二人のエキスパートに学び、知り、感じる、桜島と錦江湾の魅力

公開日 : 2023年01月31日
最終更新 :

いつもの旅にSDGsの視点を――。SDGsとは持続可能な開発目標のこと。近年、観光分野でもSDGsを取り入れた、レスポンシブルツーリズム(環境への負荷を考え、責任を持って旅をする)という考え方が注目されています。霧島、桜島・錦江湾の火山や自然、それらと共にある人びとの暮らしや歴史文化などを、この先も魅力あふれる旅の舞台や要素としていくにはどんな旅人になればよいのか? 今回は、火山地質学者でNPO法人桜島ミュージアム理事長の福島大輔さん、海洋生態学者でNPO法人くすの木自然館代表理事の浜本麦さんを訪ね、お話を伺いました。桜島の歴史や人との関わり、錦江湾の自然特性や希少性など、桜島と錦江湾のエキスパートお二人によるお話は、私たち旅人がレスポンシブルツーリストになるためのヒントが満載です。

火山研究の専門家が目指す、住む人も訪れる人もハッピーな「みんなの桜島」

NPO法人桜島ミュージアム理事長、福島大輔さん
NPO法人桜島ミュージアム理事長、福島大輔さん

活火山として日々噴煙を上げる鹿児島のシンボル、桜島。その麓の海岸沿いに拠点を構える桜島ミュージアムは、世界有数の活火山である桜島を「屋根のない博物館」と捉えて活動しているNPO法人です。
理事長の福島大輔さんは、火山地質学の分野で理学博士号をもつ火山研究の専門家。京都大学桜島観測所の研究員を経て、2005年にNPO法人桜島ミュージアムを設立しました。生まれ育った鹿児島のシンボル、桜島をこよなく愛する『桜島ラヴァー』として知られています。

「桜島ミュージアムは、火山に関する資料収集保存、調査研究、教育普及、桜島ビジターセンターの管理運営をはじめとしたさまざまな事業を通じて、観光や環境学習、地域振興などに寄与する活動を行っています。コンセプトは、『みんなの桜島』、『桜島をまるごと博物館と考える』、『ヒト、コト、モノをつなぐ、つくる、育む』。目標は、桜島に住んでいる人と訪れた人みんなが、桜島の魅力を知り、桜島を好きになってハッピーになることです(笑)」

知っているようで実は知らない、桜島のこと

毎日のように噴煙を上げる桜島。その歴史は、意外にも68年前からだという。

火山研究の専門家を目の前にした私たちの緊張を、穏やかで優しい笑顔と語り口で解きほぐしてくれる福島さん。少しお話を伺っただけで、ひしひしと桜島愛が伝わってきます。福島さんが伝えたい桜島の魅力とは、どのような点なのでしょうか。

「桜島の魅力は、何といっても活火山だということ。しかも、これだけ頻繁に噴火している火山の麓に人が暮らしていて、目と鼻の先の対岸には鹿児島の市街地があるんです。他所ではなかなかないでしょう(笑)。今日も桜島は噴煙を上げていますよね。昨日も昨週も昨月もそうでしたし、明日もその先もそうでしょう。ただ、こうして毎日のように噴煙や火山灰を上げるようになった歴史は意外と浅いということを、皆さんあまりご存じないんです」

「桜島が今のようになった歴史は意外と浅い」という、意味深な言葉。桜島への興味関心が、掻き立てられます。

「約29,000年前、現在の錦江湾北部で超巨大な噴火が起こり、カルデラとシラス台地が形成されました。その後、約26,000年前に、カルデラの南端に桜島が誕生。これまで、17回の爆発的な大噴火を起こしています。17回目となる1914年の大正噴火では、大量の溶岩が流れ出して桜島と大隅半島が陸続きになりました。そして、溶岩を流した最後の噴火となる1946年の昭和噴火を経て、1955年からは火山灰の噴出を繰り返す小規模な噴火活動が始まり、現在まで続いています。つまり、桜島の日常的な噴火活動の歴史は、たった68年前からのことなんですよ。この前と後を切り分けて考えるなど、時間の変遷とともに見てみることも、桜島を知るうえでの大きなポイントになると思います」

「宝の島」桜島を未来へ継承するために

桜島ミュージアムがブランド化した椿油「SAKURAJIMA TSUBAKI」
桜島ミュージアムがブランド化した椿油「SAKURAJIMA TSUBAKI」

知っているようで実は知らなかった、桜島の歴史や素顔。福島さんのお話を伺っていると、桜島をもっと深く知りたいという好奇心が湧き上がってきます。そんな心を見透かすかのように、福島さんは新たな切り口で語り始めてくれました。

