126. 日本隊が発掘調査に参加中!サマルカンド近郊のソグド人都市遺跡カフィル・カラ

公開日 : 2023年10月26日
最終更新 :

サローム(こんにちは)!

シルクロード交易で栄えていた頃を思い起こさせてくれる壮大なサマルカンドの歴史スポットは、豪華絢爛なイスラム建築だけではありません。イスラム化以前に中央アジアで活躍していた民族、ソグド人が生活を営んでいた都市遺跡も、サマルカンド市内や郊外に点在しています。もっとも有名なのが古代サマルカンドの町の跡のアフラシアブの丘(117. アフラシアブの丘&アフラシアブ博物館 ソグド人が活躍した古代サマルカンドの痕跡がここに)ですが、ぜひともこのブログで紹介したい遺跡がもう1つあります。それがサマルカンド中心部から車で30分ほどのところにある、カフィル・カラ遺跡。遅くとも5世紀ごろには存在し、イスラム期に至るまで人が住んでいたといわれる、16ヘクタールの広さの遺跡です。

この遺跡、何と国立民族学博物館の考古学者の方を隊長とする日本調査隊が、サマルカンド考古学研究所のウズベキスタン調査隊と共同で定期的に発掘調査を行っているのです!この遺跡に日本隊が関わっているのは2013年からで、この10年の間で貴重な出土品を多数発掘し、多くの成果を上げています。日本隊とは別に、イタリア隊も発掘調査に参加しています。
私がカフィル・カラ遺跡のことを知ったのは、サマルカンドから遠く離れた北海道にて。札幌観光の途中何気なく訪れた北海道大学総合博物館で、この遺跡に関する展示を発見したのでした。その後ご縁あって日本隊の考古学者の皆様とサマルカンドでお目にかかることができ、カフィル・カラ遺跡についてより深くお話をお伺いすることができました。

北海道大学総合博物館 カフィルカラ遺跡の展示
北海道大学総合博物館内のカフィル・カラ遺跡展示コーナー。道民の方はぜひご覧を!

そしてつい先日、日本隊の発掘現場を見学する機会に恵まれました。この遺跡は「シルクロード ザラフシャン-カラクム回廊」の名で周辺の遺跡とともについ最近世界遺産に登録されたのですが、奇しくも世界遺産登録が決まったのはこの見学会のほんの数日前。めでたいタイミングでの遺跡見学になりました。その際撮影した写真とともに、このカフィル・カラ遺跡をご紹介します。
遺跡があるのは、サマルカンドからシャフリサーブスへ向かう幹線道路から少し東へそれた農地の中。以前は訪問者向けの案内看板や施設は全くなかったとのことですが、今は遺跡入口に立派な看板が立ち、駐車場も整備されています。

カフィルカラ遺跡 入口

この遺跡はソグド人の居住地であるとともに、立地上サマルカンドへの関門のような役割も果たしていたのではとのこと。遺跡近くを南北に走る幹線道路は、サマルカンドからシャフリサーブスやウズベキスタン最南端の町テルメズ、果てはアフガニスタンやペルシャへと繋がる、古来からの中央アジアの大動脈でした。カフィル・カラ遺跡はこの「南北のシルクロード」の途上にあった、サマルカンドの町の南の関所であったのでは...というのが、今回案内して下さった日本人考古学者の仮説です。
北側にはダルゴム運河が流れていますが、この運河は古くからサマルカンドやブハラといったオアシス都市を潤してきたザラフシャン川から引かれており、何と紀元前に作られた運河といわれます。「南北のシルクロード」を行き交かった旅人はこの運河を渡ってカフィル・カラ遺跡を出入りしていたはずで、きっとアレキサンダー大王や三蔵法師も今私たちが見ている景色の中を通っていったのでは...とのこと。シルクロードのロマンを感じずにはいられません。

カフィルカラ遺跡 ダルゴム運河の眺め

カフィル・カラ遺跡のシンボルになっているのが、遺跡中央にそびえ立つ巨大なシタデル(城塞)。日本・ウズベキスタン共同調査隊は、このシタデルを中心に発掘調査を行っています。階段を登ってシタデル内を見学することができますが、なかなかハードな階段なのでご注意を。

カフィルカラ遺跡 シタデル

シタデルは発掘調査が行われている以外大規模な復元などは行われておらず、ほぼ当時のありのままの姿をとどめています。このシタデルはサマルカンドの王の離宮であったという説が有力で、シタデルを構成するいくつかの部屋のうち最奥の部屋が王の間とされています。ここから高貴な装飾品や木彫り板が発掘されましたが、この木彫り板に描かれていたのがゾロアスター教の女神ナナ。ゾロアスター教はこの地がイスラム化する前にソグド人の間で信仰されていた宗教で、世界最古の一神教ともいわれているものの、地域によっては様々な神々が信仰されており多神教的性格もあったといわれています。この地域のソグド人の間で人気だったのが、このナナ神だったのです。

