龍馬坂から「維新の道」を歩く。

公開日 : 2015年02月10日
最終更新 :
筆者 : Akio

二年坂から龍馬坂、維新の道を歩いて来ました。

この日も、二年坂には沢山の人。

人の流れは、二年坂から三年坂、

そして清水寺や八坂の塔へと流れています。

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沢山の観光の方が歩くニ年坂から、左に曲がると

急に人のいない坂道に入ります。

この坂道は、霊明神社・正法寺へ向かう坂道で龍馬坂と呼ばれています。

二年坂では、あんなに多かった人が、ここには誰もいません。

きっと、この道へは案内板も表示もないので、入って来る人も少ないのでしょうね。

龍馬坂は、竹に覆われた真っ直ぐに続く坂道。

高低差は32m。斜度10度の坂道。

この坂道は慶応3年(1867年)11月18日、海援隊士や陸援隊士らによる

坂本龍馬と中岡慎太郎の葬列が通った「幕末志士葬送の道」。

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誰が言うともなく「龍馬坂」と呼ばれるようになりました。

振り返ると八坂の塔が見えます。

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龍馬坂の途中からは石畳の階段が続きます。

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葬列は、この坂道を通って霊明神社の墓地に運ばれ,

神道様式で葬られたそうです。

坂本龍馬さんと中岡慎太郎さんが、近江屋事件で

亡くなったのは1867年の11月。

坂本龍馬さん31歳。

中岡慎太郎さん29歳。

志士達が夢見た、明治維新はその翌年の1868年10月でした。

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龍馬坂を上り、そのまま真っ直ぐに進むと正法寺。

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寺院は、観光寺院ではありませんから、

静かな佇まいの中に時が流れています。

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境内からは、市内が一望出来ます。

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正法寺を降り、右折して少し下がると、

京都霊山護国神社。

ここには、坂本龍馬をはじめ明治維新の誕生につくした

志士達1043名の霊が祀られています。

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霊山護国神社に続く道は、維新の道。

維新の道の参道に建つ石碑は、左から木戸孝允、勤皇の志士、

天誅組などの石碑。

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維新の道沿いに建つ「翠紅館」。

翠紅館は、文久3年(1863年)に反幕府勢力の各藩志士代表者達による

会議が行われた場所です。

現在は料亭で、この日結婚式が行われていました。

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立春は過ぎた京都ですが、まだまだ寒い気温。

二月半ばの、龍馬坂から維新の道でした。

≪龍馬坂≫

○所    京都市東山区清水

○アクセス JR京都駅より市バス206系統で東山安井下車、徒歩5分

      二年坂から左に曲る。

筆者

京都特派員

Akio

京都は平安京の頃から、今に至るまで様々な歴史が残っている町。歴史と季節を訪ねながら京都特派員ブログを、綴って行ければと思います。

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