没後700年、『神曲』の作者ダンテと歩くイタリア① ~フィレンツェ編~
イタリア文学最大の詩人であり、“イタリア語の父”と呼ばれるダンテ。没後700年にあたる今年は、彼の人生とともにイタリアの街を覗いてみませんか? まずはダンテが生まれたフィレンツェです。中世の面影を残すこの街には、名作を集めた美術館や歴史的な教会など見どころがたくさん。世界文学の金字塔ともいわれる『神曲』はどのようにして生み出されたのか、ダンテの人生の前半戦を辿ってみましょう。
偉大なる詩人の誕生
1265年、ダンテ(本名ドゥランテ・アリギエーリ)は、フィレンツェの小さな貴族の家に生まれました。生家は破壊されたために残っていませんが、1911年、生家があったといわれるエリアにダンテの家が再建され、ダンテの人生と作品を紹介する博物館になっています。ホログラムで映し出したダンテの顔、ダンテの旅を体験できるプロジェクションマッピング、当時のフィレンツェの街を体験できるVRなど、最新技術を使った展示も話題です。
代表作『神曲』は地獄篇、煉獄篇、天国篇からなる3部作。ダンテは地獄篇第23歌に、「私が生まれて育った故郷は美しいアルノ川に面した大きな市だ」と記しています。ダンテの家の壁には、この一節が書かれたプレートも。このような『神曲』の中の詩文が書かれたプレートが、フィレンツェ市内33ヵ所で見ることができます。
ダンテも見た黄金に輝くモザイク画
生まれた翌年の1266年3月26日、ダンテはサン・ジョヴァンニ洗礼堂で洗礼を受けたと、フィレンツェ市の記録に残っています。のちに『神曲』地獄篇第19歌の中でも「麗しの我がサン・ジョヴァンニ」と表現しています。
11世紀から12世紀に、フィレンツェの守護聖人に捧げるために建てられたサン・ジョヴァンニ洗礼堂。すぐ隣のドゥオーモができるまでは聖堂として使われていました。天井には聖書の場面を表現した黄金のモザイク画があり、主祭壇上のキリストは「最後の審判」を題材にしたもの。これに影響を受けたダンテは、『神曲』地獄篇第34歌に3つの頭をもった悪魔の大王が罪人をくわえている地獄の様子を書いています。
サン・ジョヴァンニ洗礼堂 Battistero di San Giovanni
永遠の想い人との出会い
1274年、ダンテはひとりの少女と出会います。それは、“最愛の女性”となるベアトリーチェ・ポルティナーリ。9歳のダンテ少年は、彼女の美しさにすっかり心奪われてしまうのです。9年後の1283年、ふたりはアルノ川にかかるサンタ・トリニタ橋で偶然再会。そこでベアトリーチェに会釈されたダンテは彼女への想いを募らせますが、言葉も交わさずにすれ違っただけでした。
サンタ・トリニタ橋がかけられたのは1252年。木製の橋は大勢の人が集まったことで1259年に崩壊してまったため、ふたりが再会したときは石の橋にかけ替えられていました。その後も洪水や戦争による崩壊で幾度にわたり再建。現在の橋は1958年のものです。
ひっそりたたずむ恋のパワスポ
ベアトリーチェへの想いがありながらも、1285年頃、ダンテは許嫁のジェンナ・ドナーティと結婚。同じ頃、ベアトリーチェも銀行家の息子に嫁ぎますが、1290年、わずか25歳で亡くなってしまいます。ベアトリーチェの死を知り深く悲しんだダンテ。かなわなかった片想いは、ベアトリーチェを聖なる存在へと変えていきます。ついには、1292年頃、彼女への愛を綴った詩に散文を加えた処女作『新生』を出版するのです。
ベアトリーチェの墓があるのは小さなサンタ・マルゲリータ・デイ・チェルキ教会。墓の前には、いつしか恋の悩みや願いを書いたベアトリーチェ宛の手紙が置かれるようになりました。ダンテと妻ジェンナが結婚式を挙げたのも、この教会だといわれています。
■サンタ・マルゲリータ・デイ・チェルキ教会 Chiesa Santa Margherita dei Cerchi
・住所: Via Santa Margherita, Firenze
ダンテの目線でドゥオーモを眺めて
フィレンツェのシンボルでもあるドゥオーモ。ダンテは、その建築の様子をそばにあった石に座ってよく眺めていたといわれます。かつて石があった場所には「SASSO DI DANTE(ダンテの石)」と書かれた碑(プレート)があるので、ドゥオーモ広場を探してみてください。
ダンテが石に座って建築を眺めていると、知り合いが通りかかり「おぉ、ダンテ。君が最も好きな食べ物はなんだい?」と聞きました。彼は「卵」と答えます。1年ほどのち、同じ男性が通りかかったとき、ダンテが同じ場所に座っていたので、不意に「何をつけて(食べるのが好きなんだい)?」と聞くと「塩さ」と答えたという恐るべき記憶力のエピソードも伝えられています。
■ダンテの石の碑 Sasso di Dante
・住所: Piazza Duomo, Firenze(Via dello StudioとPiazza delle Pallottoleの間)
フィレンツェから永久追放