「かつて、桜島は『宝の島』と呼ばれていました。民謡の鹿児島小原節では、『桜島から吹きくる風は 青いミカンの オハラハー においする』、『桜島から嫁女をとれば びわやみかんは オハラハー たえはせぬ』と謡われています。これは、現在のような火山活動が活発化する前の話ですね。また、水はけの良い土壌を生かした果樹や野菜の栽培も盛んで、昭和40年代(1965-1974)中頃には農家一戸あたりの農業所得が鹿児島県内トップでした。その後、活発な火山活動の日常化による農作物への被害や人口減少などで農業は一時衰退しましたが、世界一小さなミカンの桜島小ミカンや、世界一大きな大根の桜島大根などの特産品は健在です」

「また、椿油も桜島が誇る特産品のひとつ。昭和噴火以降、農作物が甚大な被害を受けるなかでも、ヤブツバキは逞しく元気に育ち実をつけたのです。その実から獲れる椿油は高品質ながら、知名度が低く市場に出回らない地産地消品・・・。それでは宝の持ち腐れだということで、桜島ミュージアムでは2008年から桜島産椿油のブランド化に取り組んできました。農家さんから種を買い取って搾り、『SAKURAJIMA TSUBAKI』として販売しています。これからも、桜島が『宝の島』であり続けるために」

専門ガイドと巡ることで、楽しみの幅はグンと広がる

桜島一帯にはさまざまな時代の溶岩地形があり、時代ごとの植生遷移が見られる
桜島一帯にはさまざまな時代の溶岩地形があり、時代ごとの植生遷移が見られる

ほかにも、桜島が「宝の島」である理由があると福島さんは言います。

「桜島は、噴火の度に溶岩を流し、植生を破壊して岩石の地形に変えてきました。ただ、草木や樹木などの植物は、長い年月が経つと逞しく復活して森を形成します。ちなみに、裸同然だった溶岩地形に植物が生えて森になるまでかかる年数は、少なくとも200年以上。その遷移を、私たち人間が観察するためには、200年の寿命が必要ですよね(笑)。でも、桜島にはさまざまな時代の溶岩地形があるので、島を一周すると一日で数百年分の植生遷移を見られます。植林など人間が行うものとは次元の異なる、大自然の大きな流れの中での植物再生物語を見せてくれるのです」

専門知識をもったガイドと一緒なら、桜島をより深く理解できる
専門知識をもったガイドと一緒なら、桜島をより深く理解できる

そんな『宝の島』桜島を肌で感じるには、ガイドと一緒に巡るのが一番だと福島さん。

「歴史や文化の分野に関しては、興味関心があれば何となく入っていって理解できると思います。でも、火山学や地学の分野となると、専門的なガイド無しではなかなかハードルが高いですよね。噴煙を上げる桜島の風景や溶岩がむき出しになった地形などを、ただ眺めて『スゴイ』と感じるだけではなく、なぜそうなったのか、そこにどういう意味があるのかを知った上で眺めた方が絶対に楽しいと思うんです。ご自身で調べて知るのは大変ですから、ぜひ私たちガイドを活用して楽しんでください(笑)。お問い合わせいただければ、ご希望に応じたプランをご紹介します」

■NPO法人桜島ミュージアム
・住所:鹿児島県鹿児島市桜島小池町1327
・問合せ:099-245-2550
・URL:https://museum.sakurajima.gr.jp/

■桜島ビジターセンター
・住所:鹿児島市桜島横山町1722-29
・問合せ:099-293-2443
・営業時間:9:00~17:00 無休
・URL:http://www.sakurajima.gr.jp/svc/

海洋生態学の研究者から、錦江湾と重富海岸の伝道師へ

重富海岸に立つ、重富海岸自然ふれあい館なぎさミュージアム
重富海岸に立つ、重富海岸自然ふれあい館なぎさミュージアム

桜島を後にし、次に向かったのは、錦江湾の北西に広がる重富海岸。美しい松林の一角に建つ、重富海岸自然ふれあい館なぎさミュージアムを訪ねます。出迎えてくれたのは、なぎさミュージアムを運営するNPO法人くすの木自然館の代表理事で専門研究員の浜本麦さん。海洋生態学者として、また重富海岸の伝道師として、干潟の研究や自然環境保全活動を通じ、重富海岸や錦江湾の魅力を発信しています。

NPO法人くすの木自然館 代表理事 兼 専門研究員、浜本麦(ルビ:ばく)さん
NPO法人くすの木自然館 代表理事 兼 専門研究員、浜本麦(ルビ:ばく)さん

「海が身近な鹿児島で生まれ育った私は、小さい頃から海が遊び場で、なかでも重富海岸の干潟や浅瀬にいる生き物が大好きでした。中学生くらいまでは、将来生き物に関わる仕事ができればいいなと、何となく思っている程度だったんです。でも、高校に入って数学でつまづき、獣医の道は断念(笑)。そして、自分も周囲も進路を真剣に考え始めた高校3年の頃、同級生たちが鹿児島を離れて進学や就職しようとしていることを知りました。理由は、『鹿児島って何もないから』。ショックで悔しかったですね。鹿児島って、魅力満載でこんなに良いところなのに……。それをきっかけに、自分が鹿児島を好きなだけじゃなく、その素晴らしさを伝えたいと強く思うようになりました。伝えるためには、まず研究だと考え、大学で海洋生態学を専攻。恩師との貴重な出会いを経て、海や自然と向き合う人生を送っています」

