No.454第一次世界大戦と詩人
Félix-Alexandre Desruellesの彫刻"Les Fusillés lillois(射殺されたリールの者たち)"
第一次世界大戦に従軍した詩人というと、フランスでは大抵ギヨーム・アポリネール(Guillaume Apollinaire)が最初に挙げられます。生まれはポーランド国籍でしたが、大戦中の1916年にフランス国籍を取得。それが亡くなる二年前のことでした。
直接の死因はスペイン風邪でしたが、従軍中の怪我により、体力が衰えていたことも原因であると考えられています。実は今日11月9日は、アポリネール没100年にあたります。11月11日の停戦の二日前のことでした。享年三十八。
アポリネールは現在パリのペール・ラシェーズ墓地に眠っています。
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ところで、フランス北部では、第一次世界大戦と詩人というと、ウィルフレッド・オーウェン(Wilfred Owen)の名も頭に浮かびます。
英国人だったオーウェンは、大戦が勃発した時、フランスのボルドーで英語の教師をしていました。翌年従軍。フランスのソンムの戦いのひどい経験は、神や永遠の命を信じる信仰心を失わせるほど強烈だったようです。一度は怪我で前線を退き、療養しますが、再び従軍。フランス北部オルス(Ors)での戦いで銃創を負い、この地で亡くなったのは、停戦の七日前にあたる11月4日のことでした。享年二十五。
オーウェンの母親が、息子の死を告げる報せを受け取ったのは、まさに、停戦を告げる鐘が鳴る最中だったといいます。
オルスにあるWilfred Owenメモリアル
オルスは、フランス北部のル・カトー・カンブレジ近くにある森の中に位置する村です。
オーウェンが亡くなった建物があった場所には、現在ウィルフレッド・オーウェン・メモリアルが建っています。2011年落成で、英国人アーティストシモン・パターソン(Simon Patterson)とフランス人建築家ジャン=クリストフ・ドゥニーズ(Jean-Christophe Denise)のコラボレーションによるもので、オーウェンの詩の世界に捧げられたものとなっています。
フランス北部には、第一次世界大戦に関するモニュメントや墓地が多く存在します。こちらのサイトに、それらをまとめてルート別に紹介していますので、興味のある方はどうぞご覧ください。
(冠ゆき)
筆者
フランス特派員
冠 ゆき
1994年より海外生活。これでに訪れた国は約40ヵ国。フランスと世界のあれこれを切り取り日本に紹介しています。
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