ドイツのお墓【雑学】
お盆ももう終わりますね。
皆さんは、お墓参りをされましたか?
コロナの影響で帰省も自粛されているため、お墓参り代行サービスがあるとニュースで読みました。
私は日本への帰省の頻度が普段から非常に少ないので、日本のご先祖さまに挨拶を直接することはまれですが、代わりに、ドイツで主人方のお墓にはここ数年足繁く通っています。
ドイツのお墓は、カトリックとプロテスタントに分かれて存在します。
宗教は家族の中で異なることも珍しくはないようです。
ここドイツで終身過ごす私は、いったいどうなるの?と思ったのですが、カトリックのお墓に入れてもらえるようです(私はカトリックではないです)。
ユダヤ教や無宗教の人もいます。
私はおもにカトリックのお墓に出かけますが、多くのお墓はたくさんの季節の花で飾られています。もちろん、乾燥に強いものが選ばれがちなので、偏りはありますが、お墓とは言え美しいものです。
親族が近くに住んでいない場合などは、土の範囲が狭く、または皆無で、美しい天然石で覆われていることが多く、日本でいうお盆などの大切なときに、植木鉢に飾った花や、華道の延長のような、日本でいうとお正月のしめ縄のような雰囲気の装飾物が置かれたりします。または、お花が咲かない常緑の植物、という選択肢もあります。
わが家の場合は、義父を始めとした人のお墓になるのですが、義母もしょっちゅうお墓に足を運ぶことが難しくなったので、私が普段は水やりをしたりしています。
雨がときどき降るとありがたいですが、日照り続きだと気になるので、出かけるついでに水をあげたり、時期を過ぎた花芽を摘んだり。雑草取りも仕事です。塩を撒いている人もいます。お塩は雑草が生えないようにということで撒くのですが、お墓の世話をするのはだいたいがおじいちゃんおばあちゃん世代なので、雑草取りはたいへんだからでしょう。私はまだまだ若い(?)ので、お塩に頼らずちゃんと雑草を抜いていますよ。
私はカトリックではないので、(トランペットを演奏しに行く以外は)教会のミサには足を運びませんが、教会に出入りしている人たちは、そのたびにお墓にも出向くことになりますね。ですから、先祖との繋がりが濃く見えます。
土葬が中心で、30年単位で貸し出されるもので、貸与期間が終われば(もちろん大概のお墓は延長、延長です)、次に貸与契約が成り立たない場合は、平たくならされ、芝が植えられたりします。
火葬もあります。
土葬のお墓の一角に、火葬のお墓が。土葬だと、体分プラスアルファの土地が必要ですが、火葬だと小さくてすむので値段がお安いようで、マイナーではありますがこれもほどほど人気かな、と。まあ、お墓のマンションのような感じですね。先日、あらためてみてみると、そんな小さな火葬のお墓の中で、「あなたは今でもとてもいいママです」と添えられている子供が書いたような絵が、濡れても大丈夫なようにラミネート加工して飾られていました。よく見ると、5年くらい前に45歳で亡くなった女性のお墓でした。
参考までに、レーゲンスブルクでこんな変わったお墓も訪ねてみませんか?
一般人のお墓ではありませんがこんなのもありますよ。
例えば、レーゲンスブルクの大聖堂の内部に、地下へ降りる階段があります。解放されているので、大聖堂が空いている時間は普通はそちらへも行くことができます(ミサ中などを除いて)。
ここには、司教さんなどのお墓があるわけですが、非常に歴史的なものなのです。フッガー家の人の名前とか、見つけたときにはビックリしました。また、こちらについては時間のあるときに勉強させてもらって、ブログ内で報告したいと思います。
ほかにもいろいろありますが、普段公開されているものはたくさんはないと思います。例えば、カーメリッテン教会の地下聖堂は、年に1回だけ公開となります。関連記事は、2019年11月の記事「期間限定! カーメリッテン教会の地下聖堂が期間限定で公開」からどうぞ。
古いお墓と言えば、現在改修中ですの三位一体教会(ドライアイニッヒカイトキルヒェ)の横には、17世紀以降のお墓があります。ヨーロッパでも唯一、と言われる特別なお墓のようです。魔女狩りが盛んであった当時、レーゲンスブルクには、逃げこむようにプロテスタントの人が集まってきました。そんな貴族がここに葬られています。
三位一体教会は、バイエルン州の中でも最も古い新築で建てられたプロテスタントの教会です。当時お金がない時代だったので、普通はカトリックの教会をプロテスタント用に改築して使用していました。
この教会そのものは、三十年戦争(1618〜1648年)の最中に建てられたのですが、併設のお墓には
1632〜1663年に第1段階として、
1664〜1700年が第2段階として、
1701〜1745年が第3段階として、
プロテスタントの貴族が葬られました。
一部墓石の移動があったものの、1830年の状態とほぼ変わらず残っています。
1641年に亡くなった貴族のお墓が最も古いもののようです。
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