の際にも、遺骨の受け皿となりました。
カタコンブ・ド・パリ自体は、1809年から一般向けに公開され、瞬く間に人気になりました。時の為政者などもカタコンブ・ド・パリを訪れていて、1787年にはアルトワ伯爵(後のシャルル10世でブルボン王朝最後の国王)、1814年にはフランツ2世(神聖ローマ帝国最後の皇帝)、1860年にはナポレオン3世がカタコンブ・ド・パリの階段を降りています。
現在は観光客向けに公開中
カタコンブ・ド・パリは地下に広がる施設だけに、普段のパリ観光とは違った注意が必要です。見学できる地下空間のある場所は、地上から20m以上潜った場所。地下鉄が通る深度と比べて、かなり深いところまで降りていきます。階段は下りが131段、上り112段あります。見学はすべて徒歩になり、ところどころで地下水が濡れているので、歩きやすい靴で訪れましょう。地下空間のため、温度は常に14度あたりに保たれています。夏は涼しく冬は暖かいですが、寒暖差があるため温度調節できる服装が必要です。
カタコンブ・ド・パリ内の見どころはいくつかあります。カタコンブ・ド・パリは初めから終わりまで納骨堂になっているわけではありません。前半部分は坑道を進んでいきます。
まず目に入るのが、通りの名前が書かれた標識です。これは地上のどの通りの下にいるのかが示されています。ただし、それらの通りの多くは現在では名前が変わっていて存在しません。
さらに奥に進むと、天井の高い巨大なアーチ構造の空間を見学できます。採石場は地層と採掘できる石の種類によって2層構造になっており、見学コースのさらに下の地層にも坑道が広がっています。それらふたつの空間をつなぐための場所がこの巨大な空間です。これらを過ぎると、いよいよ納骨堂です。
入口の門として構えるのが「Arrête ! C'est ici l'empire de la mort(止まれ!ここが死の帝国だ)」の文字。古代ローマの詩人ウェルギリウスの叙事詩『アエネーイス』からの引用で、フランスの詩人ジャック・ドリルによる訳です。
壁に沿って遺骨を積み上げられた坑内には、各所に「どこの墓地にあった骨で、いつここに運び込まれたか」が石板に表示されています。もちろんサン・イノサン墓地の表示もあります。
次に目に飛び込んでくるのがサマリテーヌの泉。これは地下水が湧き出る井戸です。その水をカタコンブの骨の壁を接合し建設するためのモルタルに使っていました。
さらに進むと骨を樽のように形作った柱に到着します。1897年4月2日の深夜0時から同2時にかけて、ここでコンサートが開かれました。演目はフレデリック・ショパン『葬送行進曲』とカミーユ・サン・サーンス『死の舞踏』。コンサートには多くの人が詰めかけたそうです。その当時からカタコンブ・ド・パリは、ホラー好きなパリ市民にとって人気の場所だったことがうかがえます。
一般公開しているのはほんの一部だけ
現在カタコンブ・ド・パリとして見学ができるのは、パリの地下に広がる地下採石場跡のほんの一部分です。またこの地下空間は、第二次大戦のドイツ占領下のパリにおいて、ドイツに抵抗するためのレジスタンス活動の場所にもなりました。
カタコンブ・ド・パリ入口の向かい側には、2019年にオープンしたパリ解放博物館があります。同館でも地下空間へ降りることができ、そこでは当時レジスタンス活動の司令部跡を見学できます。
公開されている以外の地下空間は、立ち入りが禁止されています。ただ、パリの至る所に地下への出入口は残されおり、「カタフィール」と呼ばれる見学区域外にこっそりと忍び込む愛好家はいます。しかし坑内は複雑に入り組んでいて、迷いやすく大変危険です。また許可なく坑内に立ち入った場合は罪となり、罰金が科されます。かつて地下に迷い込んで行方不明になり、11年後に遺体で発見されたという男性の逸話も残っています。
■パリ解放記念館
・URL: http://www.museeliberation-leclerc-moulin.paris.fr/
予約なしだと行列覚悟
カタコンブ・ド・パリは、人気の観光スポットであるだけに、常に混雑し入口は行列ができています。どの曜日のどの時間帯がどれくらいの混雑割合になるかは、カタコンブ・ド・パリの公式サイトに目安が載っています。それによると、定休日(月曜日)明けの火曜日は来場者が多く、その翌日の水曜日がもっとも人は少なくなります。そして週末が近くにつれて来場者は増えていき、土曜日をピークに日曜日は少しだけ下がります。もっとも確実で早い入場方法が、オンラインで手配する時間指定の優先入場チケットです。
予約は公式サイトのリンク先からでき、優先入場チケットとオーディオガイドが付いて大人€29。通常のチケットは€14で、オーディオガイドが€5ですから€10割高です。ただし、ダンフェール・ロシュロー広場は日除けもなく吹きさらしの場所ですので、真夏や真冬はそのような条件下で長い間、順番が来るのを待たなければいけません。見学時の気候や天候、時間などの条件を考えつつ、どちらを選ぶか検討してみてください。
カタコンブ・ド・パリの基本情報
・住所: 1 Avenue du Colonel Henri Rol-Tanguy 75014
・アクセス: 地下鉄4・6号線またはRER B線
・入場料: €14(オンライン購入の優先入場チケットは€29)
・入場可能時間: 9:45〜20:30(最終入場は19:30)
・定休日: 月曜
・URL: http://catacombes.paris.fr/
カタコンブ・ド・パリへ!
カタコンブ・ド・パリは、そのイメージからお化け屋敷のようなスポットと思われがちです、ここもフランスおよびパリの歴史と密接に関連した場所。パリの町が歩んできた歴史を、遊園地のアトラクションのようなスリルさも含めて、新たな角度から知ることができる施設です。
筆者
フランス特派員
守隨 亨延
パリ在住ジャーナリスト(フランス外務省発行記者証所持)。渡航経験は欧州を中心に約60カ国800都市です。
【記載内容について】
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