桔梗が見頃「紫式部ゆかりの蘆山寺」

公開日 : 2022年08月28日
最終更新 :
筆者 : Akio

京都御苑の東の寺町通に建つ蘆山寺。

山門前には「桔梗咲いています」の文字。

「蘆山寺」は、平安時代の天慶年中(938~947年)船岡山の南に創建されたのが

始まりです。蘆山寺は室町時代の応仁の乱やたびたびの火事で

いくども消失しましたが、そのたび再興されてきました。

明治維新までは「御黒戸四箇院」という宮中の仏事を司る四か寺のひとつでした。

しかし廃仏毀釈により宮中から天台宗預かりとなり、明治天皇の勅命によって

蘆山寺だけが復興されて今日に至っています。

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《堤邸(つつみてい)》

この地は、鴨川の西に接していることから「堤邸」と呼ばれました。

そして、ここは平安時代の歌人・女流作家、紫式部の住居があった場所

でもあります。

紫式部は藤原北家の越後守・藤原為時の娘として生まれました。

そして59歳で亡くなるまでの間に、有名な「源氏物語」をはじめ、

「紫式部日記」や「紫式部集」などの数々の名作を執筆したといわれています。

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本堂前の庭は「源氏庭」です。

庭は、白砂と苔によって構成された庭で、白砂が「庭に浮かぶ雲」を

表現しているそうです。

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《夏の花・桔梗》

桔梗は、秋の花のイメージがあり「秋の七草」のひとつにあげられますが、

6月下旬頃から10月頃まで長期にわたって長く咲く花です。

花は7月頃と9月頃の2回見頃を迎えますが、9月よりは7月の方が

多くの花が咲きます。

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では、どうして蘆山寺の庭に桔梗なのかと言うと、源氏物語の「朝顔」の巻に

由来しています。

この頃の朝顔の花とは、桔梗のことを指すそうで、そのことから

源氏庭には桔梗が咲いています。

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紫式部は長徳4年(998)頃、藤原宣孝と結婚し長保元年(999)に

一女・藤原賢子をもうけます。

そのときも堤邸で生活したといわれています。

しかし結婚生活は短く、長保3年(1001)に夫・宣孝と死別してしまいます。

その後、寛弘2年(1005)頃から寛弘8年(1012)頃まで一条天皇の

中宮・彰子(藤原道長の長女)に女房、家庭教師役として仕えました。

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この時期に源氏物語を書いたといわれています。

紫式部は人生の大半を、ここ堤邸で過ごしています。

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《蘆山寺》

〇住所 京都市上京区寺町通広小路上ル北之辺町397

〇拝観時間  9:00~16:00

〇拝観料   大人・大学生・高校生500円、中学生400円、小学生以下無料

〇アクセス  バス停・府立医大病院前下車(徒歩約3分) 

〇駐車場   数台分有り

筆者

京都特派員

Akio

京都は平安京の頃から、今に至るまで様々な歴史が残っている町。歴史と季節を訪ねながら京都特派員ブログを、綴って行ければと思います。

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