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イスラムの栄華を伝える赤い城
グラナダ王国が建国されたのは1238年。当時、キリスト教徒が進めるレコンキスタ(国土回復運動)によりコルドバとセビーリャが陥落し、イスラム教徒が支配するのはイベリア半島南端のグラナダ王国だけとなっていた。
ナスル朝を開いたムハンマド1世(在位1232 ~ 1273年)は、グラナダに首都をおき、仇敵カスティーリャ王国に服属するなど巧みな外交政策で独立を維持し、国の発展に力を注いだ。賢明な政治によって経済が潤うと、王はグラナダ市街を見下ろす丘の上に王宮の建設を開始した。スペイン-イスラム文明の輝かしいモニュメント、アルハンブラ宮殿である。
ムハンマド1世の没後も歴代の王によって建設が進められ、ナスル朝の黄金時代を築いたユースフ1世(在位1333~1354年)とその息子ムハンマド5世の治世下にようやく完成をみる。この時代、アルハンブラ城内にはモスク、市場、住宅街が整備され、モーロ人貴族を中心に2000人以上もの人々が暮らしたという。
アルハンブラという名称は、「赤い城塞」を意味するアラビア語に由来する。その外見は無骨ながら、宮殿に一歩足を踏み入れると、イスラム芸術の結晶ともいえる幻想世界が広がる。そのあまりの美しさに「王は魔法を使って完成させた」といわれ、また14世紀の詩人イブン・ザムラクは「比類なき美しさに匹敵するものを見つけるのは、アッラーですら難しかろう」と詠った。
グラナダ王国の建国から約250年、その終焉は1492年に訪れた。もはやレコンキスタの勢いに抗しきれないと判断した最後の王ボアブディル(在位1482~1492年)は、カトリック女王イサベルに城を明け渡した。そして臣下とともに北アフリカに逃れる途上、シエラ・ネバダ山脈にさしかかる丘の上から落日の宮殿を視界におさめ、惜別の涙を流したと伝えられている。
アルハンブラで最も古い部分。キリスト教国から都を守るため、ローマ時代の砦の跡に9世紀に築かれた。地下道には秘密の出口や井戸、はね橋、偽造門を備えるなど、アラブの軍事技術を結集。難攻不落の要塞といわれた。ひときわ高いのはベラ(夜警)の塔。
イスラム芸術の装飾美が凝縮された、アルハンブラ最大の見どころ。ナスル朝時代に歴代の王によって造られた王宮で、おもに裁判のための区画、王が公務を行うための区画、王の私的な居住空間の3つに分けられる。
アルハンブラ城外、チノス坂を挟んだ太陽の丘に建つ、14世紀に建てられた夏の別荘。シエラ・ネバダ山脈の雪解け水を利用した水路や噴水が設けられ、「水の宮殿」とも呼ばれる。なかでもアセキアの中庭は、花々が咲き乱れ、涼しげな水音が響く美しい庭園だ。
カルロス5世が16世紀に建設を命じた。資金はグラナダのイスラム教徒から徴収されたが、その後モーロ人追放令が発令されたため資金難で建設が中断。18世紀に完成した。1階にはアルハンブラ宮殿の装飾品を展示する美術館がある。
イスラム時代には、貴族の宮殿や住宅、モスクなどが建ち並ぶ緑地だった。アルバイシンを見下ろす展望台には、貴婦人の塔が優美な姿を見せている。庭園にはさまざまな草木や花が植えられ、糸杉が立ち並ぶ遊歩道を進むとヘネラリフェの入口へといたる。
事前にチケットを予約・発券しておけば、チケット売り場まで行かなくても「裁きの門」から入場できる。
まず最初にアルカサバとカルロス5世宮殿を見学し、そのあとナスル宮殿に入場する。なお、予約の際に指定した時刻(チケットに記された時刻)はナスル宮殿への入場時間で、その時間に入場しないと無効になるので注意。
順路に従ってナスル宮殿を進むと、パルタルの庭園に出る。途中、パラドールのカフェで休憩を取るのもおすすめ。最後にヘネラリフェを見学。ただし夏の暑い時期などは、涼しい朝のうちに先にヘネラリフェへ行くのもいい。全部を回ると3時間ほどかかるので、時間には余裕をもとう。
入場制限があり、チケットが売り切れることも多いので、必ずオンライン購入しておこう。
見学の3ヵ月前から2時間前まで可能で、手数料は€0.90。
オンライン購入
https://tickets.alhambra-patronato.es/en/
昼間の見学は「AlhambraGeneral」を選び、次いでチケットの枚数、月日、時間帯(ナスル宮殿への入場時間)を指定し、氏名やパスポート番号など必要項目を入力する。
予約が完了するとQRコード付きのチケットが発券されるので、印刷したものかスマートフォンなどの画面をパスポートと一緒に入口で提示する。なおチケットは、アルハンブラ宮殿のチケット窓口にある機械でも発券できる。
チケットの当日販売
チケットが残っている場合、オンラインでは当日の深夜0:00から、またアルハンブラ宮殿のチケット窓口で朝8:00から売り出される。