天才音楽家モーツァルトが暮らしていたウィーンの超一等地アパートは、現在博物館として見学可能!

公開日 : 2022年11月17日
最終更新 :

オーストリアが生んだ天才音楽家モーツァルト。ザルツブルクで産声をあげ、25〜35歳(1781〜1791年)の10年間をウィーンで暮らしていましたが、その間に引っ越した回数はなんと13回!これはモーツァルトがフリーランスの音楽家で、収入が増減するたびに見合った住居を転々としていたからだとされています。本記事で紹介する「モーツァルトハウス・ヴィエナ(Mozarthaus Vienna)」は、モーツァルトがウィーンで9番目に住んだアパートで、当時の彼の暮らしぶりを知り、その人物像に迫ることができる大変貴重な博物館になっています。

キャリア絶頂期に暮らした「モーツァルトハウス・ヴィエナ」

©Mozarthaus Vienna/ David Peters
1784年9月29日、モーツァルトはこの建物の1階(日本の2階)に引っ越してきました
©Mozarthaus Vienna/ David Peters
1784年9月29日、モーツァルトはこの建物の1階(日本の2階)に引っ越してきました

モーツァルトがここで暮らしていた2年半(1784〜1787年)は、彼がシュテファン大聖堂の副楽長を務めていたタイミングと重なり、創作活動においてもっとも脂が乗っていた時期と言われています。傑作『フィガロの結婚』が誕生した場所として知られ、かつては「フィガロハウス」と呼ばれていたこともありました。

シュテファン大聖堂はウィーンの中心部に位置しており、そこから目と鼻の先にあったモーツァルトハウス・ヴィエナの立地は、今も昔もまさに超一等地と呼ぶにふさわしいもの。モーツァルトの生涯においてもっとも裕福な時期に暮らしていたアパートであり、父レオポルド・モーツァルトが残した手紙には「高額家賃のアパートで、家具の整った素敵な部屋」という記述が残っています。

オーストリアでは建物の1階部分(日本では2階)のことを「ベル・エタージュ(Beletage)=素敵な階」と呼び、そこは全フロアの中でもっとも人気で、一番家賃の高い階とされています。モーツァルトはまさにこのアパートの1階に、妻コンスタンツェと息子カール・トマス、3人の使用人と暮らしていたそうです。

3フロア構成で18世紀当時のウィーンの様子から学ぶ(3階)

©オーストリア政府観光局/ TYO
1780年代初頭のウィーン、ノイアーマルクトを描いた絵画
©オーストリア政府観光局/ TYO
1780年代初頭のウィーン、ノイアーマルクトを描いた絵画

モーツァルトが暮らしていたアパートはウィーンだけでも10カ所以上ありましたが、現存しているのはここだけ。そんな大変貴重な建物が、現在は博物館として公開されています。住居部分の1階はもちろん、上層階も展示室として公開され、モーツァルトが生きていた当時の社会環境や音楽活動の歴史を知ることができます。

実はモーツァルトの遺品は、わずかな楽譜や手紙、楽器を除いてほとんど残っておらず、この博物館の展示品もレプリカが多いのですが、それでも未だに彼が暮らしているかのような雰囲気が保たれているのがここの魅力。さまざまな展示品を通して、モーツァルトの暮らしぶりを追体験し、その人物像に迫る楽しさをぜひ味わってみてほしいと思います。

展示は3フロアに分かれており、3階が「モーツァルトのウィーン」、2階が「モーツァルトの音楽」、「1階がモーツァルトのアパート」(※階数は地階を0階と表すヨーロッパ表記なので、日本の表記だと+1階)。モーツァルトハウス・ヴィエナでは3階から1階の順に見学するコースになっており、まずはエレベーターで3階まであがり、モーツァルトが暮らしていた18世紀後半のウィーンの社会環境について学ぶところからスタートします。

モーツァルトがやってきたばかりの1780年代初頭のウィーンは、ちょうど大都市への成長期にあたり活気に満ち溢れていました。周辺都市や周辺国から人々が流入し、郊外まで含めると人口は50万人に増加。経済だけでなく音楽界も盛り上がりを見せ、音楽家としてのキャリアを築くのに絶好のタイミングだったのです。

