初の直行便就航でグッと距離が縮まったイスラエル。聖地も自然も、知られざる見どころをたっぷり紹介!〜第6回〜

公開日 : 2023年09月08日
最終更新 :

2023年3月、エルアル・イスラエル航空の定期直行便が東京(成田)~テルアビブ間に就航した。両国を繋ぐ初のダイレクトフライトで片道12時間ほどと早くて楽チン。早速搭乗し、イスラエル旅行へ行ってきた。 そこで、この旅を6回に分けてレポート! 最終回は、エルサレム旧市街を中心に、聖地の姿をお伝えする。

城壁に上ってエルサレム旧市街への理解を深める

聖墳墓教会にはさまざまな宗派が礼拝堂をもち、装飾も個性的
聖墳墓教会にはさまざまな宗派が礼拝堂をもち、装飾も個性的

イスラエルの旅もクライマックス。いよいよエルサレム旧市街を歩く「聖地巡礼」だ。世界中のユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が一度は訪れたいと願う町。3つの宗教からは縁遠く、観光旅行で来た旅行者にとってエルサレムの宗教施設はどう映るのだろう。そんな思いで「聖地巡礼」に踏み出す。

左は現地のヴィア・ドロローサの番号入り地図
Map/by Dongurihouse 左は現地のヴィア・ドロローサの番号入り地図

イスラエル旧市街の全容を知るなら、まずは城壁ウォーキングがおすすめだ。
「城壁の中は4つの地区に分かれています。そのため英語ではクオーターという表現をしますが、キリスト教徒地区、ユダヤ教徒地区、イスラム教徒地区、そして最初のキリスト教徒といわれるアルメニア人地区の4つです」
城壁を歩きながらガイドさんが説明をしてくれる。
現地に設置されていた案内板を見ると、城壁が町をぐるりと取り囲んでいるのがわかる(写真はちょっと切れている。完全版は右の地球の歩き方掲載の地図を参照)。
壁は時代時代で破壊されては直され、崩れては増強したりを繰り返しているので、石の材質や色、ひとつひとつの大きさや積み方が異なっている。数千年の時を経て、ここがいつの時代でも特別な聖地であったということを城壁の成り立ちからも知ることができるのだ。

旧市街を囲む城壁に上ると、町を俯瞰で観ることができる
旧市街を囲む城壁に上ると、町を俯瞰で観ることができる

城壁ウォークの出発点はヤッフォ門から。港町ヤッフォからの物資が運び込まれる門、ということでこの名がついたのだそう。ヤッフォは本レポートの第1回、旅の最初に訪れた町。こんな風にバラバラだった旅のパズルが繋がっていく。

堅牢な城壁の上には人がすれ違うには肩がぶつかるほどの幅しかない通路が巡らされている。かつて兵士たちが武器を抱え行き交い、戦いに走ったであろうことを想像すると狭さが際立つ。
照りつける日差しの中、石段の上り下りを繰り返しながら石で囲われた狭い道を歩く。要所要所に銃眼や投石用の穴があるのだが、作られた時代、作った軍によって造りが異なるのがおもしろい。ところどころイギリス兵やオスマン朝の兵士の像が置かれ、彼らは暑いさなか、文句も言わずに見張りに励んでいる。その横にQRコードが貼られ、解説をスマホで見せてくれるのが今風だ。

城壁ウォーキング

開門時間
9:00〜12:00(金曜は14:00まで、冬期は閉場が早まる)
休日
無休
料金
大人25シェケル(約1000円)
*北回りはヤッフォ門〜聖ステパノ門まで、南回りはヤッフォ門〜糞門まで。黄金門の上は通れないため1周はできない
現代では鉄柵があるが、昔は何もないとなると後ろに落ちそう!
現代では鉄柵があるが、昔は何もないとなると後ろに落ちそう!
ダビデの塔、右下にプロジェクション・マッピング鑑賞の観客席がある
Dongurihouse ダビデの塔、右下にプロジェクション・マッピング鑑賞の観客席がある