しかし、ダンテはドゥオーモの工事を見ることができなくなってしまいます。政治家としても活動をしていた彼が、1301年、フィレンツェ共和国の大使としてローマを訪れている間にクーデターが発生。新政権に裁判にかけられたダンテは、翌年、故郷フィレンツェを追われ、流浪の身となってしまうのです。この突然の一件と最愛の人ベアトリーチェの存在が『神曲』を生み出す原動力となっていきます。
ドゥオーモは、1296年に建築家カンビオが着手、建築家ブルネッレスキがクーポラを完成させたのが1436年と、約140年の年月をかけて建築されました。白・緑・ピンクの色大理石で装飾されたファサードは19世紀に完成され、現在の姿にいたるまでには約600年を要しています。内部には、ドメニコ・ディ・ミケリーノの「『神曲』を持つダンテ」が飾られています。これは、ダンテ生誕200年を記念したもので、左に地獄、奥に煉獄、その上に天国が描かれています。
友人が描くダンテ最古の肖像画
二度とフィレンツェに戻ることのなかったダンテですが、この地にはダンテにゆかりのあるスポットがまだまだあります。彼の最も古い肖像画が残されているのが、バルジェッロ国立美術館ポデスタの礼拝堂。1340年頃、画家ジョットとその工房によって描かれたフレスコ画で、ダンテとの親交があったジョットが手がけただけに、その顔は本人に似ていると考えられています。
また、『神曲』煉獄篇第11歌では、「チマブーエは絵画界で王座を占めたと思っていたが、今ではジョットが名声を獲た」と、友人ジョットについて書いています。
祖国には眠らず……
ミケランジェロ、ガリレオ・ガリレイ、マキャベッリ、ロッシーニなど、イタリアを代表する偉人が眠るサンタ・クローチェ聖堂。ダンテの墓はフィレンツェにはなく、1829年に墓の形をした記念碑が作られました。ダンテの下の女性は、「イタリア」と「詩」を表現した彫刻です。
荘厳な聖堂の内部には、ドナテッロのレリーフ「受胎告知」「十字架像」、ジョットのフレスコ画「聖フランチェスコ伝」「洗礼者ヨハネ伝」「福音史家ヨハネ伝」、チマブーエの「十字架像」など、さまざまな芸術家の作品が飾られています。
ダンテの“デスマスク”をチェック
フィレンツェ共和国の政庁として、現在は市役所として使われているフィレンツェの政治の中心、ヴェッキオ宮には、ダンテのデスマスクが展示されています。デスマスクは、『神曲』地獄篇を下敷きにした物語が展開する映画『インフェルノ』でもキーアイテムになり、大きな五百人広間も登場しました。ここは共和制時代の市民会議を開くために15世紀の終わりに作られた場所で、天井と周囲の壁の壁画装飾は、16世紀後半にコジモ1世の依頼でヴァザーリの工房が手がけました。
壁画の下にレオナルド・ダ・ヴィンチの描いた「アンギアーリの戦い」があり、東の壁面に小さく書かれた“CERCA TROVA(探せ、さすれば見つかる)”という文字は、その絵の場所を示すヴァザーリのメッセージだともいわれています。
ダンテゆかりのスポットを巡るフィレンツェ散策ルート
イタリア中央部にあるトスカーナ州の州都フィレンツェは、15世紀、メディチ家の擁護のもと、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、ボッティチェッリをはじめとする多くの芸術家が活躍したルネッサンス文化発祥の地。“屋根のない美術館”と称されるほど美しい街並み、絵画、彫刻などの名作は、今も世界中の人々を魅了してやみません。今回ご紹介したダンテゆかりの場所を効率よく巡るなら、こちらの順番がおすすめです。
地球の歩き方おすすめフィレンツェ散歩プラン
サンタ・トリニタ橋
↓徒歩9分
ドゥオーモ
↓徒歩1分
サン・ジョヴァンニ洗礼堂
↓徒歩2分
ダンテの石の碑
↓徒歩2分
サンタ・マルゲリータ・デイ・チェルキ教会
↓徒歩1分
ダンテの家
↓徒歩1分
バルジェッロ国立美術館
↓徒歩3分
ヴェッキオ宮
↓徒歩6分
サンタ・クローチェ聖堂
ダンテのフィレンツェにおける人生はいかがでしたか? 次回は、北イタリアを転々としたのちに辿り着いたラヴェンナと代表作『神曲』についてお届けします。
■没後700年、『神曲』の作者ダンテと歩くイタリア② ~ラヴェンナ編
・URL: https://news.arukikata.co.jp/column/sightseeing/Europe/Italy/RAVENNA/146_385748_1627435984.html?w=146
文:河部紀子(editorial team Flone)
写真:イタリア政府観光局、斉藤純平、田尻陽子、iStock
・URL:https://visitaly.jp/
※当記事は、2021年7月26日現在のものです
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◎外務省海外安全ホームページ
・URL: https://www.anzen.mofa.go.jp/index.html
筆者
地球の歩き方書籍編集部
1979年創刊の国内外ガイドブック『地球の歩き方』の書籍編集チームです。ガイドブック制作の過程で得た旅の最新情報・お役立ち情報をお届けします。
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