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【岡山 倉敷市】吉備真備ゆかりの地を訪れて そのⅠ~旧真備町~

mami

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岡山特派員

更新日
2025年12月5日
公開日
2025年12月5日

こんにちは。岡山特派員のmamiです。「まきび公園」へ紅葉を見に行きました。
「まきび」とは岡山にゆかりの深い奈良時代の学者、吉備真備のことです。
遣唐使として2度唐へ渡り、唐で学んだ新しい知識や制度を日本にもたらし、大学寮で唐から持ち帰った典籍をもとに算術や法学、儒学などを講義していたといいます。地方の豪族の子息で最終的に右大臣にまで昇ったので、菅原道真と並び称されるほど、学問と政治の両面で活躍した人です。 
県内の小田川流域の矢掛町から倉敷市真備町にわたる一帯は、古来より「吉備真備ゆかりの地」として知られています。

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まきび公園

真備が遣唐使として2度も唐へ渡っていたせいか、ここは中国式の美しい庭園です。紅葉はもちろん、2月から3月にかけての梅や春の牡丹も見ごたえがあります。

倉敷市真備町と小田郡矢掛町の境にあたり、行政が違うせいか、お互いの町が「わが町こそ真備のふるさと!」と主張して、どちらの町にも真備ゆかりの公園や産湯の井戸など、同じような史跡があり、初めて訪れた時は紛らわしくて、どういう事かよくわかりませんでした。(笑)

以前アップした【太宰府天満宮よりも御利益が?吉備真備公園の吉備大臣宮 ~小田郡矢掛町~】も合わせて読んでいただければ幸いです。

吉備公墳に立つ宝篋印塔です。古くから吉備真備の墓と信じられていて、江戸時代の発掘で棺の中から人骨が出てきて真備の墓とされたそうですが、近年の調査で鎌倉時代のものだったことがわかりました。
大和地方にも真備の墓が点在していて、実際はどこが臨終の地なのかわかっていないようです。

吉備寺

公園に隣接する「吉備寺」です。吉備真備の人骨を祀るための菩提寺とされていた寺です。
江戸時代、時の岡田藩主伊藤長貞の「郷土の偉人を長く顕彰するように」という命により、「吉備寺」という名がつけられました。
元々この場所には、吉備真備の出自である下道氏一族の氏寺があったそうです。残念なことに創建当時の伽藍は焼失し、心礎や礎石が、現在の吉備寺の庭石として姿を残すだけになっています。
真備の父は下道圀勝(しもみちのくにかつ)といい当時この辺り一帯を勢力下に治める豪族でした。

まきび記念館

公園内には「まきび記念館」という資料館もあります。無料で入館できるで、ぜひ見て帰ってもらいたいです。ここには吉備真備に関する資料が並んでいます。
私がいちばん興味深かったのが「吉備大臣入唐絵巻」です。本物はボストン美術館所蔵なので複製品です。

真備が超人的な能力を発揮した絵巻で、唐にやってきた真備が様々な嫌がらせや問題を受けるたびに、この地で亡くなった阿倍仲麻呂の霊の助けをかり(ただし史実では真備と同じ船で入唐しているので生きています!)、唐の高官を打ち負かして日本に帰国するというストーリーです。
真備が空を飛んだり、囲碁の対局で真備が碁を飲み込み、それを探す検便のシーンがあったりと、900年も昔にかかれたものとは思えない現実を超えた幻想的な絵巻物です。

松本清張の「眩人」という小説の中では、この絵巻物の内容が、真備が唐で異教徒の礼拝堂で秘薬を飲み、トリップした時に見た夢として出てきます。(読んだ人にしかわからない説明ですよね~。とても面白くお勧めの本です。)

真備が空を飛ぶシーンは正座したまま飛ぶんですよ~。アラジンがカーペットの上に乗って飛ぶように、せめて座布団にでも乗って飛んで欲しかった!この姿、なかなかユニークです。
この絵巻は、真備が陰陽道を唐から持ち帰ったということから、史実とは全く違う超人的なイメージで吉備真備の唐での活躍が描かれています。
この絵巻物、日本に残っていたらきっと国宝級だと思います

インフォメーション

所在地  710-1301倉敷市真備町箭田3652-1

電話番号 086-698-7612(まきび記念館)

URL   倉敷市公式サイト

駐車場  普通車16台、障がい者用2台、大型車2台

季節情報 梅 牡丹(約250本)

車でのアクセス 山陽自動車道玉島ICから約15分
公共交通機関でのアクセス 井原鉄道吉備真備駅から徒歩約15分

 

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