恩師からのことばをきっかけに、身近な海の自然と向き合い具体的に行動をスタート

かつて、重富海岸の浜辺や駐車場にはゴミがあふれていたという
かつて、重富海岸の浜辺や駐車場にはゴミがあふれていたという

鹿児島の素晴らしさを伝えるために、研究者の道を進んだ浜本さん。大学で恩師から投げかけられた質問が、海と真剣に向き合うきっかけになったと言います。

「先生から、『君たちは、普段自分が食べている魚が何を食べているか考えたことがあるか?』と聞かれたんです。つまり、海の環境やそこに棲む生物の多様性についてどれだけ知っているか、ということですね。頭をガーンと殴られたような感覚でした。自分は海の生き物が好きだけれど、それらが生きている海のことには無頓着……。大好きだった重富海岸はゴミだらけで、干潟や浅瀬は荒れているのに……」

「そこから、干潟や浅瀬の重要さに気づき、徹底的に研究しました。その後、教員や研究者の道を目指したものの、正しく伝え広められる限界を感じて断念。できることから始めようと、環境教育のNPO法人くすの木自然館に新卒で就職しました。くすの木自然館の理念は、『反対運動ではなく賛成運動』。鹿児島ならではの自然をみんなに残したいと思えるように、楽しく、わかりやすく伝える活動を行っています。私は現在、その三代目の代表理事としてさまざまな活動に取り組んでいるところです」

カルデラの海、錦江湾に残された貴重な干潟、重富海岸

今では錦江湾屈指の景勝地、重富海岸。白砂青松が美しい
今では錦江湾屈指の景勝地、重富海岸。白砂青松が美しい

さまざまな経験と転機を経て、鹿児島の海や自然、とりわけ大好きな重富海岸と向き合う浜本さん。専門家として、錦江湾や重富海岸にどんな魅力や個性を見出しているのでしょうか。成り立ちや特徴とともに教えていただきましょう。

「錦江湾は、桜島の大噴火がもたらしたカルデラの海です。カルデラとは、火山の噴火で地下のマグマが大量に噴き出して空洞ができ、地面がスコンと落ち込んだ陥没地形のこと。そこに水が溜まって、湾が形成されました。内湾でありながら、最深部は237mにもなり、深海魚もいるんですよ。また、地形が複雑なことや温かい黒潮が流れ込むことから、多様な生き物たちの棲みかとなっています」

冬の早朝に見られる気嵐。季節ごとの美しい自然風景も重富海岸の魅力
冬の早朝に見られる気嵐。季節ごとの美しい自然風景も重富海岸の魅力

「そんな錦江湾の北西に位置する重富海岸には、噴火から2万年以上の時をかけて土砂が堆積して形成された、干潟が広がっています。その広さは、錦江湾奥では最大となる53ha。ほかにも干潟や浅瀬はありましたが、塩田開発などで埋め立てが進み、これほどの規模で残っている干潟は錦江湾でここだけです。干潟の海は、約300種類にものぼる生き物たちのパラダイス。ハゼ、カニ、エイ、ゴカイ、貝、少し沖にはイルカやタイもいます。サギやカワセミ、シギ、カモなど、野鳥の宝庫でもあるんです。また、景観も素晴らしく、四季折々に異なる表情を見せてくれます。冷え込みが厳しい冬の早朝には気嵐が発生し、桜島をバックに幻想的な風景が広がりますよ」

重富海岸を、単なる旅先ではなくふるさとのように思ってほしい

ゴミ拾いから始まった活動は着実に成果を上げ、今の美しい重富海岸に繋がっている
ゴミ拾いから始まった活動は着実に成果を上げ、今の美しい重富海岸に繋がっている

火山によって生まれた錦江湾で、海の生き物たちを育む貴重な干潟。そんな重富海岸を愛する浜本さんの活動は、着実に成果を上げてきました。2012年の国立公園指定、2021年のジオパーク・ジオサイト認定にも繋がっています。

「私が活動を始めた頃、『昔は良かった』という声を聞くのが嫌で仕方なくて……。スタートは、とにかくゴミ拾いからでした。ただ拾うだけではなく、時期によるゴミの種類や量など傾向を記録して統計をとりながら地道に続けていくと、近隣の方たちも自分事として捉えてくれるようになりました。やがて、荒れ果てていた海岸が少しずつきれいになり、徐々に訪れる人が増えていったんです。グラフを見れば一目瞭然。2009年以降、ゴミと海岸利用者の数が逆転し、その傾向がずっと続いてきています」

