『ゴッホ展~響きあう魂 ヘレーネとフィンセント』@福岡市美術館
こんにちは。福岡特派員のDukeです。本日は福岡市美術館で開催中の『ゴッホ展〜響き合う魂 へレーネとフィンセント』を紹介します。【会期:2021年12月23日(木)〜2022年2月13日(日)】
ヘレーネ・クレラー=ミュラーは、ゴッホの作品に深い精神性を感じとり、20年間にわたってその作品270点を収集した女性です。ただコレクションするだけではなく、それらを後世に伝えるため、1938年クレラー=ミュラー美術館を開館しました。
![Gogh01.jpg](https://static.arukikata.co.jp/pic-images/tokuhain/fukuoka/assets_c/2022/02/Gogh01-thumb-730x313-589561.jpg)
パネルの絵は、パリからアルルに拠点を移したゴッホが暮らした『黄色い家(通り)』。ゴッホが借りていたのは、手前右側の緑色の扉や窓のある小さな家だそうです。ゴッホはここで、画家が集まって共同制作することを夢見ていました。
![Gogh02.jpg](https://static.arukikata.co.jp/pic-images/tokuhain/fukuoka/assets_c/2022/02/Gogh02-thumb-730x426-589564.jpg)
ゴッホ展のリーフレットに使われているのは、『夜のプロヴァンスの田舎道』。
![Gogh04.jpg](https://static.arukikata.co.jp/pic-images/tokuhain/fukuoka/assets_c/2022/02/Gogh04-thumb-730x548-589566.jpg)
今回のゴッホ展では、画家ゴッホを世に知らしめたヘレーネの足跡を辿りながら、そのコレクションを次の4章に区分して展示しています。(1章~3章は主としてクレラー=ミュラー美術館、4章はゴッホ美術館のコレクションです)
1.芸術に魅せられて(ヘレーネ・クレラー=ミュラー)
2.ヘレーネの愛した芸術家たち
3.ファン・ゴッホを収集する
3-1.素描家ファン・ゴッホ、オランダ時代
3-2.画家ファン・ゴッホ、オランダ時代
3-3.画家ファン・ゴッホ、フランス時代
3-3-1.パリ
3-3-2.アルル
3-3-3.サン=レミとオーヴェール=シュル=オワーズ
4.ファン・ゴッホ美術館(ゴッホ家コレクション)
ゴッホは27才の時、画家として生きていくことを決意し、故郷のオランダで数多くの素描を描きました。画家としての修行時代といえます。その後、油彩を描き始めたゴッホは、パリに移り住んで新進気鋭の画家たちとの交流を深めていきます。この頃描いたのが、ゴッホにしては珍しい点描を取り入れた、明るく繊細な『レストランの内部』(右上)です。またこの時期、多くの自画像を描きました。パリで多くの刺激や感化を受けたゴッホにとって、画家としての自分を見つめ直す時期だったのかもしれません。(写真はパンフレットから)
![Gogh05.jpg](https://static.arukikata.co.jp/pic-images/tokuhain/fukuoka/assets_c/2022/02/Gogh05-thumb-730x553-589562.jpg)
1888年2月、ゴーギャンのすすめに従ってアルルに拠点を移したゴッホは、南仏の明るい空の青と、燃えるように鮮やかな太陽の色彩である黄色の組み合わせに魅了されました。その頃の作品が『種まく人』(左上)や『アルルの跳ね橋』、一連の『ひまわり』、『夜のカフェテラス』、『ローヌ川の星月夜』、『黄色い家』(上の写真 左下)などです。農民を描き続けた画家ミレーに心酔していたゴッホは、働く農民の姿をよく描きました。精力的に南仏の野や山を歩き回って風景を描いたこの頃は、ゴッホにとって最も充実した時代だったのではないかと思います。
しかし、その幸せな時間は長くは続きませんでした。その年の10月、遅れてアルルにやって来たゴーギャンとの仲が次第に険悪となり、クリスマスイブには自分の耳を切り落として共同生活は破綻。精神的に追い詰められたゴッホは、サン=レミの療養院に入院します。これ以降、『星月夜』や『夜のプロヴァンスの田舎道』(左下)、『悲しむ老人(永遠の門にて)』(上の写真 右下)など、ゴッホの苦悩、葛藤や不安を描写したかののような作品が多く生み出されました。ゴッホの晩年、1890年5月ごろ描かれた『夜のプロヴァンスの田舎道』は、ゴッホ独特のうねるような夜空や瞬く星が印象的な一枚です。
そして1890年7月拳銃で自殺を図り37年の生涯を閉じたゴッホ。画家を志してからわずか10年しか経っていませんでした。
![Gogh06.jpg](https://static.arukikata.co.jp/pic-images/tokuhain/fukuoka/assets_c/2022/02/Gogh06-thumb-730x547-589563.jpg)
残念ながら、『アルルの跳ね橋』や『ひまわり』、『夜のカフェテラス』などは、今回のゴッホ展には出展されいていませんでした。絵の劣化が進み輸送に伴う損傷リスクが大きいため、館外への搬出が中止されたのだそうです。これから先、これらの原画に接するには、オランダ・クレラー=ミュラー美術館に行くほかないのかもしれませんね。
ちなみに、『夜のカフェテラス』を描くためにゴッホが画架(イーゼル)を置いたプラス・デュ・フォルム広場の一角には、ゴッホに因んでイーゼルのモニュメントが建てられており、モデルとなったカフェは、今も「カフェ・ヴァン・ゴッホ」という名で営業しているそうです。いつか機会があったら、アルルなど南仏を訪ねてゴッホが残した足跡を辿ってみたいという思いに駆られる展覧会でした。
ゴッホの作品で生前に売れたのは、『赤い葡萄畑』の1枚だけだったと言われています。実際にはそこまでのことはなかったようですが、画家として恵まれた境遇になかったことは間違いないでしょう。そんなゴッホの作品に光をあてたのが、ヘレーネ・クレラー=ミュラーでした。彼女は、実業家で資産家の夫 アントンの理解と支援を得て、ゴッホの作品およそ270点を収集しました。これは個人のコレクターとしては世界最大規模です。
この他にも、彼女の審美眼に従って集められた作品は、総数1万1000点におよびます。美術館開館のために奔走したヘレーネでしたが、夫の事業が行き詰まってしまったため、夫妻はこれらのコレクション全てとミュラー家が所有する広大な土地を、美術館を開設するという条件で国に寄付しました。これが現在のデ・ホーヘ・フェルウェ国立公園とクレラー=ミュラー美術館です。
他のゴッホの作品の多くは、ゴッホの死後、弟テオの下に残され、ゴッホの後を追うようにテオが亡くなった後は、妻のヨーや子供ウィレムに引き継がれました。テオとヨー夫妻の没後、その子ウィレムは、ゴッホの作品がまとまった形で保存されることを希望し、アムステルダムのゴッホ美術館に永久寄託しました。
そのような事情から、ゴッホの作品の多くはこれらふたつの国立美術館に収蔵されています。ゴッホが生前、世に認められていなかったことが、結果として作品の散逸を防ぐことに繋がったといえるかもしれません。
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