マヨール広場(マドリード)
Plaza Mayor
歴史を見守ってきた市民の憩いの場
その昔アラバル広場と呼ばれていたこの広場は、16世紀初めにはすでにこの名前(マヨールとは「大きい」という意味)で親しまれていたらしい。湧き水に集まる人々が踏み固めてできた町外れの広場が、17世紀前半、ハプスブルク朝マドリードの主任建築家フアン・ゴメス・デ・モラにより、それまで誰も試みたことのなかった5階建ての集合住宅に囲まれた広場に変貌した。
その後200年にわたり、祭り、闘牛、一騎打ち試合、国王の宣誓式や婚礼儀式、絞首刑や断首刑、異端尋問など、さまざまな催し物が行われる歴史の舞台となった。広場を囲む家々のバルコニーは、ときには数千人の見物客で埋め尽くされたという。
しかし18世紀末、10日間にわたる大火災で広場の大部分が焼け落ちてしまう。修復工事は王室と市の主任建築家フアン・デ・ビリャヌエバによって進められ、フアン・ゴメス・デ・モラの設計原型をもとに19世紀半ばに完成。9つのアーチをもつ4階建ての建物に囲まれた現在の形になった。北面中央にある尖塔をもつ建物はカサ・デ・ラ・パナデリアと呼ばれ、かつてはパン管理局がおかれていた。現在は建物の1階にが入っているので、情報収集を兼ねて立ち寄ってみよう。
マヨール広場 見学のポイント
1. スペイン王国の紋章
カサ・デ・ラ・パナデリアの中央に刻まれている。その下のバルコニーは王家が催し物を見物するための観覧席だった。
2. フェリペ3世の騎馬像
最終的にマドリードを首都と定め、マヨール広場の建設を命じたのがフェリペ3世(在位1598〜1621)だった。
3. クチリェロス門
広場の南西にある、マヨール広場で最も個性的な門。階段を下りると居酒屋の並ぶカバ・デ・サン・ミゲル通りに出る。
写真
基本情報
- 地下鉄駅
- 1/2/3号線ソル駅から徒歩5分
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