No.61フランス北部とベルギー100年前のクリスマスの停戦
1914年12月に身をおいてみましょう。第一次世界大戦が始まってすでに数ヶ月経ちました。現代の私たちは、この戦いが1918年まで続いたことを知っていますから、まだまだ始まって間もない頃と捉えがちです。
ですが、戦いの真っ最中、従軍兵の身になれば、もうすでに、数ヶ月も前線に身を置いている状態で、目の前に迫った冬を越えなければならないという別な問題にも直面している状況です。
フランス北部、今のベルギーとの国境近くの前線も、膠着状態に陥っていました。だいたいケノワ・シュル・デゥルからアルマンティエールに掛けての線で睨み合ったまま、毎日砲弾の音を浴びながら過ごしていたのです。
ケノワ・シュル・デゥルの戦死者記念碑
そんな1914年12月25日。砲弾がやみました。
おそらくは、ドイツ側からのよびかけで、塹壕の盛り土を乗り越えて、イギリス兵にクリスマスの停戦を提案し、チョコレートやアルコールなどを分け合ったという話があります。前線の更に前、普段なら立ち入り不能な区域で、サッカーの試合まで行ったそうです。
今のベルギー、イープルの近くでも、同じようなことがありました。ドイツ軍がクリスマスの歌を歌い、クリスマスツリーを立て、敵対していた仏英兵に呼びかけたのだそうです。ともに歌を歌い、プレゼントを交換し、やはりサッカー試合を行ったといいます。
四年に亘る戦いで、1766万人以上の死者行方不明者を出したとされる第一次世界大戦。思うだに胸が痛みます。記録には残っていなくても、他にもクリスマスや復活祭に同じような「停戦」が行われた前線があったと聞くと、何かに感謝したい気持ちになります。
その時、その場で、ほんの少しでも平和なひと時を過ごせた兵士が一人でも多くいましたようにと、思わずにはいられません。
国境近くのドイツ人兵士の墓
二日後に迫ったクリスマス。ちょっと早いですが、
メリー・クリスマス。
皆さんにもよいクリスマスが訪れますように。
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第一次世界大戦については、下のページもご参照ください。
筆者
フランス特派員
冠 ゆき
1994年より海外生活。これでに訪れた国は約40ヵ国。フランスと世界のあれこれを切り取り日本に紹介しています。
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