【ドイツ】ロマンチック街道のスタート地点にある丸い町、ネルトリンゲン

公開日 : 2022年12月27日
最終更新 :

ネルトリンゲンは、ロマンチック街道のスタート地点にあたる町。日本人が訪れやすい町かもしれません。
ネルトリンゲンという地名をドイツ語で書くと、Nördlingenとなります。カタカナ発音では通じないので御用心!
ノードリンゲンに近いかしら。
「短い時間で」サクッと観光した、ネルトリンゲンをお届けします。

※ バイエルン州観光局が企画した「G7参加国ジャーナリストのためのプレスツアー」に参加して経験したことを元に、書いています。

まずは地図からご覧ください。
ネルトリンゲンが丸い、ということをうまく表現できないので、シンプルに「地図」を用意しました。
なんだか丸いんじゃない?ってお気付きいただけますか。
隕石が落ちた影響で、このような地形になったそうですが、毎年のように地質に関わる専門家が訪れたりしている町なんですって。

ネルトリンゲンは、城壁と塔に丸く囲まれた町
ネルトリンゲンは、城壁と塔に丸く囲まれた町

ネルトリンゲンが隕石が落ちてできた町、というのは、この町を特別なものにする大切な要素ではありますが、知れば知るほど面白い町のようです。

記録としては、898年にカロリング朝の村となったことが最も古い歴史です。当時は小さな二つの教会がありました。その後、レーゲンスブルクの司教により町に格上げされました。それから300年間の空白の時があり、1215年帝国都市となりました。

①フランクフルト/ヴュルツブルクとアウグスブルク、②ニュルンベルクとウルムという二つの交易の交わる場所にあったため、フランクフルトに次ぐ貿易の要所として、13世紀に栄えました。特に1219年に開いた商品見本市をきっかけに急激に人口が増えました。南ドイツでメインの見本市となり、現在は市民祭という形で残っています。

そんな繁栄の中、15世紀から造られた城壁には5つの楼門(ろうもん)があります。それぞれに付けられた名前は、そこから続く道がどこに繋がっているか、というところから付けられました。

ところが、その繁栄は長くは続きません。
危険で時間のかかる陸路に変わり、水路を利用した貿易が重視されるようになったからです。
そして迎える30年戦争。17世紀半ば、かつて膨れ上がった人口は半減、そこから現在に至るまで大きく回復することはありませんでした。

ネルトリンゲンにとっての幸運は、第二次世界大戦で大きな被害を受けなかったことです。
最後の最後で教会が一つ焼け落ちただけに留まっています。

ここの歴史について知ると、レーゲンスブルクに住む私には、非常に興味深く思えてくるのです。
「レーゲンスブルクの司教が」とガイドの説明があったときに、ゾクッ、ときただけではありません。ユダヤ人が住んでいたこと、16世紀にはプロテスタントとなったこと、魔女狩りが行われていたこと、戦争の被害をほぼ受けていないこと、などなど、共通点がたくさんあるからです。

それでは、まずは市庁舎から、見ていきましょう。

市庁舎の階段
市庁舎の階段

この市庁舎は、14世紀以来600年以上にわたって市庁舎として使われているのだそうです。
だからなのでしょう、内部の見学、などはないのですが、いくつかの興味深い話を聞きました。

その中で、魔女狩りの話もありました。ネルトリンゲンでは、たくさんの魔女狩りが行われたようです。1589年から98年の間に、なんと34人の女性と1人の男性が魔女だと疑いをかけられたのだそうです。頭が良い女性、商売が成功している女性などが、魔女と疑われていたのですが、その魔女狩りは、カトリックの教会ではなく、市が行なっていたというのは驚きでした。

ネルトリンゲンではこの魔女狩りについて、詳細の記録がたくさん残っています。魔女狩りの対象となった人の中には、ウルム出身の裕福な豊女性マリア・ホルがいます。彼女は62回も拷問されたにも関わらず、84歳まで生き延びたそうです。
他にもレベッカ・レンプは、最愛の夫や3人の子供と、拷問、監禁の間に手紙をたくさん交わしており、後世に魔女狩りについての詳細を伝えています。レベッカは、後ろ手に縛られ釣り上げられたりしていますが、焼き払われてその生涯を終えました。

この階段の陰、すぐに目のつかないところに、こんな刻版があります。

中世はここに小さなバーがあったとか。それが格子の扉がある牢獄として使われるようになり、今では閉じられているのだそうです。なんだか恐ろしい場所なのですね。

旧市庁舎からハーフェンマルクト、テンドラーマルクトへと移動します。

歩いていると、この町には素敵な家がたくさんあるなあ、と思うのですが、どうやら変な形の家が多いのです。ニュースを作るため、とガイドさんは言っていましたが。貿易で栄えた町だから至る所に倉庫があったそうですが、ニュルンベルクやフランクフルトのように大規模な町でない割には、背の高い家が多い、とのこと。なるほど、そう言われてみればそうかも。

ハーフェンマルクトの中央には広場があります。ここには二つの大きな木造の建物があったのですが、1945年の火災で焼けた後に広場となりました。

  • ハーフェンマルクトの家

    ハーフェンマルクトの家

テンドラーマルクトにあるこの大きな建物。13世紀に建てられ、フランシスコ会の修道院として使われていたものが、その後倉庫として使われていました。白に黄金の窓枠がありますが、よく見ると、上半分がだまし絵になっています。30年戦争の後は利用されることなく放置されていました。1970年代前半に改築されています。

ギルドのサインがある家
ギルドのサインがある家

16世紀終わりに建てられた、かつてのなめし職人の家です。屋根の下は風が通り抜けるオープンなスペースです。壁にギルド(職業別組合)のサインがあります。

川の方に行きましょう。レーダーガッセ(皮の小道)を目指します。ここは、大量の水を使う、皮なめし職人が働いていたところです。

川沿いにシュピタール教会や市営博物館の方に向かって歩いて行くと、なかなか素敵な散歩道です。

なんだか頭でっかちな家ですね。ちょっと変わったプロポーションの家もあちこちにあって面白い!
なんだか頭でっかちな家ですね。ちょっと変わったプロポーションの家もあちこちにあって面白い!