カフィルカラ遺跡 シタデル内
土壁で部屋の跡が区切られているシタデル内。このうちの一つが王の間とされている部屋

しかしこの木彫り板や、同じくこの場で保管されていたゾロアスター教の経典は、8世紀初頭に侵入し襲撃を行ったイスラム軍により燃やされてしまうことになります。現在も土壁に煤けた跡が残っており、これがこの遺跡で行われた戦いや放火の証拠。サマルカンドを含むこの地域のソグド人地域はことごとくイスラム軍に襲われ、中央アジア主流の宗教がゾロアスター教からイスラム教へ急速に変わっていったのでした。カフィル・カラの地名自体も「異教徒の城」という意味で、イスラム側から付けられた名と分かります。

王の間の近くには食糧庫として使われたと思われる部屋もあり、麦や粟などの穀物やニンニク、ワインやはちみつが入っていたと思われる土器が出土したそうです。近い将来、この遺跡でこのような古代食を楽しめる場が開かれれば興味深いかもしれません。

カフィル・カラ遺跡 食糧庫
王の間の2つ隣にある、シタデルの食糧庫
カフィルカラ遺跡 シタデル内
シタデルの台所だったと推測される、土器が散らばる部屋も

シタデルの南北にはそれぞれ3つの見張り塔があり、完全な形ではないながらも現在まで残っています。南側中央の見張り塔からはシタデルへの跳ね橋が掛かっており、これがシタデルへの唯一への入口だったといわれています。この見張り塔の存在により、このシタデルに軍事的機能があったことが判明したのでした。しかし先述の通り、南側からやって来たイスラム軍の攻撃をしのぐことはできませんでした。

カフィルカラ遺跡 シタデル入口
当時の日干し煉瓦を今でも見ることができるシタデル入口
カフィルカラ遺跡 見張り塔
跳ね橋が架かっていたとされる南側の見張り塔。イスラム軍は背後の山脈を越えて侵入してきたと思われる
カフィルカラ遺跡 見張り塔
北側の見張り塔。はるか向こうにはサマルカンド市街が見える

この遺跡はシタデルのほか、シャフリスタン(城壁内の居住区)とラバト(城壁外の居住区)から成り立っていました。シャフリスタン内にも現在まで残っている遺構があり、シタデル北側には調査隊が保護のため覆いを設置している一角があります。ここは大人数が集まって食事をするホールのような場所であったとされており、ホールの壁面に描かれていたと推測される壁画片も発掘されました。

カフィルカラ遺跡 ホール跡
覆いで保護されている遺構
カフィルカラ遺跡 調理場跡
日本隊の考古学者と共に現地の人々も発掘に参加している

またシタデル南側には、いつの年代か定かではないものの墓地も残っています。こちらはイタリア隊が中心に発掘しているとのことで、別の機会にイタリア隊に案内していただきました。
見学していると、ちょうど数百年前、あるいは千年以上前の人骨が出土したところ。発掘したての人骨など今まで目にする機会がなく、インディジョーンズ感あふれる光景にテンションが上がり夢中で写真を撮りましたが、帰宅後急に具合が悪くなりしばらく寝込む羽目に。人骨の呪いに遭ったのかもしれません...。

カフィルカラ遺跡 墓地跡
ピラミッド状になっている墓地

日本人考古学者の方々が発掘調査に関わっており、さらに世界遺産にも登録されたということで、これから注目されること必至のカフィル・カラ遺跡。ツアーでシャフリサーブス観光の途上に組み込まれることも今後あるかもしれません。考古学者の皆様も、ぜひ多くの旅行者に訪れてもらい、この貴重な遺跡の意義を知ってほしいとおっしゃっていました。
私自身、壮観ながらもある程度修復が進んでいる市内中心部の歴史建築物と違い、目にするものほぼ全てが当時のままと言ってもいいこの遺跡に初めて訪れた時は、新鮮な感動を覚えました。観光客向けの整備はまだまだこれからですが、古代遺跡好きの方はぜひチェックを。

それではコルシュグンチャ・ハイル(また会う日まで)!

■カフィル・カラ遺跡 Kofirqal’a arxeologik yodgorligi

住所
Yangiariq mahallasi, Samarqand viloyati
アクセス
サマルカンド市内中心部からタクシーで30分、シャフリサーブス方面への幹線道路M39近く。一般タクシー運転手は場所をほとんど知らないので旅行代理店などに手配を頼むのがおすすめ

筆者

ウズベキスタン特派員

伊藤 卓巳

根っからのスタン系大好き人間です。まだまだ知られていないウズベキスタンの魅力や情報を、サマルカンドより愛をこめてお伝えします!

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