京へ三里・水の「清滝」京都・紅葉景色
《清滝の歴史》
前ぺージで紹介した嵯峨鳥居本からトンネルを抜けると、清滝に着きます。
清滝の歴史は、平安時代に愛宕山参りの所として始まり、江戸時代に入ると、
愛宕山の参詣道にあたる清滝には大名に供奉する人が住居を構えたそうです。
そして、大勢の参詣者が集まる宿場町に成長し、旅籠や茶屋が軒を連ねました。
昭和に入り昭和4年には、愛宕山電車が嵐山から清滝を結ぶ鉄道(3,4km)として開通しています。
その時代の清滝は京都の一大レジャーランドとして栄え、
嵐山から清滝へは電車。そして清滝からはケーブルカー(2km)が愛宕山迄を通っていました。
清滝には遊園地があり、愛宕山にはロッジホテルや遊園地、スキー場等があったそうです。
しかし戦争の時代に入り、愛宕鉄道や施設は、 閉鎖に追い込まれて行きます。
戦火が激しくなった昭和19年から20年には、線路などの資材は、
軍備資材として転用され、電車も全線が不要不急線に指定され廃線となり
愛宕山のロッジホテル等の観光施設も全て閉鎖されてしまいました。
戦後は、観光スタイルの変化もあり、寂れて行きましたが・・・・・
初夏には蛍やカジカ・・満天の星が見れる渓谷の里として人気があり、
東海自然歩道の京都一周トレイルや、愛宕山登山に向かうハイカーで休日を中心に賑わっています。
渓谷沿いに建つ松尾芭蕉の歌碑。
「清滝や 波に散り込む 青松葉」
こちらは、与謝野晶子の歌碑。
「ほととぎす 嵯峨へは一里 京へ三里 水の清滝 夜の明けやすき」
京へ三里・・・・・1里は約4kmですから、3里は12kmくらい。
与謝野晶子は清滝に訪れると、猿渡橋近くの旅館に宿泊していたそうです。
赤い橋は、「渡猿橋」。
清滝が一番賑わっていたのは「渡猿橋」が出来た
昭和初期(昭和13年)の頃と言われています。
昭和の宿場町の面影が残る町並み。
昭和初期、ここには、どんな時間が流れていたのでしょう。
《清滝》
○所 京都市右京区嵯峨清滝
○交通アクセス JR「京都駅」から京都バスで約一時間15分くらい
バス賃460円 「清滝」下車すぐ。
筆者
京都特派員
Akio
京都は平安京の頃から、今に至るまで様々な歴史が残っている町。歴史と季節を訪ねながら京都特派員ブログを、綴って行ければと思います。
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