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前回ご紹介しました「京都大学付属岡山天文台」の望遠鏡の愛称「せいめい」は、浅口市に伝わる安倍晴明伝説が、名付けられた理由の一つということでした。そこで安倍晴明が天体観測をしていたと伝わる伝説ゆかりの地、阿部山へ向かいます。
安倍晴明ゆかりの地へ行くには、二つのルートがあります。私は林道ルートを通って行きました。狭い急斜面で見通しも悪く、ガードレールもないので、この道を通る時は十分に気を付けてください。
到着しました。阿部神社というのは、安倍晴明の屋敷跡といわれる場所に建っています。ここから急斜面を登って行くのが距離的に近いのですが、300m先の駐車場近くの参道から登って行きます。
この道が参道のようですが…建物が見えるわけでもなく、登ったかと思えば下ったりで登山道のようです。靴も歩きやすいスニーカーがいいですね。
細い山道が開けたらと思ったら「安倍晴明ノ碑」と書かれた顕彰記念碑がありました。
昭和30年代に矢掛町江浪の地元有志によって建てられた碑のようです。解説には安倍晴明を顕彰するとともに、「安倍晴明天体観測の地」として伝わるこの地を後世に残していきたいという熱意も感じとれます。阿部山という名前も安倍晴明の「あべ」に由来すると書かれています。
浅口市は日本でも晴天の日が多いと言われ、京都大学付属岡山天文台と国立天体台ハワイ観測所岡山分室天文台という2つの天文台のほか、大小さまざまな天文台が集中し、宇宙の研究がすすんでいます。しかし、平安時代の安倍晴明までもがこの地に来て天体観測をしたというのはいささか眉唾物です。
しめ縄の結界の中には、祠と環状列石ふうに並べられた石があり、「清明大権現」と刻まれています。ここは江戸時代の頃には既にあり、信仰の対象とされていたそうです。
神社と言っても昭和17年に建立されたばかりで、文化財的な価値はなさそうです。戦時中の物資の少ない時代になぜ建立されたのでしょうか?そして今もお神酒やお供えをされ、きれいに手入れをされています。
国立歴史民俗博物館教授の小池淳一氏の本によると、安倍晴明の伝説は日本中にあり、政治の中心が京都から鎌倉に移った時には、陰陽道(土御門家)も京都を離れて鎌倉へ移動し、各地へ広がったと書かれていました。
そういえば、阿部山からは矢掛の街がよく見えました。そう、矢掛町や真備町は吉備真備ゆかりの地です。吉備真備といえば唐の都から遣唐使として陰陽道も学んで帰っています。平安時代の晴明と奈良時代の真備の活躍した時代は200年ほどの開きがありますが、地元の陰陽師によって二人をリンク付けて伝説として伝えていたのではないでしょうか。
住 所 浅口市鴨方町小坂東字阿部山
問合せ 浅口市 産業振興課
電 話 0865-44-9035
駐車場 阿部山キャンプ場の駐車場
交通アクセス JR鴨方駅から車で20分