ドイツ、レーゲンスブルクにおける重要文化財公開日③ ホテル・パトリツィア
ヴァーレン通りは、黄金の塔がある通り。
ちょっとお洒落な通りです。
私がここレーゲンスブルクに引っ越してきた頃は、ここにお菓子屋さんがありました。
お菓子屋さんって言っても、駄菓子屋さんではなく、チョコレート、しかもモーツアルトのチョコを売っているイメージ。オンボロで、中に入ってみたいと思うような、観光客を誘うほど魅力的なお店ではありませんでしたが、50-60歳以上の世代、かつレーゲンスブルク生まれの人は、みんな知っているようなお店です。
住所は、ヴァーレン通り18番。元々は2軒のゴシック建築だったもの。それぞれの屋根が一方方向に傾いた、ドイツ語でPultdach、英語でShed roofと言われるスタイルでした。(下の図を参照)
汚いメモですみません。私の取材メモでした。
その後塩の貯蔵庫(歴史的ソーセージ屋さんの隣)のビジターセンターにて、模型を発見しましたので、写真撮影してきました。(2022年11月24日更新)
昔、出窓(Erker)は、1軒の家に1つしか認められていなかったのですが、ここは元々2軒の家であったがために、2つの出窓があるのです。
1817年に革職人であったハートマン氏により、1軒の家として改築され、道路に面したファサードに、現在の新古典主義の装飾を施したのだそうです。この類の装飾は、現在の自然博物館(Naturkundemuseum)である元トゥルン・ウント・タクシス一家所有の建物(1804年ウィーンの宮廷建築家エマニュエル・ヘリゴヤン)やシュタットアムホーフ(ドナウの対岸の地区)Am
Brückenfuß 5にも見られます。駅前通りであるマクシミリアン通りにもこの類の装飾はたくさんありました。
ちなみに、この家の地下は、12〜13世紀のものだそうです。
南側の家の一階には、石板があり、所有者であった革職人クリストフ・ハートマン氏の名前とともに、1817年の年号の他、パンの値段も刻まれています。インドネシアでの大噴火の影響を受け、バイエルンで小麦が取れず、パンの値段が非常に高騰していたその時代背景を映し出しています。
そして北側の家の1階天井には、濃い青色の紋章が嵌め込まれています。これは1744年の年号が刻まれていますが、当時この北の家を所有していた外科医であるミヒャエル・ゴットフリード・ファブリシオス氏のイニシャル、M G Fも読み取れます。
さて、2軒の家を1つにした結果、北側の階段を残し、南側の階段を取り壊しました。ここがホテルとして使われるようになったのは、2017年2月に、レーゲンスブルクで最も古いお菓子屋さんであった、愛称ツッケアル(Zuckerl)で親しまれていたフランツ・ミュラー氏が、自宅で脳卒中のため亡くなった後のことです。
重要文化財でかつ、後継者のいないこの建物をホテルとして改築するために、さまざまな工夫がなされました。
古い窓を防音、防寒効果の高いものにしている他、安全基準に照らし合わせると、低すぎた階段の手すりを、オリジナルを保ったまま、基準を満たす高さに工夫して直しています。
建物と中庭の間にあった隙間を利用し、
エレベーターも設置してあります。レーゲンスブルクは古い建物が多い中、エレベータを設置することが可能であったのは、ホテルとしては非常に幸運だと思います。
さて、部屋を見せていただきました。2.17号室です。
モダンな、シンプルで美しい作りです。
出窓のあるお部屋、1.24はアップルグリーンのソファとベッドでした。(20人以上が一斉に見学したため、残念ながら
階段の踊り場には、ハーブティーなどが好きな時に飲めるように用意されています。
そして、こちらは玄関周りを中から外に向けて撮影したもの。
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