ヤッフォ門そばにあるダビデの塔もエルサレムを知るために訪れておきたい場所のひとつ。
およそ3000年前の第1神殿時代の前から現代までの歴史を時系列で学べる歴史博物館になっており、展示物ばかりでなく、プロジェクター映像で支配者の変遷や戦いの歴史を説明。
特にアニメーション仕立てのショート・ストーリーは歴史が苦手な人にもわかりやすくエルサレムの変遷を教えてくれる。
らせん状になった古い石段を上がり、搭の上部へ。ここからはエルサレムの新市街、かつては「外の世界」と呼ばれた町並みを見下ろすことができる。さきほどの展示で学んだせいか、城壁内の聖地と外の世界の隔たりをあらためて感じることに。
夜間には城壁や塔を利用したプロジェクション・マッピングが人気だそうで、それを体験すれば、さらに感動はあらたまるかもしれない。

ローマによりエルサレムが陥落し失われた第2神殿の模型
ローマによりエルサレムが陥落し失われた第2神殿の模型

ダビデの塔

開館時間
日曜12:00-20:00
月〜木曜、土曜と祝日9:00-17:00
金曜と祝前日9:00-14:00
料金
大人50シェケル(約2000円)、プロジェクション・マッピング67シェケル(約2500円)、コンビチケット102シェケル(約4000円)
*各種入場料割引、英語のガイドツアーなど企画あり

世界のキリスト教徒が目指す憧れの聖地

ダ・ヴィンチが想像して描いた絵画とは異なる「最後の晩餐の部屋」
ダ・ヴィンチが想像して描いた絵画とは異なる「最後の晩餐の部屋」

ここからは各宗教の聖地をご案内しよう。聖書のあらゆる場面、あらゆる登場人物にちなみ、ユダヤ教の史跡やキリスト教会があり、イスラム教では「聖都」としているのがエルサレムだ。3つの宗教の重要な痕跡が混在するので、ここでは宗教ごとに印象に残った場所を紹介していく。

まずは、世界からの巡礼者を集めるキリスト教の見どころから。
キリスト教徒がエルサレムで行う巡礼とはイエス受難の足跡を辿ること。つまり、最後の晩餐、弟子の裏切り、囚われ有罪となり、十字架を背負って歩き、ゴルゴタの丘で処刑され、そして埋葬され、復活し、弟子の前に現れ、ついに昇天する、という苦難の場所を巡り、祈りを捧げることだ。このすべてがエルサレムの小さな町で起きたことであり、そのひとつひとつにちなんだ教会が建っていることに大きく驚かされる。

最後の晩餐の部屋を訪ねる。十字軍が建てたというアーチが印象的な建物だ。写真撮影に夢中な観光客のざわめきのなか、巡礼者の団体が口ずさむ賛美歌が響き渡る。敬虔な信者が壁に向かって真剣に祈りを捧げており、無作法に入り込むのは申し訳ないと思い、早々に立ち去ろうとすると神父さんが布教のパンフレットを配っていた。こちらが日本人だとわかると日本語のものを選び、「コンニチハ、アリガト」と挨拶をくれた。おそらく世界中の言語に対応しているのだろう、その熱意に頭が下がる。

最後の晩餐の部屋

開門時間
8:00〜18:00
休日
無休
料金
無料(寄付歓迎)
イエスの苦しみを思いながら十字架を担ぎ、同じ道を歩く
イエスの苦しみを思いながら十字架を担ぎ、同じ道を歩く

「悲しみの道」と呼ばれるヴィア・ドロローサは、裁判で有罪となったイエスが処刑場のゴルゴタまで十字架を背負って歩いた道。途中で倒れたり、つまづいたり、見送る人々と交わしたエピソードが聖書に書かれており、14の重要なポイント、「留」が定められている。巡礼者は順に14留を巡り、それぞれの場所で聖書の一節を詠んだり、祈りを捧げたりを繰り返すのだ。
その足取りを辿ってみることに。はじまり=第1留は判決を受けたピラトの官邸、今はエル・オマリアという学校になっている。小さな校庭ではそれぞれのグループが作った円陣でガイドが説明、あちらこちらでさまざまな言語が飛び交っていた。
この「悲しみの道」を辿ることを目的としてエルサレムにやって来る人は少なくない。今回出くわしたのはイタリア人の信者グループ。先頭の人が木製の十字架を背負い、後に続く者たちはイタリア語で朗々と謳い続けている。言葉も歌の意味もわからなかったがこの情景だけでもこの場所の神聖さが伝わってくる。