さて、ネルトリンゲンで最も有名な観光スポットといえば、やはり聖ゲオルグ教会の塔、ダニエルでしょう。高さ90mの塔は、いまでも番人がいて、夜10時から0時までの間には、30分おきに、塔からSo, G'sell so!と叫ぶのだそうです。

とにかく、塔の一番上まで登り、町を眺めてみましょう。

塔の上からは、町の様子がよく見える。絶対登るべき!
塔の上からは、町の様子がよく見える。絶対登るべき!
360度、どこを見ても美しい
360度、どこを見ても美しい

いくつか写した写真の中には、偶然コウノトリが写っていました。狙ってズーム撮影していれば、美しい写真になったかも。

屋根の上の巣にいたコウノトリ
屋根の上の巣にいたコウノトリ
地上から見上げると、こんな感じでコウノトリさん見えました。
地上から見上げると、こんな感じでコウノトリさん見えました。

一通り塔の上から町を見回した後は、ここの塔の番人さんと

塔の番人
塔の番人

夜に伝統のSo, G'sell, so!と叫ぶのも大切なお仕事。普段は塔を訪れる観光客の相手もしています。

市の職員であると言われる三毛猫、ヴェンデルシュタインもいました。
市の職員であると言われる三毛猫、ヴェンデルシュタインもいました。

もう12年もこの塔ダニエルに住み着いていて、鳥を追い払ったりしています。さすがに15人以上もの団体が狭い場所に押しかけたので、リラックスした表情での撮影は無理でしたが。

ちょうどクリスマスマーケットの時期だったので、道端で美味しいものに出会えました。
まずは、ビアシュテッへルン。注がれたビールに熱い棒を差し込むのですが、するとしっかりとした泡がたくさん。なかなか見応えがあり、かつ美味しい!これは一度は試してみたいものですね。

これはビールに熱した棒を差し込んで泡を出させた飲み物、ビアシュテッヘルン。暖かい状態ですぐに飲むのが一番
これはビールに熱した棒を差し込んで泡を出させた飲み物、ビアシュテッヘルン。暖かい状態ですぐに飲むのが一番

定番の焼きソーセージをパンに挟んだものもありますが、私は鮭を昼食にいただきました。デザートにクレープやワッフルもいいですね。寒さを凌ぐために、グリューワインもいいですが、たまにはホットココアもいいかも。

  • 鮭。魚の乏しいバイエルンでは有難いメニューです

    鮭。魚の乏しいバイエルンでは有難いメニューです

  • ジューシーな鮭たっぷりに、ソースとシャッキリレタス、最高です!

    ジューシーな鮭たっぷりに、ソースとシャッキリレタス、最高です!

自由時間となったがもう陽の光が傾く頃。ドイツの冬の日はとっても短い。
最後の光を使ってどこにいこうかしら?
ネルトリンゲンは城壁で囲まれていますが、それが全部残っているのはドイツで唯一ここだけだそうです。5つの楼門と11の門、そして2.7kmにもなる城壁。私は時間の都合上、ホテルに向かう途中にある楼門(ろうもん)、レプズィンガー門付近を少し歩いただけですが、本当なら一周回ってみたかったです。

レプズィンガー門は、1388年以前に最初のものが建てられ、16世紀末に壊されたもののすぐ造り直されました。
レプズィンガー門は、1388年以前に最初のものが建てられ、16世紀末に壊されたもののすぐ造り直されました。
城壁、結構高いですね
城壁、結構高いですね
城壁の途中に、家が組み込まれたりもしていました。普通の住居?
城壁の途中に、家が組み込まれたりもしていました。普通の住居?

城壁に組み込まれるように家らしきものがあるのです。気になって後で調べてみたのですが、昔は見張り役の人の住居となっていたのですね。今は普通の賃貸住宅として使われていたりするようです。内部はどんな感じなのかしら?太陽光はどのくらい入るのかしら?気になるところですね。

城壁関連でもう一つ気になるのは、修復工事です。順次工事がされています。歴史的なものを保管するというのは、やはりどこでも大変ですね。

城壁の表面を見ても、確かにいい状態ではなさそうです。
城壁の表面を見ても、確かにいい状態ではなさそうです。

最後にちょっと興味深いお話。
ここネルトリンゲンには、豚にまつわる言い伝えがあります。

それは1440年のこと。
普通城門は敵から、町を守るために閉められていますが、ある時、夫のためにビールを届けようとした女が、一頭の豚がレッズィンガー門に体をすり寄せているのを偶然にも見ていました。すると、門がきちんと閉まっていなかったことに気付いたのです。
この女が、豚が逃げる!と大騒ぎをし、門が開いていることがわかった番人が慌てて門を閉めに踊り出すことになりました。それらは偶然、敵が攻め込もうとしていたところだったので、この豚のおかげで町を守ることができた、というわけなのです。ですから町中今でも豚の置物が。これらは、白い豚の置物をそれぞれ個人や商店が購入し、色を塗って置いたりしているようです。そんな豚を探して歩くのもちょっと面白いのではないかしら。私が見つけたのは、こんな豚さんたちです。

  • レプズィンガー門のすぐ外、近くには豚にまつわるお話が刻まれています

    レプズィンガー門のすぐ外、近くには豚にまつわるお話が刻まれています

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