モーツァルトはフリーランスの音楽家として、パーティでのピアノ演奏や上流階級の人々のためにレッスン、そして自らの創作活動と、充実した時を過ごします。3階では、そんな当時のモーツァルトと交流のあった上流階級の令嬢たちの肖像画や、演奏会の様子を描いた絵画を展示。また、モーツァルトが28歳の時に入会した秘密結社フリーメイソンとの関わりについて紹介した興味深いコーナーも必見です。

©オーストリア政府観光局/ TYO
フリーメイソンの会合を描いた絵画。画面右端にモーツァルトの姿が見えます
©オーストリア政府観光局/ TYO
フリーメイソンの会合を描いた絵画。画面右端にモーツァルトの姿が見えます
©オーストリア政府観光局/ TYO
衣装のエプロンなど、フリーメイソンの関連物を展示するコーナー
©オーストリア政府観光局/ TYO
衣装のエプロンなど、フリーメイソンの関連物を展示するコーナー

ファン垂涎!モーツァルトの創作活動の軌跡を展示(2階)

©オーストリア政府観光局/ TYO
モーツァルトが活動していた時代と同時期の音楽家たちの肖像画
©オーストリア政府観光局/ TYO
モーツァルトが活動していた時代と同時期の音楽家たちの肖像画

2階はモーツァルトの創作活動についての展示になります。モーツァルトは35歳の若さでその生涯を閉じますが、それまでに作曲した音楽は600曲にものぼります。こちらのフロアでは、『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』『魔笛』『レクイエム』といった代表作の楽譜のレプリカ、その当時使用されていた楽器、楽曲初演の劇場の見取り図、同時代に活躍した音楽家の肖像画などが飾られています。

ちなみに現在のモーツァルトハウス・ヴィエナ内の壁は白く塗られているのですが、実はその下には40回以上も壁を塗り重ねた痕跡が残っており、2階の部屋の一部で19世紀初頭の頃の層がむき出しになった壁を保存展示。こちらは実際にモーツァルトが暮らしていたフロアではありませんが、おそらく当時のモーツァルトの部屋の壁も、同じような色をしていたのではと推測されます。

©オーストリア政府観光局/ TYO
劇場の平面図や世界各地での上演映像など、多角的に考察する展示が続きます
©オーストリア政府観光局/ TYO
劇場の平面図や世界各地での上演映像など、多角的に考察する展示が続きます
©オーストリア政府観光局/ TYO
モーツァルトの代表作『レクイエム』の楽譜(レプリカ)
©オーストリア政府観光局/ TYO
モーツァルトの代表作『レクイエム』の楽譜(レプリカ)
©オーストリア政府観光局/ TYO
一部むき出しの19世紀初頭の壁。大理石のような模様が描かれカラフル
©オーストリア政府観光局/ TYO
一部むき出しの19世紀初頭の壁。大理石のような模様が描かれカラフル

ハイライトは一家が住んだフロア。広さはなんと177㎡!(1階)

©オーストリア政府観光局/ TYO
社交ルームでゲームやビリヤードに興じるモーツァルトを想像してみましょう
©オーストリア政府観光局/ TYO
社交ルームでゲームやビリヤードに興じるモーツァルトを想像してみましょう

そして、いよいよモーツァルトハウス・ヴィエナの一番の見どころである1階へ。ここはモーツァルト一家が実際に暮らしていたフロアで、その面積は約177㎡もあります。部屋が4つ、小部屋が2つあり、モーツァルトが生涯住んだ中でも最大かつもっとも豪華なアパートだったそうです。

6つの部屋それぞれの用途が扉や窓の位置から推測され、その時代に製作された家具展示を通じて、当時のモーツァルトの暮らしぶりが想像できます。実はギャンブルが好きだったというモーツァルト。ゲームボードやビリヤード台が置かれた社交ルーム(Salon)がもっとも大きかったのではと言われており、ここで友人たちを招いて音楽会を開催していたかもしれません。
1階奥にあるモーツァルトの寝室(推測)だけは、シンプルな他の部屋とは雰囲気が異なり、大理石で装飾されています。天井を見上げると見事な彫刻が施されており、これは1720年にこのアパートを購入したイタリア人の宮廷スタッコ芸術家アルベルト・カメジーナの手によるもの。モーツァルトが住んでいた頃もこのアパートはカメジーナ家の所有で、自宅をショールームのようにして営業していたとのこと。大家はアルベルトの義理の娘だったそうです。