ヴィア・ドロローサ

毎週金曜日のフランシスコ会の行進が有名。旧市街の路地はいつでも自由に歩くことができるが、第1留は現在学校なので入れないこともある

聖墳墓教会の中にある聖油台はひざまずき、触れる信者でいっぱい
聖墳墓教会の中にある聖油台はひざまずき、触れる信者でいっぱい

ヴィア・ドロローサの留番号を辿って歩みを進めた。全行程わずか1kmあまりで、第10~14留は聖墳墓教会の中にある。聖墳墓教会とはその名のとおり「墓」といわれているところにある教会。最初に教会を建てたのはローマ皇帝コンスタンティヌス帝の母ヘレナだ。彼女はゴルゴタを巡礼し、十字架の破片や打ち付けた釘を発見、336年、その場所に教会を建てた。その後、火災や暴動で失われ、改修や増築がなされ、現在の規模に至っている。
まず驚かされたのは人の多さだ。これまでイスラエル旅行ではあまり見かけなかった大勢の人、行列が教会の中と外にあったのだ。教会の入口は出入りする人が行き交い混雑している。それに負けずに一歩中に進むと今度は群がるように順番待ちの人があふれている。そこには「香油を注がれた石」と呼ばれる赤い大理石があり、その周りを人々が取り囲んでいたのだ。イエスの聖骸に香油を塗った場所とされるこの石板、触ったり祈ったりするばかりでなく、持参してきた布を取り出し、こすりつけている人もたくさんいる。遠路はるばる聖地にやって来たという思いからか、家族のため親戚のため、ご加護や聖なるなにかを持ち帰りたいのだろう。

行列の絶えないイエスの墓と十字軍兵士が刻んだ十字
Tomb of Jesus/by Dongurihouse 行列の絶えないイエスの墓と十字軍兵士が刻んだ十字

内部にはいくつかの聖堂や礼拝堂があるが、もっとも重要なのは各派で共同管理しているイエスの墓だ。祈りを捧げたまま動かない信者が多いからか、さすがにこの前の行列は動きが鈍い。この場所にやってきて離れがたいという思いが伝わってくる。
その脇の通路の壁に刻まれた十字の刻み文字に目を引かれた。これは十字軍の兵士がこの地にやってきた証(あかし)として到着時に1人がひとつ十字を刻んでいったものだという。世が世ならば教会の壁に名前を刻めば社会問題になるところだが、こうも年月を経ると無数の十字にも歴史が宿る。

教会はローマ・カトリックが管理するばかりでなく、さまざまな宗派が管理しており、ギリシャ正教、エチオピア正教、シリア正教、アルメニア正教、コプト正教と礼拝所も宗派ごとに区分けされているそうだ。そういった事情から門の所有権を巡っても争いが絶えないため、毎朝門を開けるのはイスラム教徒の少年だという。
「入口の上の窓のところに脚立があるでしょう。あれも誰が片付けるのか、誰が動かすのかで宗派で言い合っているので長年あのままなのですよ」ガイドさんが笑っていいのか悪いのかそんなエピソードを紹介してくれた。

聖墳墓教会

開門時間
4〜9月は5:00〜20:00、10〜3月は5:00〜19:00
休日
無休 無料(寄付歓迎)
*イエスの墓の内部は撮影禁止

クオーター巡りはちょっとした周遊旅行?ユダヤとイスラムの混沌世界

ユダヤ教の聖地神殿の丘に隣接した嘆きの壁
ユダヤ教の聖地神殿の丘に隣接した嘆きの壁

「アルメニア系のお店が開いているのでそこで水を買い足しましょう」とガイドさんがいう。エルサレムの空は雲ひとつなく、容赦なく暑いので街歩きに水は必需品だ。その店から通りを隔てたユダヤ教徒地区に入るとすべての店が閉まっている。今日は安息日、ユダヤ系の店はすべて休み、道路1本超えただけで休日が変わるというのは日本人からすると不思議な感覚だ。
さらにその先に進むと掘り出されたローマ時代の大通りであったカルドと呼ばれる列柱の遺跡がある。新しい支配者は破壊した町の上に町を造る、そうして古い町は埋もれていくというのだが、暑さだけでなく見どころと情報量が多過ぎて頭がオーバーヒートしかけていた。