環境学習プログラムのひとつ、干潟の生きもの観察ツアー
環境学習プログラムのひとつ、干潟の生きもの観察ツアー

そして今、ゴミ拾いから始まった活動は多岐に広がり、さまざまなプログラムを通じて重富海岸の素晴らしさを伝え広めています。

「私たちの活動の特徴は、環境学習に特化している点です。現在、12のプログラムを用意し、旅行者の方も数多くご参加いただいています。干潟の生き物を観察したり、胴長を履いて浅瀬を散歩したり、マイクロプラスチックを探したり…。そんな活動のなかで私たちが大切にしているのは、一方的に解説したり、決まった答えに導くような問いを立てたりせず、ご自身で気づき、発見し、考え、答えを出していただくことです。なぜなら、参加者お一人おひとりが活動の主役になっていただきたいから。重富海岸を単なる旅先ではなく、ふるさとのように思っていただきたいからです(笑)。そう思っていただける方の輪が広がり、重富海岸がサステナブルでレスポンシブルな旅のメッカになることを夢見ています」

■重富海岸自然ふれあい館なぎさミュージアム
・住所:鹿児島県姶良市平松7675
・問合せ:0995-73-3146
・開館時間:9:00~17:00(夏季は~18:000) 火曜休(祝日の場合は翌日休)・年末年始休
・URL:https://www.nagisa-museum.com/

桜島・錦江湾の名物を訪ねて~ 火山灰と温泉水を使った焼物、桜島焼

火山灰と温泉水、桜島の恵みを取り入れた唯一無二の焼物、桜島焼
火山灰と温泉水、桜島の恵みを取り入れた唯一無二の焼物、桜島焼

桜島と錦江湾、重富海岸の魅力について深く知ることができた、福島さんと浜本さんのお話。せっかくなので、ぜひ知っておきたい桜島の名物「桜島焼」をご紹介します。

桜島港のフェリーターミナルから、車を走らせること5分足らず。桜島の南西に広がる高台の一角、桜島焼窯元 桜岳陶芸に到着します。

桜島焼とは、桜島の火山灰と温泉水を混ぜた土で作り上げた焼物。素朴でありながら力強さを感じる風合いと、美しさと渋さを備えた独特の色合いが印象的です。均一的でない複雑な光沢を放つ銀色は銀彩と呼ばれ、この焼物を特徴づけています。

桜島焼を考案し、唯一無二の焼物に育て上げた名人、橋野翠史さん
桜島焼を考案し、唯一無二の焼物に育て上げた名人、橋野翠史さん

手掛けるのは、陶芸歴47年の二代目窯主、橋野翠史さん。自ら考案した桜島焼を、娘さんとともに作り続けています。

「もともとは、白薩摩焼が中心の焼物づくりだったんですよ。でも、桜島の火山灰が降ると生地の土に混ざってしまって、全然ものにならなくて……。いろいろ対策してみたんですがどうにもならず、困ったなと(笑)。それで、火山灰に抗うんじゃなく取り入れてみたらどうかと発想を転換してみたんです。そうそう、その頃は火山活動の影響で水道も止まっちゃってて、井戸を掘ったら温泉水が出てきたの(笑)。火山灰と温泉水を土と釉薬に混ぜ込んで焼いてみたのが、桜島焼の始まりというわけ」

桜島焼誕生のエピソードを、人懐っこい笑顔と語り口で笑い話のように教えてくれる橋野さん。聞けば、納得のいく仕上がりに辿り着くまでは山あり谷ありの道のりだったそうですが、そんな苦労をも楽しんでいるかのようです。

工房の一角に置かれた火山灰。桜島の恵みだと捉えて取り入れたものづくり精神に脱帽
工房の一角に置かれた火山灰。桜島の恵みだと捉えて取り入れたものづくり精神に脱帽

「日によって降ってくる灰は違うので、混ぜる分量も変えないといけないし…。第一、灰や温泉水を混ぜると普通より手間も時間もかかるのよ(笑)。でもね、灰も温泉水も桜島の恵み。ここで生まれ育って焼物をやっている私にとっては、大切な財産だと思わなきゃね。そうそう、財産といえば、うちを目指してわざわざ遠くから来てくださるお客様の存在。これも、桜島が結んでくれたご縁と思って、日々感謝してますよ」

■桜島焼窯元 桜岳陶芸
・住所:鹿児島県鹿児島市桜島赤水町1360
・問合せ:099-293-3939
・営業時間:9:00~17:00 不定休
・URL:https://www.ougaku.com/

筆者

地球の歩き方観光マーケティング事業部

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