またモーツァルトの作業部屋とされる部屋の一角に、モーツァルトの肖像画がたくさん並んだコーナーがあります。銀髪で端正な顔立ちのイメージがあるモーツァルトですが、当時の写真が残っているわけではないので、どの肖像画が本当の姿に近いのか今では誰も知る術はありません。生前に制作されたものだけでなく、死後に制作された肖像画もあり、若くして貫禄たっぷりのものから、少し太って見えるものまで、その表情はさまざま。

紹介してきたとおり、ここ「モーツァルトハウス・ヴィエナ」は、ウィーンでモーツァルトが暮らした痕跡が残る唯一のアパートであり、当時モーツァルトが生きた時代、そして天才音楽家のプライベートな素顔を垣間見ることができる大変興味深い博物館になっています。オーディガイド(入場料に含まれる)を聞きながら見学し、日本語も選択可能。博物館を出る頃には、きっと訪れた時よりもぐっとモーツァルトに親近感を覚えていることでしょう。ちなみにモーツァルトハウス・ヴィエナの地下には、ベーゼンドルファーのピアノが置かれた小規模なコンサートホールがあり、定期的に演奏会を開催。モーツァルトハウスの名にふさわしく、演奏のクオリティは折り紙付き。演奏会のスケジュールはウェブサイトまたはチケット売り場で確認できます!

©オーストリア政府観光局/ TYO
モーツアルトが眺めていた街並みも当時と同じように復元されました
©オーストリア政府観光局/ TYO
モーツアルトが眺めていた街並みも当時と同じように復元されました
©オーストリア政府観光局/ TYO
模型で当時の間取りを再現。部屋の用途を推測するが最後には「?」マークが
©オーストリア政府観光局/ TYO
模型で当時の間取りを再現。部屋の用途を推測するが最後には「?」マークが
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館内の階段は当時のもの。モーツァルトもここを上り下りしたのかも?
©オーストリア政府観光局/ TYO
館内の階段は当時のもの。モーツァルトもここを上り下りしたのかも?
©オーストリア政府観光局/ TYO
同時代に製作された家具が展示されており、暮らしぶりが想像できます
©オーストリア政府観光局/ TYO
同時代に製作された家具が展示されており、暮らしぶりが想像できます
©オーストリア政府観光局/ TYO
イタリア人芸術家アルベルト・カメジーナによる見事な天井彫刻
©オーストリア政府観光局/ TYO
イタリア人芸術家アルベルト・カメジーナによる見事な天井彫刻
©オーストリア政府観光局/ TYO
モーツァルトのさまざまな素顔を見ることができる肖像画コーナー
©オーストリア政府観光局/ TYO
モーツァルトのさまざまな素顔を見ることができる肖像画コーナー
©Mozarthaus Vienna/ David Peters
地下コンサートホールではウィーンのピアノブランド「ベーゼンドルファー」が置かれる
©Mozarthaus Vienna/ David Peters
地下コンサートホールではウィーンのピアノブランド「ベーゼンドルファー」が置かれる

●モーツァルトハウス・ヴィエナ
・URL: https://www.mozarthausvienna.at/en

※当記事は、2022年11月17日現在のものです

WRITER: 伊澤 慶一
DIRECTION: 曽我 将良

〈地球の歩き方編集室よりお願い〉
2022年11月17日現在、国によってはいまだ観光目的の渡航が難しい状況です。『地球の歩き方 ニュース&レポート』では、近い将来に旅したい場所として世界の観光記事を発信しています。渡航についての最新情報は下記などを参考に必ず各自でご確認ください。
◎外務省海外安全ホームページ
・URL: https://www.anzen.mofa.go.jp/index.html
◎厚生労働省:新型コロナウイルス感染症について
・URL: https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html
旅したい場所の情報を入手して準備をととのえ、新型コロナウイルス収束後はぜひお出かけください。安心して旅に出られる日が一日も早く来ることを心より願っています。

筆者

地球の歩き方観光マーケティング事業部

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