ユダヤ教徒地区には由緒あるシナゴーク(ユダヤ教の会堂)や、隣接する城壁外のエリアにもダビデの町などユダヤゆかりの歴史的な見どころが多い。しかしなんといってもユダヤ教徒の最大の聖地は神殿の丘だ。神殿はひときわ高い丘になっており、それを囲うように壁が作られている。嘆きの壁、(神殿の)西側にあるため、英語でウエスタン・ウォールとも呼ばれる壁、イスラエルを知らなくても観光パンフレット、報道写真やTVで見たことがある人は多いだろう。イスラエルを象徴する場所といっても言い過ぎではない。
しかしなぜ「嘆き」の壁なのか。かつてあった神殿(5つ前の写真参照)はローマにより破壊され、今その地にはアル・アクサー寺院と岩のドームというイスラムの重要な施設が建てられている。そしてトラブルを避けるためにユダヤ教徒は神殿の丘に立ち入ることができなくなってしまった。
そうしてユダヤ教徒は神殿の喪失を嘆き、破壊をかろうじて免れた外壁で、神殿の復活を祈るため、こう呼ばれるようになったのだ。

ユダヤ教徒地区から階段を降り、壁のある場所に向かう。デリケートな場所ゆえに簡単な手荷物検査を受ける。壁の前の広場ではボランティアがカメラやスマホを持った人に撮影禁止の注意を促している。一眼レフをバッグにしまい、貸し出し用のキッパを頭に乗せ、ユダヤ教の人たちと肩を並べる形で壁に近づく。この日は安息日ということもあり、壁の前では多くの敬虔なユダヤ教徒が聖書を片手に祈りを捧げている。彼らとともに壁に触れ、厳粛な時間が流れた。

嘆きの壁

開門
入場は随時
料金
無料(寄付歓迎)
*シャバット期間(金曜日没〜土曜)と祝日は撮影禁止
この日は丘に入れず望遠で撮った岩のドーム
この日は丘に入れず望遠で撮った岩のドーム

壁の向こうに鎮座する岩のドームと呼ばれる施設は、輝かしい金色のドーム屋根が特徴的で、エルサレムのシンボルとして旅行パンフレットにもよく登場する。なぜ金のドームという名ではなく岩のドームなのか。「岩」は、ムハンマドが昇天した岩のこと。ムハンマドの足跡や大天使ガブリエルの手の跡があり、イスラム教徒にとっては重要な聖岩だ。その岩を覆っていることから「岩のドーム」と呼ばれている。
638年に岩を守るために木造の会堂が建てられ、岩のドームの完成は691年。その後1500年代前半にオスマン朝下でブルーのタイルが加えられた。現在みられる金のドームは1960年頃に当時のヨルダン国王が私財を投じて張り替えたものだそうだ。
もうひとつ、神殿の丘にはアル・アクサー寺院という聖地がある。ここはムハンマドが神とともに夜空を旅したとクルアーン(コーラン)に記された由緒ある場所。715年に建立され、現在の形になったのは1066年だそうだ。

