続 立石寺の蝉
一番暑そうな時間帯を避け、寺に着いたのは午後4時前。山門を潜り、耳を澄ませながら奥の院への参道を上り始めました。しかしやはり鳴き声は聞こえてきません。またダメか!と半ばあきらめつつ上って行くと、せみ塚の下あたりでようやく聞こえ始めました。
斎藤茂吉と小宮豊隆の蝉論争はアブラゼミかニイニイゼミかというものでしたが、何と! 鳴いていたのはヒグラシばかり。去年と同じ売店で蝉の話をしたら、5月から6月にかけてはハルゼミが鳴いていたと聞かされました。芭蕉が立石寺を訪れてから、もう300年を優に過ぎています。当時と今とではこの辺りの自然環境も大きく変わっているのは間違いなさそうで、来る時期を合わせても、もう同じ体験は出来そうもありません。80年前の斎藤vs小宮の時でも、既に芭蕉の時代とは自然が大きく変化してしまっていたと考えると、両者の論争自体、果して意味があったのかどうか?
ただ、一つ気になっていることがあります。『おくのほそ道』の「立石寺」には「尾花沢よりとって返し、其間七里ばかり也」とあります。尾花沢から立石寺まで7里、ということは約28km。地図で見ても妥当な距離のようですが、1㎞歩くのに15分かかるとすると、1里(約4km)に1時間、28km歩くには7時間要します。早朝に出立しても着いたのは午後になっていたことでしょう。続いて「日いまだ暮ず」とありますが、わざわざ(?)こう書いたということは、むしろ日暮れが近かったのではないかと考えます。 斎藤と小宮は芭蕉が立石寺に着いたであろう時間を問題にすることはなかったようですが、こう考えると、ひょっとして芭蕉が鳴き声を耳にしたのはヒグラシだったのでは?と言うことです。こんな異論を挟んでみたくなりますが、ちょっと無理かな?皆さんはどう思われますか?
家に帰ると近くで蝉が鳴いていました。そしてこれもまたヒグラシでした。
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