Hiroshige: Artist of the Open Road
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ロンドンの大英博物館で開催中の、江戸時代に活躍した浮世絵師・歌川広重の大々的な企画展「Hiroshige artist of the open road」が話題を呼んでいます。開催期間は2025年5月1日~9月7日。
代表作「東海道五十三次」や「名所江戸百景」はもちろん彼の初期作品から晩年にいたるまで、また団扇(うちわ)の装画や狂歌集の挿絵など今風にいえばイラストレーター的な作品も多数展示しています。
日本美術に関する所蔵品の多さでも知られる大英博物館は、2017年に葛飾北斎展「Hokusai: Beyond the Great Wave」を催し大成功。今回の広重展も、イギリス各メディアで高く評価されていますよ!
江戸時代後期に活躍した歌川広重。その名前だけでイメージが湧かなくても、日本人ならば「東海道五十三次」を知らない人は少ないですよね。
彼が活躍した19世紀は、街道が整備され庶民レベルでも国内旅行が可能になった頃。東京と京都を結ぶ東海道の全ての宿駅を描いた「東海道五十三次」が大好評を博し、その後も全国各地の風景を描きつづけ名所絵の第一人者となりました。
大英博物館で開催中の「Hiroshige: Artist of the Open Road」の「open road」も、彼が描いた街道沿いの風景が目前に広がるさまを想起させます。また庶民と自然との共存を巧みに描いた広重の、包容力ある開かれた視点も表しているようです。
この広重展を開催する事となった直接のきっかけは、広重作品の大規模な寄贈。
もともと大英博物館では広重の浮世絵を約1千点も所蔵していますが、さらに「大英博物館米国友の会」(American Friends of the British Museum)に米国人蒐集家アラン・メドウ氏が35点を寄贈しました。
また彼は本展のために82点もの作品を貸し出し、中には世界に1点しか現存しないと考えられるものや最高品質の版画など希少価値のあるもの多数。
広重が生きた幕末は、黒船来航などで社会が混乱した時期。そんな社会背景に関わらず平穏で心落ち着く風景を描いた広重に、先行き不安な現代を生きる我々が学ぶものがあると言えましょう。
広重は下級武家の出身。現在の東京丸の内にあたる八代洲河岸で、定火消同心(消防隊員)安藤源右衛門の子として生まれました。
父の引退後いったん家督を継いだものの、歌川豊広門下の絵師となりダブルワークを続けた彼は、やがて画業に専念するため親族に家督譲渡。30代半ばからの遅いスタートでしたが、翌年に発表した「東海道五十三次」シリーズが大ヒット!
そんな彼の初期作品から始まり、風景画、花鳥図、そして団扇や扇子の図案などテーマに分けて展示。広重が描いた美しい自然や風景とともに、江戸時代後期に生きた人々の息吹が伝わってきます。
また多数の作品が展示されているだけでなく、浮世絵を刷る際の技法や、彫り師による繊細な作業などの動画も紹介。実際に使われるバレンや彫刻刀といった道具も陳列され、浮世絵制作の奥深さを伝えます。
広重が活躍した19世紀は、日本が鎖国時代から開国へと激変した時代でもあります。
1851年にイギリス・ロンドンで万国博覧会が開催されて以来、西洋からの注目を集めた日本文化。1853年にはペリーの浦賀来航、その翌年には日英和親条約締結・・・日本が世界に向けて門戸を開放し西洋の文化技術を積極的に取り入れたと同時に、浮世絵を始めとする日本文化が海外の人々に衝撃を与えました。
とりわけ新しい芸術表現を模索していた西洋の画家たち、クロード・モネやフィンセント・ヴァン・ゴッホらに与えた影響は甚大。ゴッホに至っては広重の「亀戸梅屋舗」や「大はしあたけの夕立」を模写したものまで遺っています。
しかし1858年。コレラに罹患した広重は惜しくも62歳で逝去。その3ヵ月前には日米修好通商条約が締結し、横浜や長崎などが開港。いよいよ本格的な文明開化の黎明期に突入した矢先のこと。
辞世の句は「東路(あずまじ)へ筆をのこして旅のそら 西のみ国の名ところを見ん」(日本の江戸に筆を残して旅立ちます 死後は西方浄土の名所巡りをしたいものです)。
もし不運な疫病に罹らず、あと10年か20年生きていたら・・・広重の豊かな世界観で描いた近代日本の風景も、見てみたかった!と思わずにいられませんね。
大英博物館での「Hiroshige: Artist of the Open Road」は、2025年5月1日から9月7日まで開催。日本人にとっても新鮮な発見が多く、この時期にロンドンへいらっしゃる方にお勧めです!
※記事中の画像はすべて大英博物館広報ご担当者より掲載許可をいただいております。