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【新潟】蔵春閣―明治の財閥が故郷へ大きなプレゼント

雪雲

雪雲

新潟特派員

更新日
2025年8月23日
公開日
2025年8月25日

帝国ホテルや大成建設、サッポロビールなどを創業し、近代日本の発展に貢献した「大倉財閥」を一代で築いた大倉喜八郎(1837~1928)は、新潟県新発田(しばた)市の生まれです。喜八郎が国内外の賓客をもてなすため、1912(明治45)年に、東京・向島の隅田川沿いに贅(ぜい)を尽くして、建てたのが「蔵春閣(ぞうしゅんかく)」です。設計は皇居内にあった明治宮殿(戦災で焼失)の造営に携わった今村吉之助。建築から100年以上経過したのち、蔵春閣は5年がかりで新発田市に移築され、2023(令和5)年に公開されました。

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蔵春閣周辺は喜八郎ゆかりの場所

JR新発田駅改札を出て左方向へ歩くと、14㍍近い高さとゆるやかな弧を描いた大屋根が存在感を見せる蔵春閣が目に飛び込んできます。建物がある東公園は、明治末に喜八郎が新発田町(当時)に寄贈した公園です。また、蔵春閣向かいにある諏訪神社の石鳥居は16(大正5)年に喜八郎が寄贈しました。駅を隔てた新潟県立新発田病院は、喜八郎が新発田の産業を振興するために作った「大倉製糸新発田工場」の跡地です。蔵春閣周辺には喜八郎の故郷への並々ならぬ思いが満ちています。

©︎雪雲 蔵春閣外観。「唐破風入母屋(からはふいりもや)造り」で、軒の出が2.1㍍の大屋根は迫力満点
©︎雪雲 喜八郎が寄贈した諏訪神社の石鳥居。柱に「男爵 大倉喜八郎」の文字が刻まれる

シャンデリアきらめく豪華な食堂

建物に入ります。外見は純和風ですが、内部は和洋折衷(せっちゅう)です。最初の見どころは食堂。いす式ですが、和風の装飾がなされています。総水晶製といわれる大きなシャンデリアは高さ1.2㍍。シャンデリアが下がる天井は格子状に木が組まれており、格子内には極彩色の鳳凰(ほうおう)が描かれています。また床は色違いのケヤキとエンジュなどを使った緻密(ちみつ)な寄木(よせぎ)張りです。

©︎雪雲 息をのむほどに豪華けんらんな1階食堂
©︎雪雲 シャンデリアはドイツ高官から竣工記念として贈られた
©︎雪雲 優れた匠の技がうかがえる床の寄木細工
©︎雪雲 欄間の彫刻は長さ5.4㍍、高野山伝来だという

天井やふすま絵も名品ばかり

食堂隣にある畳敷き書斎の天井には、江戸期の画家・谷文晁(ぶんちょう)の作と伝わる迫力ある龍が墨で描かれ、周囲には24枚のシャチの絵が配置されています。また襖絵(ふすまえ)や板戸絵は、やはり江戸期の画家・狩野探幽の作と言われています。

©︎雪雲 書斎の天井には谷文晁作と伝わる龍が描かれている
©︎雪雲 狩野探幽の作と伝わる板戸絵

イタリア製大理石モザイクの“作品”

2階へ行きましょう。墨田川の景観を楽しんだという大窓のある広縁の床には、イタリア産の大理石で隅田川ゆかりの都鳥と桜が表現されています。これだけでも“作品”と言ってもいいでしょう。こうした細かい細工はどうやって移築されたのでしょう?

©︎雪雲 大理石で“描かれた”都鳥と桜

蔵春閣の歴史

蔵春閣が新発田に来るまでの経緯をざっと紹介します。竣工から46年後の58(昭和33)年に千葉県へ移築され中華料理店となります。78(53)年、ホテルの宴会施設として利用されますが、06(平成18)年に閉鎖されました。そして12(平成24)年に「公益財団法人 大倉文化財団」に寄贈され、将来の移築・保存を前提に解体されました。

17(平成29)年、大倉文化財団が新発田市に蔵春閣を寄贈・移築することが決まります。しかし建築基準法で「移築」は新築にあたり、総木造の蔵春閣は解体前のままでは建築が難しいため、新発田市は同法の適用除外を受けられる「景観形成重要建築物」に指定しました。

