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「京の冬の旅」は、冬の京都への観光客増加を目的に、京都市観光協会やJRグループなどの連携で行われているキャンペーン。1967年から始まり、今年2026年で記念すべき60回目を迎えました。第60回のテーマは、2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』の主人公・豊臣秀長と兄・秀吉ゆかりの地。期間中は彼らが生きた時代にスポットをあて、「京の冬の旅」初公開を含む15ヵ所で、非公開文化財の特別公開が行われます。
今回は、その中から、豊臣秀吉ゆかりの豊国神社と方広寺を取材しました。
豊国神社は、豊臣秀吉を祀る神社です。出世開運・良縁成就のご利益で知られ、秀吉のシンボルであるひょうたんを模した絵馬が境内を彩ります。
この豊国神社の宝物殿に、重要文化財の「薙刀直シ刀 名物骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)」が展示されています。源頼朝や足利尊氏、豊臣秀吉、徳川家など、時代を代表する権力者たちの手を渡り歩いたことで知られる名刀です。普段は京都国立博物館へ寄託されており、この冬は特別に豊国神社で公開されています。
(※2月3日までの展示。2月4日以降は「写し(再現刀)」の展示となります)
切る真似をするだけで骨まで砕ける、と言い伝えられたことから「骨喰」という物騒な異名をもつ刀ですが、実際の刀身は澄んだ色をしてとても美しく、凛とした光を放っていました。
足利将軍家の重宝として伝えられ、豊臣秀吉のもとでは豊臣家の名刀に。大坂夏の陣の後は徳川将軍家の蔵刀となり、明治維新後に徳川家達によって豊国神社へ奉納され、現在に至ります。
日本刀を擬人化した人気ゲーム『刀剣乱舞』に、この骨喰藤四郎をモデルとしたキャラクターが登場することから、宝物殿にもゲームのキャラクターが。豊国神社は歴史好きの中高年層の方の参拝が多いそうですが、「刀剣乱舞」の効果で、20~30代の女性参拝者も増えているそうです。
続いて訪れたのは、境内の書院。こちらは、皇室ゆかりの恭明宮の遺構とされ、この冬特別に公開されています。明治期には七条通周辺まで同様の建物がずらりと並んでいたそうですが、現存するのはこの書院のみです。展示物が公開されている部屋は、蚊帳を吊るす金具が柱に残っていることから、当時は寝室だったのではと推測されています。
こちらの書院では、重要文化財の「豊国祭礼図屏風」の精巧なレプリカが展示されています。実物は宝物殿で保存されていますが、レプリカでは間近で細部までじっくり観察できるのが魅力。
屏風は、秀吉の七回忌に行われた「豊国大明神臨時祭礼」の様子を描いたもので、豊臣家お抱えの画家である狩野内膳の作品です。当時の作品は、制作背景や制作意図がわからないことが一般的なため、それらがはっきりわかるという点でもかなり貴重な作品となっています。
「豊国祭礼図屏風」には、当時の京都の町並みが描かれています。たとえば、上の画像ですと、屏風の上部にある茶色い社が豊国神社。右端の細長い建物が三十三間堂。中央にある門が、現在でいう京都国立博物館のあたりを描いており、現在の京都の地理と照らし合わせて見ても楽しい作品です。
こちらの図屏風では風流踊りの様子が描かれています。風流踊りは、300人の踊り手が5組に分かれて行われる大規模な踊りで、盆踊りの原型とも言われています。遠目で見ても楽し気な様子が伝わってくる素晴らしい図屏風ですが、ぜひ近づいて踊っている人をひとり一人じっくり見てみてください。この風流踊りは趣向を凝らした衣装が特徴で、さまざまな仮装をした人が描かれており、当時の人たちの遊び心が伝わってきます。
こちらの踊り人たちは豊国神社のグッズにもなっているので、ぜひ自分のお気に入りの踊り人を見つけてみてください。
書院ではそのほかにも、秀吉が着ていたとされる重要文化財の「黄紗綾地菊桐紋付胴服(きさやじきくきりもんつきどうふく)」が展示されています。胴服は羽織の原型となった服で、中に綿が入っていて冬でも暖かいのだそうです。
この時代の服は現存しているものが少なく、また染色品は保存が難しいので、こうして綺麗な状態を鑑賞できるのはとても貴重だといいます。
また、8歳の秀頼が書いた掛け軸も展示されていました。この書が書かれたのはちょうど1600年で関ヶ原の戦いの年。激動の時代のなか、幼い秀頼は何を思っていたのでしょうか。
続いて、豊国神社のお隣の方広寺へ。こちらでは、秀吉がお守りとして大切にしていた大黒天像が特別公開されています。本来は撮影NGですが、今回は特別に許可をいただき撮影しました。
こちらの小さな仏像が、お守りである大黒天像。手のひらに乗るサイズです。最澄が作成したものとされており、もしそれが本当なら平安時代に作られたことになります。
手前の黒い像は御前立(おまえだち)と呼ばれる、秘仏の代わりとなって参拝を受ける像で、大黒天像と同じ形をしています。
こちらの大黒天像は一般的な米俵に座っている姿ではなく、古い形式のデザインであることも注目されています。
秀吉は奈良の東大寺にならって、この地に大仏と大仏殿を建立しました。火災や自然災害などにより失われてしまいましたが、現存していれば世界最大級だったと考えられています。
この大仏の10分の1の大きさで1801年に造られた盧舎那仏坐像も公開されています。
蓮の花(蓮台)の内側に玉を連ねた装飾がありますが、これを隣の部屋にある秀頼が建立した実際の大仏の玉装飾と比較すると、当時のサイズ感が良く分かります。
大黒堂の天井画として描かれた龍の図も特別展示されています。作者は明治時代の画家である吉川霊華。この龍の特徴は、上唇があがった独特の表情です。この描き方は古い龍図に用いられる表現で、あえて明治時代の流行に寄らず、古風な表現を選んでいる点が注目されています。
境内には、重要文化財の梵鐘もあります。鐘には秀吉の功績や四字熟語がずらりと並んでいるのですが、その中の「国家安康 君臣豊楽」の文字が、徳川家康の名を分断し、豊臣の治世の方が楽しいと読めるとして問題視され、大坂冬の陣の一因となったと伝えられています。
ちなみに、明治時代に鐘を釣り上げた際に、釣鐘の内側に淀君の亡霊と思われる女の横顔が浮かんでいると話題になりました。この鐘の中に入ることもできるので、ぜひ自分の目で確かめてみてください。
普段は公開されない文化財や、歴史の裏側に触れられる「京の冬の旅」。60回目の節目となる今年は、豊臣家と京都の関係を感じられる、またとない機会です。ぜひ冬の京都で、歴史の記憶をたどってみてください。
TEXT&PHOTO : 奥津結香