神殿の丘

*観光客はモロッコ門から入場可能だが、情勢により入れないことも多い。岩のドームとアル・アクサー寺院の内部にはイスラム教徒以外は入場できない

定番フムスとファラフェルを注文、地元食堂が楽しい
定番フムスとファラフェルを注文、地元食堂が楽しい

旧市街のイスラム教徒地区に入り込んでいく。イスラム教の休日は金曜、この日は休日明けの土曜で市場には人があふれ、買い物客や家族連れでにぎわっている。コーヒーの香りで充たされたカフェの店先では年配の男性陣が肩を並べ、おしゃべりに忙しい。当然、アラブ系の人が多い地区なのだが、紅茶をよく飲む他のアラブ諸国と異なり、コーヒーが好まれるのがイスラエル・スタイル。
市場の奥にムスリム門と呼ばれる門が見える。
「イスラム教徒しか出入りできませんが、パスポートがあれば観光客も行けますよ」とガイドさんが教えてくれたが、セキュリティの警備員がいて少しばかり緊張する。城壁内の旧市街が4分割(クオーター)されているわけだが、いうなれば小さな町内に4つの国があるような印象。もちろん国境もないしゲートを見かけたのはここだけだったが、少し歩いただけで路地の表情が変わり、小さな周遊旅行を体験していような感じだ。

ごちゃごちゃっとしたアラブのスーク(市場)を抜け、ランチタイム。「地元飯を食べましょう」と市場の中にある小さな食堂に案内してくれた。テーブルが4つほどしかない小さな店だが、おじいさん店主を筆頭に家族とおぼしき男性陣がキビキビと働いている。家族連れが大きなテーブルを譲ってくれながら、父親が教えてくれる。
「ここは味の評判を聞いて、現ヨルダン王の父君フセインが足を運んだほどの名店なんだ」そういって指差すとそこには訪問時の写真が飾られていた。
小さなお皿が次々運ばれてくる。暑いときに体を冷やしてくれる付け合わせのキュウリとトマトがうれしい。作りたてのフムスとファラフェルはシンプルでおいしく、夢中になって頬張っていると隣の父親がこちらを見てニヤリと笑いながら親指を立てた。
イスラエルで何度も出会ったファラフェル&フムス。テルアビブ、カルメル市場でのガイドさんイチオシのイエメン風にはじまり、アッコーのアラブ系レストラン、そしてエルサレムの地元食堂・・・。作る人のルーツは異なるがファラフェル&フムスは地元の人たちの毎日の生活を支えていた。この旅で多様なイスラエルの、多様な人々の、多様な日常を垣間見れただろうか。

Cafeetria Ziad カフェテリア ジアッド

住所
65 Aqabet Al-qhanga, Jerusarem

文・写真:田中さとし

■第1回レポートはこちら→https://www.arukikata.co.jp/web/article/item/3003090/
■第2回レポートはこちら→https://www.arukikata.co.jp/web/article/item/3003211/
■第3回レポートはこちら→https://www.arukikata.co.jp/web/article/item/3003244/
■第4回レポートはこちら→https://www.arukikata.co.jp/web/article/item/3003297/
■第5回レポートはこちら→https://www.arukikata.co.jp/web/article/item/3003371/

魅力あふれるイスラエルを安心・快適に楽しむ旅の情報が満載!

イスラエルは、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム、それぞれの聖地がある国です。国としては、75年前に建国したばかりの若い国ですが、その歴史は4000年以上も前にさかのぼります。日本では紛争に関するニュースばかりが目立って届きますが、実は世界中からの巡礼者をはじめ、一年中観光客が絶えない観光立国。海抜マイナス400mほどの低地にある死海リゾートも注目を集めています。本書では、イスラエル各地の見どころはもちろん、パレスチナ自治区、エジプトの巡礼地やシナイ半島のリゾート、さらには日帰りで行けるヨルダンのペトラ遺跡の情報も紹介しています。イスラエルを安心・快適に楽しむ旅のテクニックも充実。

〈地球の歩き方編集室よりお願い〉
渡航についての最新情報は下記などを参考に必ず各自でご確認ください。
◎外務省海外安全ホームページ
・URL: https://www.anzen.mofa.go.jp/index.html
◎厚生労働省:新型コロナウイルス感染症について
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(関連記事)https://www.arukikata.co.jp/web/catalog/article/travel-support/

筆者

地球の歩き方書籍編集部

1979年創刊の国内外ガイドブック『地球の歩き方』の書籍編集チームです。ガイドブック制作の過程で得た旅の最新情報・お役立ち情報をお届けします。

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