©︎雪雲 中華料理店、宴会場…蔵春閣は様々な歴史を経てきた

移築を成功させた伝統の匠の技、最先端技術、最高の材料

解体・保存されていた建物の部材は1万点以上。20(令和2)年10月、「可能な限り元の部材を使う」という方針で移築工事が始まります。施工は大倉組の流れを引き継ぐ大成建設。しかし、部材は腐食などで傷んでいるものもあったため宮大工が接ぎ木など、日本伝統の手法で補修しました。

そして新潟県といえば「雪」-。その対策も必要となります。新発田は豪雪地ではありませんが、雪の重さは東京の6.5倍もあります。元の部材だけでは耐えられる重さではありません。屋根とひさしに60本あまりの鉄骨を入れて補強、さらに耐震のために鉄骨の柱をや構造用合板を使うなどして建物の”耐力”をあげました。

そして、いくつかのパネルに分けられて保管されていた広縁の大理石モザイク床は、欠損している部分は色を合わせた樹脂で補修しました。1階の寄木細工の床は部材を一枚ずつ清掃後、浮いている部分を再接着、欠損部分は建設当時と同じ木材で作り直しました。

最高の部材と技術で建てられていたため、現代の最先端の建築技術と、脈々と受け継がれていた伝統工法があったからこそ、移築ができたのです。

©︎大成建設株式会社 蔵春閣の構造と部材寸法、施工手順などを、3次元で表現・設計した「BIMモデル」。 従来の部材に加え、青い部分の鉄骨とピンクの部分の耐力壁などが加えられた
©︎大成建設株式会社 屋根は建設当時の「桔木(はねぎ)」に、鉄骨の桔木を挿入して雪に耐えられるように補強。BIMモデルで把握しきれなかった部分は職人の技で微調整した
©︎大成建設株式会社 2階の広縁大理石モザイク床は外れた石を再接着。欠損部分は色を合わせた樹脂で補てんした
©︎大成建設株式会社 軸組の腐食した部分は日本伝統の接木(つぎき)で補修した

33畳の大広間は近代日本の「歴史」の舞台

2階をさらに見ていきます。広縁から一段あがると33畳の大広間です。天井は八角形と四角形を組み合わせた「蜀江組(しょっこうぐみ)」になっています。また月を見るための月見台が設けられています。喜八郎はこの部屋で盟友の渋沢栄一や、国内外の賓客と様々な催しを楽しみ、交流を深めたのでしょう。まさに歴史の舞台です。

©︎雪雲 「蜀江組(しょっこうぐみ)」の天井がみごとな大広間
©︎雪雲 漁網をモチーフにした月見台の手すり。喜八郎のデザインである

部屋を借りての宴会も可能 カフェを楽しむのも素敵

蔵春閣の主な見どころを紹介してきましたが、これでもほんの一部です。ぜひ新発田へ来て実際に観ていただければと思います。

そして、蔵春閣の楽しみ方はほかにもあります。それは全室「貸し切り」ができるのです。特にふたつの食堂と大広間は「宴会」もできるので、喜八郎の気分を味わえます。こうした「貸館」がある時は見学できない場合もあるので、ホームページでご確認ください。

また「カフェプラン」(500円、入館料と別)で、抹茶やコーヒーと月替わりのお菓子を楽しみながらゆっくりと時間を過ごすのもおすすめです。

 

©︎雪雲 カフェプランのお菓子は3種類から選べる

喜八郎の贈り物

日本の近代化に尽力した大倉喜八郎―。彼のスケールの大きさを感じさせる蔵春閣は、新発田の街のにぎわいを創り出す大きな役割を担うことでしょう。喜八郎は没後も故郷・新発田に大きな贈り物をしたといえるでしょう。

没後も故郷に”贈り物”をした大倉喜八郎

■蔵春閣

住所:新潟県新発田市諏訪町1-9-20

電話:0254-28-3255

ホームページ:https://shibata-machi-meguri.com/zoushunkaku

休館日:木曜日、年末年始

開館時間:午前9時~午後4時

入館料:大人500円、小・中学生400円

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