117. アフラシアブの丘&アフラシアブ博物館 ソグド人が活躍した古代サマルカンドの痕跡がここに

公開日 : 2023年08月12日
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サローム(こんにちは)!

突然ですがグーグルマップの航空写真でサマルカンドを見てみましょう。びっしりと町が建物で埋め尽くされている中、中心部から見て北東にほぼ三角形の土色のスペースがぽっかりと空いているのに気づくでしょう。これが今回ご紹介するアフラシアブの丘(アフラシャブの丘、またはアフロシヨブの丘とも表記)。航空写真で見た通り、サマルカンドの中でまるでここだけがエアポケットのように人の気配の全くない荒地になっているのです。
200ヘクタール(東京ドーム約43個分)以上もある丘ですが、入口は限られています。分かりやすいのが、丘の南の端にあり歩行者天国カリモフ通りを歩いていくと現れるランドマーク、ハズラティ・ヒズル・モスクの東側の小道を入って墓地を通り抜けていくルートと、後述のアフラシアブ博物館左奥の入口から入るルート。

ハズラティ・ヒズル・モスク横の入口。墓地の入口を兼ねているので夕方から早朝にかけてクローズする
ハズラティ・ヒズル・モスク横の入口。墓地の入口を兼ねているので夕方から早朝にかけてクローズする

この丘の正体は果たして何なのでしょうか?サマルカンドの町が最も危機に陥ったのが1220年。チンギスハン率いるモンゴル軍による攻撃で、人口の4分の3以上が壊されるという大惨事となりましたが、まさにそのときまで町があったのがここ。サマルカンドは3000年近い歴史を誇る世界有数の古都ですが、古代サマルカンドの町はこの場所に広がっていました。つまり今ここは都市遺跡になっているのです。

アフラシアブの丘

8世紀にやって来たイスラム軍に征服されるまでこの古代サマルカンドを支配していたのが、中央アジアのオアシス都市を拠点として長い間シルクロード交易を担ってきた民族、ソグド人。高速列車の名称にもなっているこのアフラシアブという名も、伝説の最初のソグド王の名前と言われています。
彼らが作り上げたサマルカンドは美しくかつ高機能な都市だったとされていますが、特筆すべきが水の供給システム。水道や井戸が存在しており、貯水池もあったといわれています。

しかし今ここにあるのは、そんな町があったことが想像もつかない乾いた荒地。時折羊飼いが羊を連れているのに出くわします。余談ですが私が初めてサマルカンドを訪れた2010年、ここにやって来たとき大勢の羊を発見。当時ほぼ海外に行ったことのなかった私は、羊の群れを生まれて初めて見てなぜか大はしゃぎした記憶があります。羊飼いとも出会いましたが、もちろん羊飼いという人種に会うのも初めて。あちらもテンションの高い謎の東洋人に困惑したはずで、まさに双方にとって未知との遭遇だったでしょう。
最近は若者にとってピクニックの場になっているようです。宗教の関係でおおっぴらに男女二人っきりで会えないこの町のカップルにはうってつけの隠れデートの場になっていると聞いたことも。確かに気候の厳しい夏や冬にここを散策するのは厳しいですが、春や秋は町の喧騒を離れて一息つきながら散歩するのに最適な場所だと感じます。私の活動している観光案内所でも、近日中にアフラシアブの丘でピクニック&羊飼いに会ってみようツアーを企画する予定です。

アフラシアブの丘 羊の群れとビビハニムモスク
羊の群れの向こうに見えるのは巨大なビビハニムモスク
アフラシアブの丘 ピクニック
ありきたりの観光に飽きたら、サモサなどの食べ物や敷物を持ってきてぜひここでピクニックを

そんなわけで、町が復元されているわけでも出土品が並べられているわけでもなく、あまり古代遺跡感のないアフラシアブの丘ですが、発掘の跡が一目瞭然でしっかりレリーフも設置されているところが一箇所あります。それが丘の北東、博物館側の入口から10分ほど歩いたところにある発掘現場。ここは当時のシタデル(城塞)があった場所で、レリーフにはウズベク語と英語でこのシタデルの説明が描かれています。1965年に見つかったこの城塞跡には、宮殿を含め当時30ほどの建物があったとのこと。

アフラシアブの丘 城塞跡

そしてこのシタデルの宮殿跡で発掘された最も重要な出土品が、横11m、高さ2.7mに及ぶフレスコの大壁画。その壁画が展示されているのがアフラシアブ博物館(アフラシャブ博物館、アフロシヨブ博物館とも表記)なのです。

アフラシアブ博物館 外観

この壁画は当時の宮殿の部屋のレイアウトに似せた形で展示されています。完全な状態で発掘されたわけではなく、ところどころ途切れた状態ですが、それでも実際に見るとその大きさに息を呑むことでしょう。
描かれているのは7世紀のソグド王ワルフマンと、王に謁見する各国の使者。西はトルコから東は中国や朝鮮までさまざまな民族が描かれており、シルクロード世界の広がりに驚くばかりです。

アフラシアブ博物館 大壁画
アフラシアブ博物館 大壁画
ボートに乗っている中国の公女たち

もちろんその他の遺跡の出土品も展示されています。ソグド人の偶像や棺、アレキサンダー時代のコインなども。当時の町の模型もあり、町が城壁で囲まれていたこと、4つの城門があったことなどがわかります。
運が良ければ、この遺跡についての日本語の案内ビデオも見ることができます。

アフラシアブ博物館 館内

博物館駐車場にはラクダのキャラバンの像があります。当時はさまざまな地域からやってきたこのようなキャラバンたちで、古代サマルカンドの町がにぎわっていたことでしょう。

アフラシアブ博物館 ラクダのキャラバン像

この博物館へはハズラティ・ヒズル・モスクや前回の記事で紹介したダニエル廟から徒歩15分。シヨブ・バザールやビビハニム・モスク、ハズラティ・ヒズル・モスク、アフラシアブ博物館&アフラシアブの丘、ダニエル廟、ウルグベク天文台と歩いていくと、天気のいい日ならちょうどよい散歩コースとなります。いにしえのサマルカンドの町を繁栄させたソグド人に思いを巡らせながら歩いてみてください。

それではコルシュグンチャ・ハイル(また会う日まで)!

■アフラシアブの丘 Afrosiyob tepaligi

入場料
なし
アクセス
ハズラティ・ヒズル・モスクから徒歩5分、アフラシアブ博物館からすぐ

※下記地図はアフラシアブの丘内のシタデル発掘現場

■アフラシアブ博物館 Afrosiyob muzeyi

住所
1 Shohizinda ko'chasi, Samarqand
電話番号
+998-66-235-5336
営業時間
09:00~18:00(冬季は09:00~17:00。予告なく変更となる可能性あり)
入場料
3万スム(予告なく変更となる可能性あり)
アクセス
ハズラティ・ヒズル・モスクから徒歩15分

筆者

ウズベキスタン特派員

伊藤 卓巳

根っからのスタン系大好き人間です。まだまだ知られていないウズベキスタンの魅力や情報を、サマルカンドより愛をこめてお伝えします!

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