ネパール墜落事故現場を歩く(1992年タイ国際航空)
1992年7月31日ネパールで発生した飛行機墜落事故。バンコク(ドンムアン)発カトマンドゥ行タイ国際航空311便が、カトマンドゥ(トリブバン)国際空港着陸直前、空港から約40㎞程北方向にあるランタン国立公園内「ゴプテビル」(ゴプテの崖)と呼ばれる標高約3500mの山肌に激突、乗員乗客113名全員死亡した事故がありました。
事故後便名が319便になったこの路線、フライト番号は変わったものの、スケジュールは当時とほぼ同じまま、現在も運航されています。私自身よく利用している路線でもあり、かつ、犠牲者の中には(二重国籍者も含めると)日本人が20名ほどいたとも言われていて、他人事とは思えない事故です。
次の動画は、2022年に利用した、事故便とほぼ同じ時刻・ルートを飛ぶバンコク発カトマンドゥ行映像です。
(追記)この時は一時的に「タイスマイルWE319便」として飛んでいました)
ゴサイクンドトレッキングの帰り道
この墜落事故から30年以上発つ2023年6月、偶然にも事故現場を歩く機会がありました。
ゴサイクンド4380mを訪問した帰り、ラウレビナヤクパス4610mを経てカトマンドゥに戻る途中、ゴサイクンドから3時間ほど歩いた場所にあるフェディ3630mで一泊したのがきっかけです。
フェディ3630mのロッジ
フェディにはロッジが2軒あるのみ。1992年の飛行機事故現場は、ここから目と鼻の先。ロッジの南側すぐ近くに、その崖が見えます。
通常のトレッキングでは休憩程度で利用し、通過してしまうことの多い場所ですが、私たちはこの日朝7時にシンゴンパを出発、ゴサイクンドを経てここまで10時間ほど歩いており、すでに17時を回っていたので、この日はここに泊まることに。
部屋に案内してもらいます。
小さなベッドが2台置いてある、何の変哲もない部屋。でも、窓から見える景色が気になります。くだんの崖が真正面に見えるから…。
日没後、真っ暗な外の景色にますます気になり出しました。日本人犠牲者も多かっただけに、同胞が来たと呼ばれてしまったらどうしよう。もともとトレッカーの少ないルートですし、それに加え、この場所に一泊する日本人はあまりいないでしょうから、霊の意識(というものがあるのかどうかわかりませんが)が一斉に私に向けられたらどうしよう、なんて。同行してくれていたスタッフたちに思わず「ちょっと怖いかも…」と漏らしてしまいましたが、何事もなく静かな夜が過ぎていきました。
撤去された慰霊碑
ロッジの敷地中央には、事故の数年後、日本人遺族の方が建てたという慰霊碑がありました。しかし2015年4月25日のネパール大地震で崩壊。
建設時も、遺族の方が直接この場所へ来られたわけではなく、ネパール人の代理の方が関わられていたとのこと。その連絡先もわからず、地震後も壊れたまま放置していたそうですが、このたび、敷地内整備に伴いやむを得ず撤去することになり、コンクリートの塊が残っているだけとなっていました。
機体の残骸を利用した道案内標識
庭には、機体の残骸を利用したオブジェのようなものや道案内標識。ロッジのご主人が悪びれもなく教えてくれ、なんとなく複雑な気になります…
墜落現場を歩く
翌日。通常ルートで下山すると、ゴプテ→タレパティを通過しメラムチやスンダリジャル方面に抜けることになりますが、ロッジのご主人に、通常ルートよりも早く下山できる近道が最近整備されたと聞き、そちらを歩いてみることにしました。
道自体は事故当時もあったそうですが、地元の人しか通らないような獣道で、外国人トレッカーはもちろんのこと、外部のネパール人も歩くことはほとんどない険しい道だったそう。しかし最近、道幅を広くし石段や丸太の階段を作り整備、慣れない外部からの人でも歩きやすくなったそうなのです。
そしてこの道は、墜落事故現場を通るというのです。
ロッジの人曰く、もともと今までも機体の残骸や遺品が見つかっていたそうですが、整備中道を掘り起こしたことにより、土の中に埋まっていたこれらがたくさん掘り出され、あちこちに落ちているよ、とのこと。
実際、あまりにもたくさんの残骸や遺品が無造作に放置されている光景に、衝撃で言葉を失うほどした。
日本語のタグがあるブラウス
その中には、日本語のタグが付いたブラウスもありました。スーツケースに入っていたのでしょうか。状態もよく、模様まではっきりわかります。
被害者の中には日本大使館やJICAの方も多く含まれていたと聞きます。もしかするとこれら関係者の方の遺品かもしれない。カトマンドゥに持ち帰り問い合わせれば、遺族を探しお渡しできるのでは、とも思いましたが、引き取り手が見つからなかったときのことを思うと、この場所に残しておくべきかも、と、そのままにしておきました。
色落ちたネガフィルム、赤ちゃんのロンパース
他にも、焦げた衣類、赤ちゃんのロンパース、UNICEFの文字入りシャツ、男性もののズボン、色が落ちたネガフィルム…、他、整備されたばかりの道に立ち止まり、あたりをぐるっと見回すだけで、たくさんのものが目に入ってきます。
カネ目のモノは地元の人に持ち去られてしまったそうで、今ここに放置されているものは、現地の人にとっては価値のないものなのでしょう。しかし、遺族の方にとっては貴重な遺品であることは紛れもなく、そのまま放置してこの場を去るしかなかったことに、後ろ髪をひかれる思いでした。
整備されたばかりのこの道を歩くトレッカーはまだ少ないとのこと。当時捜索に入った関係者を除けば、事故後現場にたどりつく者も多くはないとのことで、偶然この場所を訪れることができたことには、何か意味があったのかもしれません。
もしも遺品に心当たりのある方がいらっしゃれば、人通りも少ない今ならまだ残されていて、回収することができるかもしれません。
関係者の方の目に留まることを少しだけ願い、この場を借りて投稿しました。
最後に
ところで、犠牲者の中にはカトマンズ補習授業校に通う子供も数名含まれていて、その年に発行された追悼文集を手にしたことがあります。亡くなった友達に向けた在校生たちの無垢な作文に、涙なしには読むことができませんでした。
あらためて、皆様のご冥福をお祈りいたします。
筆者
ネパール特派員
春日山 紀子
2000年よりカトマンズ在住。
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