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サンタ・マリア・デル・フィオーレSanta Maria del Fiore(花の聖母教会)と呼ばれる、フィレンツェの象徴。白と緑とピンクの色大理石で装飾され、量感と均衡と優雅さに満ちた、限りなくイタリア的なゴシック建築である。
1296年にA.ディ・カンビオArnolfo di Cambioによって建設が始められ、ブルネッレスキBrunelleschiがクーポラ(円蓋)を架け終わったのは1436年のことである(頂上のランタン部は1468年)。
ファサードは19世紀にE.デ・ファブリにより完成され、3つの入口扉のブロンズ装飾も19世紀末の物だ。一方、建物側面には『聖堂参事会員の扉』Porta dei Canonici(右側、14世紀)や『アーモンド形装飾の扉』Porta della Mandorla(左側、15世紀)。タンパンはギルランダイオの『受胎告知』のモザイクなど、古い部分が見られる。聖堂の後ろに回ると、円蓋の基部から放射状に広がる後陣部分の量感がよくわかる。
内部は角柱で3廊に仕切られ、大きな空間と少ない装飾が厳格な印象で、外観の華麗さとはかなり対照的な感じがする。左の側廊の壁面にはA.デル・カスターニョAndrea del Castagnoの『傭兵隊長ニコロ・ダ・トレンティーノ』Monumento Equestre a Nicola da TolentinoとP.ウッチェッロPaolo Uccelloの『傭兵隊長ジョン・ホークウッド』Monumento Equestre del Condottiero Giovanni Acutoの騎馬像の大画面が並び、その先には『神曲』の本を開いたダンテの肖像も見られる。
主祭壇は大理石で仕切られ、B.ダ・マイアーノの『十字架像』Crocifissoが飾られている。高さ91mのクーポラに描かれているのは『最後の審判』(ヴァザーリら)だ。放射状に並ぶ3つの後陣の間には新旧ふたつの聖具室が挟まれていて、入口のタンパンにはL.デッラ・ロッビアの彩色テラコッタ『キリストの昇天』Ascensione(右側、旧聖具室)と『キリストの復活』Risurrezione(左側、新聖具室)が乗っている。
中央の後陣に安置された『聖ザノービ(フィレンツェの初代司教)の棺』Arca con le Reliquie di S.Zanobiはギベルティの代表作のひとつである。左隣の新聖具室は1478年の復活祭のミサでパッツィ家の刺客に襲われたロレンツォ・デ・メディチが命からがら逃げ込んだ(弟のジュリアーノはこの時に殺害された)場所で、見事な寄せ木細工の戸棚が見られる。
ブルネッレスキのクーポラCupolaへは、二重構造の壁の間に付けられた463段の狭い階段を上がっていく。途中クーポラの基部に巡らされた歩廊からは天井のフレスコやドラムに開いた丸窓のステンドグラスなどが間近に見え、頂上からの町の眺めもすばらしい。
入口近くの右側廊には地下のサンタ・レパラータ教会S. Reparataの遺構への下り口がある。これは近年の発掘で現在のドゥオーモの前にあった教会の構造が明らかになったものだ。階段を下りたすぐ左、ブックショップ前にブルネッレスキの墓、さらに逆側の地下にジョヴァンニ・ディ・メディチの墓がある。
サンタ・マリア・ノヴェッラ駅Stazione S.M.Novellaのホームを背に左に出よう。駅前には多くのバスが停車しているが、目指す目的地は徒歩で十分。駅に沿って歩き、地下道に入ろう。
地下道を抜けると、右側がサンタ・マリア・ノヴェッラ教会だ。この教会見学はあとにして、広いパンツァーニ通りVia de'Panzaniを真っすぐ道なりに進もう。にぎやかなこの道は、間もなくチェレッターニ通りVia de'Cerretaniとなり、100mも進むと右に洗礼堂が現れる。
洗礼堂の奥に建つのが、ドゥオーモ。右がジョットの鐘楼だ。洗礼堂の建つサン・ジョヴァンニ広場Piazza San Giovanniを含めて、一帯をドゥオーモ広場Piazza del Duomoと呼び、信仰の中心であり町の中心。復活祭にはここで花火がさく裂するスコッピオ・デル・カッロが行われる。
チケットは公式ホームページから可能だ。(ここでは英語サイトで説明する)
チケットは有効にする日付が指定されており、その日付から営業日で3日間の間入場できる仕組みだ。
公式ホームページのチケット販売サイトにアクセスする。多くの日本人が訪れるクーポラからの眺めを見るにはブルネレスキパスが必要だ。(クーポラ自体が見れればいいという人はジョットパスでもいいかもしれない)
クーポラ、洗礼堂やジョットの鐘楼だけのチケットは現在存在しないので、注意しよう。